そのまんま東、の本領

 そのまんま東、あっさり宮崎県知事になっちまいました。

 メディアは選挙戦開始当初、どうせ苦戦だろ、という調子でしたが、途中から彼が案外善戦しているのを見て風向きを変え、終盤では好意的な論調になっていました。ああ、こりゃ案外通っちまうかも、と思っていたら、フタを開ければそういう結果に。

 タレントや芸能人が国会議員のみならず、都政県政を司る知事に、というのは、古くは先日くたばった青島幸男から大阪の青島ノックといった旧世代「タレント候補」世代から、近年では長野県をメチャクチャにした田中康夫、言うまでもない現職東京都知事石原慎太郎に至るまで、もうすでにある程度経験の蓄積がありますが、それでも、単にお笑いタレントというのみならず、未成年少女との淫行でとっつかまった経験のあるようなワケありの御仁がそのまま選挙初体験の一発勝負で通ってしまう、というような事態は前代未聞っちゃ未聞なわけで。

 県政ぐるみの談合発覚で前職が辞任、その後をうけた選挙。そこにあなた、自民と公明の政権与党推薦で送り込まれたのが、元霞ヶ関の官僚でたかだか課長級、もうひとりも同じく元役人、というんですから、そりゃあやっぱり、初手からなめてかかってたんじゃないかなあ、と。ありていに言って、ポスト小泉のニッポン有権者の“気分”をまだうまく読めないんだなあ、と思いましたね。

 別に宮崎県民とて、そのまんま東がベストと思った人は少ないでしょう。でも、選択肢を並べて見た場合、既成の「役人」「政治家」の匂いがするような奴だけはもう勘弁、と思った、それはある意味自然だと思いますね。で、それは、大方が見るように、あの田中康夫がうっかり長野県知事になっちまった時の状況とも似てるわけですが、ただ、違いがあるとしたら……

 そのまんま東、には以前、ちょっとまとまったインタヴューをしたことがあります。ちょうど、早稲田の文学部に通ってた頃の彼の日記、がネット上に残ってたんですが、そこにもあたしについての言及が……*1

http://www.sonomanmahigashi.net/oldnikki/diary1.html

 先日、宝島社の雑誌で、文芸評論家の大月隆寛氏と文学の近況について対談。これが面白かった。何でも言う人で、とてもここでは書けないし、恐らく誌上にも掲載されないだろう。しかし、言っていることに筋があり、正しいことを言うのだ。感性が鋭く、すっかり意気投合。ああ、書きたいけど、書けない。文壇を敵には回せない。Yという、女流作家なんかもうメチャクチャ批評。それだけで1冊書ける。でも絶対言えない。彼女を敵に回すと何でも恐ろしいらしい。あらゆる手段を講じて復讐されるらしい。いろいろ作家の裏話を聞いて有意義な対談だった。が、誌上では、恐らく二人ともとても無口になっているだろう。

2001年04月04日 02時27分01秒

 これは当時、彼が処女小説(『ゆっくり歩け、空を見ろ』)を出版したこともあって、宝島社のムック『腐っても「文学」!?』の中の企画として、話を聞いた……んだったと記憶します。「文芸評論家」と思われてるのはご愛敬、ですが(^^;)

腐っても「文学」!?

http://www.bk1.co.jp/product/2044372

 小説自体は、なんというか、彼の自伝的なものであたし的には民俗資料的に興味が持てる、という程度で、師匠のたけしが映画その他アート方面でひと旗揚げていたのにならってのことかな、と思っていたんですが、でも、「文学」だの「小説」だのに当時なお生一本な信心を持っているそのまんま東というニンゲンそのものが、話をしていてかなりおもしろかったのも、また確かだった。淫行事件で芸能界を干されている間、一念発起して早稲田の社会人入試に挑戦、あっぱれ入学、というのは報道されていて、それもまた、ありがちな芸能人の「みそぎ」ってやつかよ、くらいに思っていたのだけれども、いやいや、会って話をするとそんなものでもないなあ、ということは最低限、伝わってはきた。

