「歴史」の回復のために――生方敏郎『明治大正見聞史』(中公文庫)


「歴史」というもの言いがあちこちで取り沙汰されるようになっています。

この四月から採用される中学校の歴史教科書の中に、いわゆる「従軍慰安婦」についての記述が入るようになる、そのことについての議論がひとつのきっかけだったことは間違いありません。

最近、「従軍慰安婦」の需要を満たすために朝鮮半島から女性を「強制連行」していたことを韓国に対して正式に認めた宮沢内閣の官房長官だった石原氏の、「当時、国内はもとよりアメリカの公文書館まで八方手を尽くして探させたが、“強制連行”の存在を証明する文書資料はどこにもなかった」という証言が櫻井よしこさんのリポートの中で明らかにされて、この問題は大きな転換期を迎えています。たとえて言えばこれは、薬害エイズ訴訟で厚生省がそれまで発見されなかった資料の存在を認め、薬害についての責任を認めて謝罪した、あの事態に匹敵するようなどえらい事実が公式に判明したということです。にも関わらず、新聞を始めとした報道関係は不思議に沈黙している。「元慰安婦だった」という女性たちの「証言」を、事実関係についての裏付けもとらずに、あるいはとることを放棄したままに、国家間の政策決定の唯一の素材としていたことのずさんさは、そのように語り「証言」する女性たちが現実にいるということとはまた別に、「歴史」に対する日本の政治姿勢を世界から問われる大問題だと僕は思っています。

公式文書の存在などどうでもいい、「被害者」の「証言」だけで十分じゃないか、という意見があります。心情としては理解できなくもない。けれども、生身の人間の「体験」をどのように「書かれたもの」に依拠してつづられてきた「歴史」の方へ連絡してゆくのか、まずその手続きについての目算がきちんととられていないこと、そして、このようなケースではそこから先に「政治」の問題がどのように介在してくるのかについても考えねばならないにも関わらず、そのへんも考慮されていないらしいことが、この心情的意見の立脚する立場の危うさです。

人間とは、良くも悪くも言葉と意味の磁場の中で生きるしかない、生かされるしかない生きものです。そのことに対する前向きなあきらめをまず持った上でないと、健康な「歴史」など語り直しようがない。「被害者」や「弱者」の「体験」や「証言」は常に「真実」であり無条件に入れられるべきだ、といった考え方が、知らず知らずのうちに僕たちの中に忍び込んでいるのだとしたら、そしてそのような考え方が「人権」や「女性の立場」といった、それ自体は誰も逆らえない“正義”を背負ったもの言いによって野放しにされているのだとしたら、それは言葉と意味の磁場の中にある人間をまるで紙の文書のような静的な記録メディアだとしか考えない冒涜だと、僕は思います。

「歴史」とは常に現在の立場から語り直すしかないものです。だからこそ、現在の立場からだけ断罪してはいけない。そのためには、「歴史」の中に介在しているはずのさまざまな日常の感覚や文字に残らない印象といったものに対して謙虚になる必要がある。


たとえば、生方敏郎の『明治大正見聞史』(中公文庫)などは、そのような感覚を自分の身に取り戻そうとする時のいいテキストになってくれます。

著者は、明治末期から昭和期前半にかけて息長く活躍したジャーナリストであり、作家です。明治一五年、群馬県の沼田に生まれ、明治学院から早稲田の英文科に学んだ彼は、いくつかの仕事を経て『東京朝日新聞』の記者になる。英文学と仏文学を共に学んだせいか、彼の同時代としてはまだ新鮮だったはずの口語体を駆使した文体を駆使して日常の中のささやかな見聞、通り過ぎてゆく小さな印象などをていねいに拾いあげてゆく姿勢には、後にユーモア作家として世に立つ素地がうかがえます。

初版は大正一五年。関東大震災の後、「明治」はもちろんのこと、震災以前の「大正」ですらも何か遠い風景のように感じられるようになっていた、そんな同時代気分の中で書かれたものだと考えて下さい。日清戦争に出征した兵隊が生まれ故郷の村に凱旋したものの、「あまりの歓迎を受け振舞酒に酔い浸り、村人には持ち上げられ女にはモテるところから、酒色に身を持ち崩すに至った者もあり、気位が高くなり粗暴になって妙になってしまう者も出来た」こと。その頃、ようやく増え始めた書生(学生)たちはみんな薩摩出身の者の風俗を真似て「皆一様に(…)薩摩下駄を穿いていた。これを薯下駄とも言って、女の穿くポックリに似てあまり穿きいいものではなかった。鼻緒は白の小倉の非常に太いもので、その太い程が自慢だった」こと……教科書にはとても盛り込みようのないこのような細部を背景にして「歴史」もまた健康になってゆく。

また、大正期の東京に棲む人々の暮らしを半ば座談会のような形式を借りてつづってみせた「大正八年夏の世相」や「大正十年歳晩記」などは、このようなジャーナリズムが成立するようなったことも含めて、今のわれわれと地続きの大衆社会が始まりつつあることが感じ取れてとても面白く読めます。五十年もたてば、今ある泉麻人のコラムなどはこのような世相の記録として読まれるのでしょう。今のわれわれと同じように、いい加減で無責任で、時代の気分に付和雷同し、基本的に自己中心的な人々。大文字で語られる「ファシズム」もこのような「われわれ」が支えたことを静かに考えることができるようになれば、「戦前」というずさんなもの言いももっと内実のあるものになってゆくはずです。