芸者と花柳界にとっての「戦後」

 戦後五十年、というかけ声があちこちで聞かれる。

 この五十年という時間に今さら何か意味があるとすれば、ただひとつ、それが生きた人間の記憶の巡り合せとしてほぼひと区切りである、ということだろう。二十歳の人が七十歳に、三十歳は八十歳に、ということは、その間五十年という時間の両端で双方の現実の落差を自分のものとして内側から経験できる人間がかろうじて存在できる限界、それがこの五十年という時間なのだと思う。それより他に実質的な意味はない。もうここから先は生きた人間の記憶の効かない乾きものの「歴史」だよ、という標識みたいなものだと思えば間違いない。

 「戦後」とは、この国の社会が女・子供に内面を発見していった過程でもある。それまで世の中の仕組みを支える存在として余計もの、まさに〈それ以外〉のものだった女・子供にもそれぞれ何か内面があるらしい、ということを世間がおおっぴらに認めねばならなくなった。その意味では、男女共学の衝撃などはまさに驚天動地のものだったはずなのだが、そこらへんをうまく語ってくれた歴史書には残念ながら未だお目にかかっていない。

 同じように、売春防止法の制定によって「女を買う」ということがおおっぴらには存在しないものになったのもまた、「戦後」を規定する大きな特徴だった。そして、それまでも確かに身体を売ることがあったとしても決してそれだけが第一義のものでもなかった芸者は、真っ先にそのような「戦後」の空間になじまないものになり、翻弄されていった。

「芸者は凡ての女性的な特徴を極端に誇張してそれを職業化したもので、それだけ女性としての特性が素人婦人以上に鮮かで、言い換えれば女らしさを極端に発揮して素人婦人との間に大きな溝を作って、それで商売になるように仕立てたのであります。」(茨城屋四郎三郎「花街安全論」昭和三一年)

 それまでは「ただそのようなもの」で済まされていた“遊び”の現実を、改めて言葉にして世間に投げ出さなければならなくなった時、さまざまな軋轢が生じる。このような“遊び”をめぐる世界の変貌を反映するかのように、当時『花柳界』(住吉書店刊)という業界誌には、売春防止法案がいよいよ国会に上程されて対応に苦慮する業界側と法務局人権擁護部長とのやりとりが残されている。売春防止法の規定する「不特定の相手」とはどのような人間を指すのか、それは芸者と旦那の関係においても適用されるのか、など、新たな「戦後」の現実がどのようなものになるのか計りかねての問いかけに対して法務局側は、芸者は基本的に売春防止法の対象にはならない、という見解を示しながら、だからこそ「芸が第一義の職業婦人」というもの言いで、新たな「戦後」を押しつけてゆく。

「答  第一に婦女が、第二に代償を受け、又は受ける約束で、第三に不特定の相手方と、第四に成功する、この四つが具備したものを売春と云うわけで、逆にこの中どれかが欠けていても売春は成立しないわけです。


 問  すると芸者の場合一人の旦那を持つ事は、不特定の相手と見做さないわけですね。


 答  そうです。」

 旦那持ちは売春ではない、芸の応援者である――こういう解釈は、しかし同時に性を裏返しに特殊化し、語られぬ領域に押し込めてゆくことにもなる。射精一回で一本、という昨今の性風俗産業のミもフタもない経済合理主義は、このような「戦後」の中にすでに胚胎している。
 
 芸者の多くは養女という形で貰われてきて、小さい頃から仕込まれる。仕込みっ妓から半玉という修業の時期を経て、実際に芸者に出るようになり旦那でもつくと、一家でその稼ぎを頼ることも珍しくなかった。またその頃のこと、避妊の知識もまだ不完全にしか普及していないので子供もできる。生めれば生むけれども、おろすことも多い。また生んだところで仕事に差し支えれば里子に出しもする。欲しい時には逆に、どこかの子供を貰ってきて養子や養女にする。そして、やはり同じ花柳界に生きる「玄人」の水になじませてゆく。近代日本に重くのしかかったと言われる「イエ制度」の裏道をくぐり抜けながら、“遊び”を支える「玄人」の世界は成り立っていた。

 だが、敗戦後、労働基準法児童福祉法ができて、子供を働かせることができなくなった。それまで当たり前だった仕込みっ妓などはもっての他。もちろん、これは芸者に限ったことではなく、板前や役者や相撲といった「仕込む」というプロセスを踏んで身体に技術を身につけねばならない稼業ならばどこでも、このような法律の網がかけられるようになった「戦後」の空間では大きくそのあり方を変えてゆかざるを得なかった。その土地その土地の組合が申し合わせ、戦前からわずかに存在していた「芸妓学校」や「芸能養成所」といった施設を新たに復活、発展させ、小さい頃から日常の立ち居振る舞いに始まり「芸」へと収斂させてゆく過程を踏めなくなった、その埋め合わせをしようとしてゆくのもこの頃だ。

 「過去数十年にわたって、あらゆる弾圧を受けながらも伸びてきた花柳界が、今後も伸びて行くことは、間違いないとしても、新しい時代にそくした社交場として、暖かい家庭の延長として、最も民族的な雰囲気を生かし、名実ともに綺麗な花柳界として発展して行くことが、望ましいのである。芸妓は誇るべき、女性の職業なのだから。」(「花柳界の将来」昭和三二年)

 「誇るべき女性の職業」という方向づけをされた「玄人」は、しかしその後の高度経済成長の嵐の中では、まさに民主的に、世間に埋没してゆくしかなかった。