ヤンキーマンガの〈いま・ここ〉――古沢優『東京板橋マル走自動車教習所』

今、日本全国のコンビニエンスストアで売られる雑誌や文庫本、マンガ本など、いずれ「本」の形をした商品の売り上げ全部をひっくるめた額は、全国の紀伊国屋書店全ての売り上げ額にほぼ相当するという。つまり、いわゆる書店としては大手の紀伊国屋全店の売り上げと、全てのコンビニでの本の売り上げが同じくらいというお話。ほんとか嘘か、確かめるだけのデータはあいにく手もとにないけれども、まあ、およそそんなもんなんだろうという気は確かにする。

だが、少し前、コンビニで本を売るという発想が出された頃、出版社の多くはそれに対して冷淡だった。唯一積極的だったのは三笠書房で、だから「知的生き方文庫」なんてのは未だに某大手コンビニでは優遇されているとか。とは言え、ほんとに売れるのは雑誌やマンガだけで、いわゆる活字の本は、それが文庫本であれ単行本であれ、コンビニではあまり売れないものだということもじきにわかってきた。その後、本だけでなくCDやゲームソフトを売る試みも大々的に行われたけれども、これまたどちらも当てが外れて、今やもう撤退し始めている。

つまり、われら日本人にとってのコンビニってのは、いつでも使える街角の冷蔵庫であり、文房具や洗剤やゴミ袋など生活のための消耗品をしまってある納戸であるようなものであって、いくら「便利」だからって、活字の本やCDやゲームソフトを買う場所ではないらしいのだ。

しかし、そんな資本主義の論理バリバリのコンビニというミもフタもない場所だからこそ、そこに並ぶマンガの単行本の配本され具合というのは、眺めていると結構味わい深いものがあったりする。

いわゆるマンガ評論などで取り上げられがちな作品はまずほとんど並ばない。配本されるのは大量生産、大量消費の娯楽商品としての品質をきっちり保ったものばかり。いきおい、エッチとクルマと四コマと立身出世ががっちり手に手をとって、学校帰りの小学生や、風呂帰りのひとりもんや、ネクタイゆるんだ会社員や、疲れた顔したOLを待っている。

中に“ヤンキーもの”“走り屋もの”とでも言うべき、コンビニ配本マンガ永遠不滅のジャンルがある。白状すると、この方面のマンガが僕は案外好きでして、さすがに自分で買わないまでも、拾い読みは結構しているんですな、これが。 え? 最近のおすすめですか? 古沢優の『東京板橋マル走自動車教習所』(リイド社なんて、ちょいとイキがよくて、いいこしらえでござんすよ。

例によって、元暴走族のろくでなしたちを更生させるために教官として雇ったハチャメチャな自動車教習所が舞台。格安の授業料で、教習車はみんなシャコタン、アルミの改造済み。五十分以上クルマに乗っているとたちどころに車酔いでゲロを吐くという主人公格の石神はもちろん、口のうまいメガネの西村、元警官の遊び人の所長を始めとして、キャラの設定も逃げ隠れしない直球振り。なにせハイレグ着た元レースクイーンの教官、夏生チャン(ああもう、この名前!)までいるんだから、その徹底した“お約束”ぶりはほんとに涙モン。うれしくなる。

ただ、不肖大月、雑誌でマンガを読む習慣をなくして久しい。読むのはほとんどが単行本になってから。だから、連載の時のナマのノリをリアルタイムで共有できない作品が多くなっていて、そのへんはマンガについてものを言う時に弱点になってるところは確かにある。理由はいくつか考えられるけれども、何より、あまりに雑誌の数が増え過ぎて見通しがきかなくなっちまったってのがまずもって大きい。いちいち全部の週刊誌を買ってたらサイフももたないし、何より読んでる時間がない。

まして、月刊誌となると皆目わからない。大昔、口うるさい母親に隠れて死んだバアちゃんに近所の本屋でこっそり買ってもらってた『少年画報』は確か月刊誌だったけど、あれは週刊誌ってサイクルがマンガの中に導入され切っていない過渡期のこと。月刊誌に誌面でこんなこと言っちゃいけないけど、ほんと、今どきマンガの月刊誌ってどういう性格のメディアなのか、正直言ってまだよくわからない。

まあ、そんなこんなではっきりと雑誌オンチなもんでありますから、この『東京板橋マル走自動車教習所』ももともとどんな雑誌を舞台に戦っている作品なのかは、情けないが未だに知らない。でも、んなこた知ったことか。思いすごしかも知れないが、絵に僕の敬愛する山松ゆうきち(ご存じですか?)に似たタッチがたまにふっと感じられることまでが、今どき捨て難い味なのだ。以前、彼のアシでもやってたのかしら、この人。