「外国人」の商品価値

  日本人は外国人に弱い、とよく言われる。この「弱い」というのは「甘い」と同義でもある。論壇やジャーナリズムなどでも、未だに外国人であることを隠れ蓑に商売ができるらしい。

 最近とみに話題になるウォルフレンなどもそうだ。日本語が読めないと言われる彼が日本についてあれだけのことを言うためには、資料集めから何からまわりでサポートする体制が必要なことは馬鹿にでもわかる。まわりで彼を商品として仕立て上げる“業者”たちがいるのだ。

 自称“アメリカABC放送のスタッフ”だが本国での正体がいまひとつ不明なデーブ・スペクターや、同じく本国では単なる新左翼系雑誌の日本特派員に過ぎないコリーヌ・ブレなどもいる。白人ばかりではない。呉善花辛淑玉などのように、在日も含めた「韓国・朝鮮人」で「女性」で、という要素が加わればさらにガードがかかり、その言説自体の質を問う契機は薄くなる。個々の思想はともかく、商品としての彼ら彼女らが一様に「リベラル」で「良識的」な装いを取っているのは、それが今の日本のマスメディアをとりまく雰囲気に最もうまくなじめるものだからだろう。そのような雰囲気としての「リベラル」は今や彼ら外国人の商品価値を守り、その質を棚上げするための障壁となっているらしい。