『マルコポーロ』廃刊の顛末

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 なんか、またいや〜な雰囲気になってきたなぁ。

 『マルコポーロ』二月号に掲載された「『ガス室』はソ連の捏造だった」という記事をめぐってのすったもんだは、こりゃ結構長期戦になるかも、という大方の予想を裏切って、あっという間の編集長解任、雑誌廃刊(いや、プレスリリースの文書では「消滅」って言ってたっけ)という実にあっけない幕切れになった。 これを書いているのが、文春サイドの記者会見が行われたばかりの段階だから、この後、どんな報道がされてゆくのかわからないけれども、まぁ、どうせロクな語られ方はしないだろう。たとえば、筒井康隆の“断筆”宣言をめぐる騒動の時のように。

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 文春ジャーナリズムというのがあるとして、これまではよく保守反動だの右翼だのと言われてきたけれども、要するにありゃ少しばかり手の込んだ天の邪鬼。偉そうな顔する奴とか、もっともらしい説教こく連中はとにかく気に入らねぇ、というのが基本線で、別にしち面倒くさいイデオロギーや思想信条が先づけであるわけでもない。で、それは最もゆるやかな意味での野次馬根性、ジャーナリズムに携わる者の基本的資質だと僕なんかは思っているのだけれども、もちろんこれはそんな大ざっぱな総論で片づくようなものではない。問題は、そのような天の邪鬼の野次馬根性をどこまで確信犯でやっていたのかどうかにかかっている。

 記事そのものについては専門家じゃないから印象でしかものを言えないけど、ただ、少なくとも商業誌に掲載するにはガードの甘い、その分つけこまれやすい結構になっていたな、というのが正直なところだ。このような議論が欧米に存在することは事実なんだろうし、そのような議論が人道主義の名の下にあらかじめ封殺される、そのことのヤバさについては言うまでもない。むしろ、こういう事態になって、一部に根強くある「ユダヤ陰謀史観」がいたずらに力を得てしまう、そのことの方がよほどまずいと思うのだが。