「税金のムダ使い」の落とし穴

 青島幸男東京都知事が一週間ローマに出かけたそうである。何でも姉妹都市の調印式に出席するんだとか。

 それがどうした、である。知事の仕事ってのが具体的にどういうものかよく知らないけれど、常識的に考えれば、何も議会で答弁したり書類にハンコついたりだけでなくそういう“つきあい”に東京都の代表として顔を出すことも仕事のうちのはず。だったら別にどうってことないだろうと思うのだが、なぜかこれが「税金のムダ使いじゃない?」といったコメントがつくことで特に「ニュース」として扱われてしまったりする。

 この「税金のムダ使いじゃない?」といったコメント、こいつが実に曲者だ。

 政治家や役人の行状にこういうツッコミをつけ加えることがメディアの舞台でお約束になって久しい。もちろんありがちな批判なのだが、しかしそれを電波や活字の場でもそのままむき出しにしちゃっていいんだ、という解放は、それこそ久米宏サンなどが最終的に完成させたスタイルだ。

 それは、ニュース番組で「庶民感覚」とかのもの言いが特権的なものになっていった過程と対応している。ほら、よくあるじゃないですか、政治家は大根の値段がいくらして、山手線の初乗りがいくらするかも知らない、といった調子の政治批判の定番が。

 同じことは、国会議員の年収調べにも現われる。もちろん世間一般の人間に比べれば、よく稼いでやがるなあ、という印象は持つ。けれども、そのことと政治家としての資質とはまた別だろうと僕は思う。

 もっとも、狛江市の前市長や東村山市の職員みたいに公金をちょろまかしてバクチにふけったりする底抜けな手合いも跡を絶たないわけで、その意味ではこういうありがちなツッコミにも意味はあると思うし、何より誰もがこう思い口にできるのはひとまず「言論の自由」の健康さ。ご苦労さんなこったけど、税金を使って仕事する身には、そんなくだらないやっかみも含めた世間のツッコミに正面から向き合って説得しようとする構えも必要なんだし。

 でも、どうなんだろう、本当に都知事ってのは、ここは調印式にかこつけていっちょ海外旅行してやれ、なんてセコいことを考えるものなんだろうか。これ、「海外旅行」だからみんな余計に何か「うまくやってやがる」という気分になるのかも知れないけど、でも、そんなカネで背中丸めて旅行したところで楽しいわけがない。昔ならいざ知らず、今や高校生でも平然と海外旅行するご時世。馬鹿にすんない、本当に海外旅行に行きたいならてめえのカネで行くわい、とここはきっちりタンカのひとつも切っといた方がいいんじゃないですかね、名曲「だまって俺について来い」の作詞者だった青島サン。