カルチュラル・スタディーズ・考

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 「カルチュラル・スタディーズ」というもの言いが、近頃目に立つ。

 文芸批評あたりを発信地に、文学研究や美術史や社会学文化人類学といった方面がより熱っぽい。いわゆる歴史学にしても近代史あたりにぼちぼちかぶれる手合いも出始めているように思う。それも三十代から四十代そこそこの若い世代が中心のようだ。おおざっぱに言って、アメリカの研究者を中心に提示されてくる新たな「日本」研究の枠組みで、その成果がこれまでの日本史や日本文化論や文学史といった領域を相対化してゆくような刺激を与え始めている、といった事情があるらしい。

 その具体的な中身についての整理などは、それこそ『思想』だの『批評空間』だのといった雑誌に肩寄せあっている人たちに任せる。ここで言っておきたいのは、そのような「カルチュラル・スタディーズ」が今のこの国の情報環境も含めた知的状況の中でどのような意味を持つのかについての自省が当事者たちに欠けているらしいことだ。

 彼ら「カルチュラル・スタディーズ」派と目されるひとりは、これまでの日本人による研究よりもアメリカの日本研究者のやった日本研究の方が今のわれわれにとってはリアリティがある、と言う。その理由を彼は、これまでの歴史学系の日本研究者は資料(いや、正しくは「史料」か)に埋没していて、海外に通用するような理論的な構築への意欲に乏しかったから、と説明していた。

 なるほど、一理ある。日本語という天然の対外障壁のなせるわざだったとは言え、そのような普遍性へと開いた文化理論としての「歴史」についての展望は、歴史学に限らずこれまでのこの国の学問のパラダイムには相対的に乏しかったと言わざるを得ない。それは「日本」を、もっと言えば「日本」に規定されている自分たちをどのように外に向かって説明してゆくか、その枠組みがこれまで自覚的方法的に構築されてこなかったツケだな、とも思う。その意味では、これまで何度となく言われてきたような、海外の仕事を翻訳して輸入することだけが学問であり知的な営みである、という、後発近代化社会特有の悪しき“伝統”がようやく本格的に解体され得る条件が整い始めたということかも知れないし、そうだとしたら言うまでもなくそれは健康なことだ。

 けれども、一方でまたさらに難儀な問題も立ち上がり始めている。

 今、この国はやや大げさに言えば明治維新に等しいような情報環境の激変期に入りつつある。鍵を握るのは「英語」と「コンピューター」だ。このふたつを媒介にした日本型大衆社会の分解とその結果としての新たな階級形成が行なわれ始めてさえいる。この先、五十年、百年というスパンで考えれば、文科系の学問も英語で行なうようになるのだろうという予感が、あきらめと共に僕にはある。そのような現状であるからこそ、この「カルチュラル・スタディーズ」的な「日本」がよりリアリティを持てる状況というのもある。

 その状況自体は個人的にも共感できる部分が少なくないのだが、ならばなぜ、これまでの「日本」が、同じ日本語を母語とする共同体の内側で社会化してきたわれわれの意識にとって違和感のあるものになってしまっているのか、その現象について内側から身についた説明は未だほとんどなされていない。それどころか、そのリアリティを持ってしまうという状況になだれを打ってアメリカ流の「日本」に眼がくらみ、結果として昔ながらの赤毛布、あちらの最新の成果の輸入業に血道をあげる醜態さえ見られる。

 お、君もなかなかいいことを言うようになったね、座布団一枚やっとくれ、十枚たまったらコロンビア大学に行かせてあげるよ、と『笑点』の大喜利よろしくそれら赤毛布のブローカーと化しているのが今の柄谷行人だよ、というジョークを耳にしたことがある。単なる酒場の与太に過ぎないけれども、しかしそう言われても仕方ないようなある種の貧しさと卑しさが彼ら「カルチュラル・スタディーズ」を振りかざす方面の身振りにまつわっていることは、彼らの世間に不案内な門外漢の僕にもうなづけるところがある。

 その結果流布されてゆく「日本」が、ついこの間まで安定的に思えてきた「日本」と比べてどのようなズレをはらんだものになってゆくのか。それを確認し、自覚的に未来を選択してゆけるような足場をどこに、どのような言葉と関係において作ってゆけるか。とりあえず「英語」と「コンピューター」を錦の御旗にしたこの“ご維新”からは、健康に距離をとろうとしておきたいと思う。

*1:『正論』(産経新聞社)の「批評スクランブル」の連載原稿。当時の名物編集長T氏に誘われて仕事するようになったはず。『毎日新聞』のS氏もそうだったが、思えばそういう「目利き」の記者や編集者というのがそれなりの看板掲げてたメディアの現場には、必ずいたものだった、思想的政治的立ち位置などとはひとまず別にして。