広告代理店的無責任

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 藤田朋子がCMから降ろされるそうである。

 TBSの問題でも、スポンサーが手を引き始めている、てな話がちらほら出ている。

 ああ、きっとまた広告代理店が裏で飛び回って世間の「正義」の提灯持ちをやってやがるんだな、と思う。

 改めて言うまでもないけれども、広告代理店というのは広告を出したいスポンサーとメディアとの間をつないで「イメージ」を操作しながら口銭を取って世渡りする稼業である。で、この「イメージ」というのが実に曲者なのだ。

 多くの芸能プロダクションにとってCMの出演料は命綱だと聞くし、広告収入で放送が支えられているのも事実だ。いや、放送だけではない。新聞でも雑誌でもそれは全く同じ。新聞であれ出版であれ放送であれ、どんな偉そうに見えてもいずれメディア稼業は広告がなければあっという間に倒れるのは必定。思えばこれほど絶大な権力もない。

 今どきの世間の「正義」の前では、政治家も官僚も芸能人も、当のメディアでさえもひとたび問題を起こせば遠慮会釈なく叩かれる。それは言われるほど悪いことばかりでもないと僕は思うのだが、にしても、広告代理店だけはまず正面切って叩かれない。彼らはメディアの舞台に日々立ち上がる問題の最も当事者でありながら免責されている究極の無責任なのだ。「視聴率至上主義がいけない」というもの言いさえも、彼らの手にかかればあっという間に視聴率を上げるダシにされる。今、この国のあらゆる局面で問われ始めているのは、じゃああんたはこの問題についてどういう立場をとるんだよ、という「個」の輪郭を伴った腹のくくり方のはずなのだが、個人であれ組織であれそんな固有名詞の「立場」を作ることから身を遠ざけたままにさせておくための麻薬が、彼ら広告代理店の操作する「イメージ」なのだと僕は思う。

 藤田朋子であれTBSであれ、そういう「問題になっている」人間や企業のスポンサーになっていると企業イメージが悪くなりますよ、と彼らはささやく。そりゃ藤田朋子の一件は希にみる醜態だったし、TBSのケツの拭き方のまずさもひどい。だから降りる、という判断も広告主としては全くありだ。けれども、それがどこまで現実なのか確認しようのない漠然とした「イメージ」をタテに取った彼ら広告代理店の手口に鼻ヅラを引き回されるままそのような判断を下すのは、見識ある一個の企業として本当に健康なことだろうか。何かことが起こるとわずか一本の抗議電話でその内実も背景も問わずいきなり“自主規制”してしまう近年のメディアの横着な体質も、こういう広告代理店的無責任に伴う「立場」の喪失ときっと根深くからんでいるはずなのだ。

*1:思えば、のちの「ポリコレ」的なものが、未だそうとは呼ばれずとも、蠢動し始めた頃のおハナシ、ではあるかもしれない……221120