書評・C・ギアーツ/森泉弘治・訳『文化の読み方/書き方』(岩波書店)

 大学院生の頃、ギアーツを原書で読めたら一人前、とよく言われた。ひとつのセンテンスが異様に長い。文意がとりにくい。あいつは『ヌガラ』(ギアーツの大著)を三日で読んだ、といったいかにも八〇年代的な秀才伝説の培養基になったりしたのもそのためだ。邦訳が連発されるようになってそんな伝説も後退したけれども、日本人の研究者にとって重要な外国人文化人類学者のひとりであることには今も変わりはない。

 文化の記述についてのエッセイである。原著は八三年の連続講義をもとに八八年にまとめられたもの。文化人類学に限らず社会学歴史学民俗学などにおいても記述をめぐるこのような議論は近年盛んだが、ここでギアーツは単なる思弁的議論ではなく、エヴァンス=プリチャード、レヴィ=ストロースマリノフスキー、ベネディクトといったかつての巨星たちの仕事を批判的に読み直し、テキストの生産される場と関係を透視することから、文化人類学者にとっての「書く」という営みについてゆっくり考えようとする。非植民地化と観光化、そして地球規模の経済の浸透などによってアイデンティティの危機に陥った近年の文化人類学は書き手の「個」の内側に沈潜してゆく記述に傾きがちで、その限りで文学などと重なる部分も出てきているけれども、それら若い世代の仕事を彼は「己れの中途半端な信念を中途半端に納得させようと努めている中途半端な信念しかもっていない」と批判する。

 かつて「濃密な記述」という概念を示して解釈人類学の地平を開いた彼も今年七〇歳。人類学的記述にまつわってきた「自負やうぬぼれの終焉」をその背景も含めて冷徹に見据え、その荒涼とした現在の風景と直面しながら、最後にはなお「生が多様に営まれうる事実の意識を拡大するという仕事」が文化人類学者の使命と素朴に言うあたりの頑固な責任感はどうだ。この誇り高き「現場」の知性の相貌はやはり眼にまぶしい。