勝新太郎が逝った

 勝新太郎が亡くなった。

 はい、ご推察の通り、小生きっちり大ファンでした。

 『座頭市』や『悪名』のシリーズもさることながら、『兵隊やくざ』シリーズがもう好きで好きで、ビデオを全部揃えてズブズブにハマっていた始末。原作になった有馬頼義の小説『喜三郎一代』ったって、今どきそんなもの読んでる人なんていないだろうけど、これもまたカッコ良くてねえ。主人公の大宮喜三郎は浪曲師くずれの元テキヤという設定。有馬頼義という人自身、出のいいインテリのくせに軍隊には兵隊として行っていやな思いばかりしていたというから、そのへんの体験があの田村高廣演じる有田上等兵になっていったのだろう。


www.youtube.com

 ブッカン場(物干し場ですな)で「そよと吹く風無常の風」とうなり、慰安所からの夜道を「遊女は客に惚れたとゆい」と『紺屋高尾』のサワリをひと節やっつけながら帰るカツシンのあのカッコよさ!風呂場で大勢の砲兵たち相手に素っ裸で大立ち回りする色っぽさ! 青光りするような、ぬめぬめとはちきれそうな、水なんかかぶったところであっという間に玉になってはじいてしまいそうな、そんな精気のみなぎった身体。ふてぶてしさという言葉に実体を与えたらあんな風になるんだろうなあ。ああ、たまんねえ!

 どうせなら供養がわりにテレビで一挙放映すりゃいいのに、と言ってたら、テレビ関係者に、いや、それができないんです、と暗い顔をされた。慰安婦が登場するのがまず一因とか。おい、またこれだよ。勝手に先回りしての自主規制。そんなこと言ったら、同じく小生大の贔屓の岡本喜八監督『独立愚連隊』シリーズだってアウトじゃねえか。そう言えば、たまにやってる『座頭市』も、今やそこら中「ピー」音だらけでわけわかんなくなっちまってるしなあ。ほこりを舞いあげるからっ風の中、一本道を向こうからやってきた市っつぁん、ニヤッと笑いながら「めあきは不自由だろうなあ」とキメるシーンとか、「どめくら一人にこの騒ぎ!」なんて広告コピーとか、そういう表現を文脈抜き、ただ杓子定規に「差別」とだけ言いつのって正義の味方ヅラする「良識」の手合いなんざ、映画に限らず〈おはなし〉を楽しむ資格なんざないっての。

 新聞もテレビも雑誌も、かつて寄ってたかって彼を叩いたことなど忘れたように例によっての美談仕立ての追悼特集ばかり並べ立てていたけれども、本当に追悼する気があるなら、どこの局でも構わねえ、『兵隊やくざ』でも『座頭市』でもいいからとにかく音声ノーカット、「ピー」音全くなしの完全版で一気放映するぐらいの度量を見せてみろってんだ。とりあえず言葉さえ殺しとけば厄介は避けられるという程度のスカな「良識」を振りかざした「自主規制」のバカバカしさなんてもうみんないい加減気づき始めてるわけだし、いい機会じゃないか。
表現の自由」なんて大文字の能書きぬかす前に、こういう問題はまずそういう蛮勇あるのみ。不肖大月、それこそ徹底的に支援しまっせ。