書評・井上章一『狂気と王権』(紀伊國屋書店)

 まず著者に一言。もっとしっかり胸張りなって。

「本文中に引用した文献類でも、私自身が発掘したものは、そんなに多くない。たいていの資料は、すでに誰かが先に紹介してしまっている。私の本は、セコハンのデータをかきあつめた、やや概説的なしあがりとなった。正直言って、このことははずかしい。」

 あとがきにはこう記されている。さらに、こんな一節もある。

「私は、精神医学に関するかぎり、まったくのしろうとである。狂気の本質について、専門家をうならせるような新しい認識が、提示できるとは思えない。そんな私が、この問題にとりくめば、どうなるか。結局、今までの常套的な議論をくりかえすだけに、とどまろう。へたをすれば、そういう凡庸さをこころみたりするかもしれない。おおげさな言いまわしや空疎な文飾を、ふりかざして。体裁をつくろいたがるしろうとが、よくやるように。そんなパターンにだけは、おちいりたくない。」

 この著者お得意の京都学派風味の韜晦だとしても、いかにも卑屈である。だが、この卑屈さの背後にある方法的意味は案外大きい。

 二次三次資料よりも一次資料が、しろうとよりも専門家が、概説よりも各論が、凡庸さや常套性よりも独創性独自性が、著者にとっては価値の上位におかれていることがよくわかる。その限りにおいて、やはりこの人は真面目な優等生なんだな、と改めて思う。

 だったら一次資料を駆使した正面戦で勝負すりゃいいじゃないか、ということになるが、ことはそう簡単でもない。そのような学問の“あるべき姿”とされる諸々の価値体系に信心がありながら、なお、「では、私はこの本で、何にいちばんこだわったのか。ありていに言えば、歴史へのノン・フィクション的な興味である」と言わざるを得ない自分自身を、その資質を、この著者はしぶとくも手放さないからだ。そしてそのしぶとさとその結果としての知的宙吊り具合を、可能性も含めて僕は高く評価する。その意味では、「私は思弁的な興味より、考証的な関心のほうが強い人間なのだと思う」などという、思弁と考証という杓子定規な軸でしか考えていない自己評価など本気で信用してはいけない。

 内容に触れよう。

 昭和十一年に起こった元女官長島津ハルの「不敬」事件に始まり、大正十二年虎ノ門事件の難波大介や明治二十四年大津事件の津田三蔵、さらには明治初年の相馬事件などまでを広く素材にしながら、この国の近代において「狂気」がどのように語られ、扱われていったのか、そしてそれがどのような時代背景に規定されていて、どのような変遷をたどっているのか、に著者は焦点を当ててゆく。初出が月刊誌『宝島30』の連載という事情もあるのか、やや過剰なほど平易な表現と読者のリズムを狂わせるくらい読点を多用した、どこかはぐらかすような文体にも関わらず、このあたりの手際はなかなか見事だ。

 一九二〇年代あたりを境にして「皇室」と「狂気」とがそれまでと違った相互性の中で増幅されてゆく過程を、ひとつの解釈の可能性という留保を慎重につけながら、さらりと描き出してみせる。二・二六事件前後での秩父宮の語られ方や、マッカーサーと会見した昭和天皇の「証言」などに言及し、皇室自身その過程から自由でなかったかも知れないことを示唆してゆくくだりや、明治三十四年の直訴事件に際して田中正造が「狂人」として扱われた、という近代史家の定説が形成されてゆく過程を考察してゆくあたりなどは最も熱のこもった本領発揮の一節。言説とメディアをめぐる関係性をゆったりと視野に収めながら歴史をとらえなおそうとするこの態度は、それ自体、今ある歴史学=歴史を語る制度の硬直に対する本質的な批判力を持っている。「事実」は何か、と一点突破に突き進むのではない。その「事実」とされるものはどのようなメディアによって取り巻かれ、どのように語られ、どのような読みが発動されてゆくことによって立ち上がっていったのか、という健康なデタッチメントを介在させた態度なのだ。

 ごく率直に言って、これは広義の精神医学史というか、「狂気」と精神医学と司法の関係をめぐる社会史といった領域の仕事にあたるはずだし、著者自身もそのように扱われることを望んでいるはずだ。しかし、このままではそうならないだろうことも、著者はおそらく覚悟している。扱われている資料の多くが一次資料でなく、背景について知識が十分にある専門家でなく、綿密な行論にもとづいた詳細な各論でない、からだ。

 しかし、はっきり言うが、「専門家」の精緻な知識とその二次元的な連係だけで新たな歴史像が立ち上がるような幸せな状況はとうに過ぎ去っている。でなければ、近現代史の「専門家」たちの語る歴史がここまで今のわれわれの社会のリアリティから遊離したものになり、同時代の信頼性を喪失しているのかがうまく説明できない。もちろん、知的作業における専門性が大切なことは言うまでもないし、それらを保証するためのスキルや地道な努力への敬意は必要である。しかし、と同時にそれら専門性の領域を相互につないで開いてゆくような、そのことによって新たな問いの広がりを「専門家」に意識させるような、そんな仕事の質というのも同じ学問の手続きの内側に、全く同等に必要なのだ。

 それは、かつて若き日の山口昌男が論じたような「アマチュアリズムの使命」にも連なってくる。言わば、編集者的資質を伴った雑食性の知性の必要。ついでに言えば、一時期もてはやされ、いつかぼろきれのように使い捨てられた「学際的」などといううわついたもの言いも、このような脈絡でもう一度、本来あったはずの可能性と共に静かに考え直されるべきだろう。このあたりの問題は、他でもない著者自身共同利用研に勤務する身だから思い知っていると思うが、いかに優れた学者であっても、専門家でござい、と収まっているだけでは、もはや文化官僚の思うまま鼻面を引き回されるのがオチ。「専門家」でないといううしろめたさの自覚が著者にあるのだとしたら、全くその自覚のままでなおこのような「概説的な」仕事に自信を持ち、胸を張る。それこそが今、求められるあるべき「歴史」の学問にとって最も必要な態度だと思う。大丈夫、立派に「歴史」の仕事だ。