 アタマはそんなに悪くはない。もともと宮崎でも県立高校に通っていて、専修大学にも一応合格している。学年的にはあたしより一年上、だから、当時の地方の県立高校から東京の専修くらいの私大にうかるためにはどれくらいのアタマがないといけないか、というのは、あたし的にもよくわかる。ハンドボールをずっとやっていて、体質的には体育会、しかも西南九州だからどうしようもなく「ダンジー」(「九州男児」の意)なわけで、それがたけし軍団のあの無意識にホモ丸出しな共同性になじんだ、ってことだったんだな、と理解しました。

 それにしても彼って、「文学」ってのを本気に、悪い意味でなく生一本で信じてる、ってことが微笑ましくも好ましい印象でした。マジメ、なんですよ、良くも悪くも。さっきの当時の日記の他の個所を見ても、びっくりするくらい大マジメに講義を受けて、課題をこなそうと頑張っているのがよくわかる。もう当時そんなものなくなってしまっていた、でも、彼の世代(ということはあたしの世代、でもあるんだけど)が実際に大学生だった頃にはまだ確かにあり得たような「文科系」「学生」の雛型を、二十年たった後にたまたま懸命になぞってみようとしている、そんな感じでした。

 大学生やるのは四十歳になってから、そう思いますね――そんなことも言ってました。学生の頃は漠然と聞いていて、何のことかよくわからなかった経済学や政治学、文学や芸術の話なんかが、その後の人生経験がを経た今だからものすごくよくわかる、知識欲みたいなものが今だからこそ猛然とわいてくる、と。

 その後、文学部から政経にもAO入試で入り直して、そこは結局中退しちまったようでしたし、そこからなんでまた宮崎県知事なんかになろうと思ったのか、そのへんの経緯はもうよくわからなくなってましたが、ただ、もともとああいうマジメさ、かつて獲得できなかった若い頃の何ものか、を律儀に回復しようと身体張ろうとする、そういうニンゲンみたいですから、そのへんを見失っていないのならば、少なくとも田中康夫みたいな醜態はさらさなくてすむんじゃないかなあ、と、まあ、このへんはご祝儀含みで一応、期待しておきます。

そのまんま東、オフィシャルサイト

http://www.sonomanmahigashi.net/info.html

●編集後記

 早稲田ってのはもう、なんというかそれだけで恥ずかしい存在なわけで、なにしろ今や「変態が強姦魔を教える大学」(ミラーマンスーフリのことね)と言われるくらい。ハンカチ王子だの角兵衛獅子まがいの卓球愛ちゃんだのを入学させたところで、いまさらどうなるわけでもなし、ほんとにもう、このところの文科系崩壊の象徴みたいなことになってるわけですが、そんなまっただ中で大マジメに70年代的な「学生」をやろうとしていたそのまんま東、というのは、ある意味貴重な実験動物だったかも知れません。

 

 タイムマシンに乗って二十年前の大学からやってきた学生みたいなもんですよね、みたいな話も出て、そうそう、そうなんですよ、と彼、うなずいてました。学生が勉強しない、授業中も携帯をいじってる、といった、ありがちなオヤジの感想になりそうなところでも、彼はほんとに新鮮な感じで、まさに異人として同時代にびっくりしてみせている、そういうところは結構、好ましいものでした。

 

 空中楼閣の「市民派」をなぞろうとして大失敗こいたのが田中康夫でしたが、そのまんま東がその轍を踏まない保証はありません。そのへん、今後の大きな課題でしょうが、ただ、彼の場合は「市民派」がナマの形でというよりも、おそらく「文学」経由でそういう幻想が稼働してしまいそうな懸念がありますね。政治の、それも一番ミもフタもない形で「利権」がむき出しになる県政(しかもイナカの!)のレベルで、その〈リアル〉にどこまでマジメに、新鮮につきあってゆけるか、というあたりが、ひとつのカギかも知れません。

*1:「文芸評論家」と呼ばれたのは生まれてこのかたこの時、ただ1回だけ、であります、為念