おふくろの味・考

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 お恥ずかしい話ですが、「風土食」という言い方があることを、今回、編集部から原稿を依頼されるまで、不勉強にして知りませんでした。

 要するに、かつてならば「郷土食」「郷土料理」とか呼ばれていたものなんですね。なんだ、それなら民俗学がその視野の中心ではないにせよ端っこの方で眺めてきた領域じゃないか、と思っていきなり安心したりしたんですが、しかし、そこでもう一度よく考えてみると、民俗学が本当に「郷土食」や「風土食」をこれまでちゃんと取り扱ってきたのだろうかと真面目に尋ねられたら、実はかなりあやしいところがあります。

 確かに、たとえばアメリカの民俗学会では 毎年必ず food ways なんて食生活、食文化関係の部会がいくつも設定されて、それはさまざまな文化的伝統を持った人たちがその伝統をどのように自覚してどのように生活の中で実践しているのか、ということを中心にした、かなり包括的な関心に基づいているようです。しかし、振り返って考えてみれば、わが日本の民俗学でそのような食生活についての専門の部会が設定されていた記憶は、少なくとも僕にはありません。いや、それだけではない、「衣・食・住」なんて言われて日常生活を語る時の重要な柱となっている三要素全てについて、情けない話ですが日本の民俗学は正面から扱えなくなっているらしいのです。

 けれども、かつてはそんなことはなかった。その土地の歴史や環境・風土に根ざした食生活のありようというのに、民俗学者たちは早くから注目してきました。異なる土地の異なる暮らしの中にわざわざ出かけてみると、まず気になるのはそのような衣食住の「違い」なわけで、そのような「違い」をまずつぶさに観察して記述してゆこうとすることが、何も民俗学に限らず、そのように現地に足を運ぶことから何かを考えようとする学問の基本的な姿勢だったはずですし、現にやっていました。それは言い換えれば、「具体的なもの」や「具体的なこと」に対する具体的な関心をきちんと持つことから始めるということでもありました。ところが、いつの頃からかそれができなくなっているらしい。

 きっとそれは民俗学だけの問題でもなく、大きく言えばわれわれ日本人が「豊かさ」の中でが身のまわりの「具体的なもの」や「具体的なこと」にうまく関心を持てなくなってしまったことと深くからんでいるはずだと僕は思います。「衣食住」というもっとも身近で具体的なはずの“もの”や“こと”に意識を向けられなくなった文化や民族なんて、やはりロクなもんじゃありません。


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 中でも、どうしてわれわれ日本人はこんなに「食べること」についてこんなに無神経になってしまったんだろう、という疑問は強くあります。

 たとえば、コンビニエンスショップの惣菜の類。いや、僕もついつい利用してしまう手前、あまり偉そうなことは言えないのですが、ああいう食べ物を日々平然と食べてしまえる感覚というのは、何もうまいまずいといったことだけでなく、もっと根源的な「食べること」に根ざした身体的違和感の衰退という意味で、もっと問題にしなければならないことだと思います。

 ごく乏しい海外経験の中から思い返してみても、アメリカであれオーストラリアであれ、コンビニエンスストアやそれに近い店があったとしても、日本のように惣菜やファストフードの類が陳列棚の大部分を占めるなんて光景はほとんど見かけませんでした。食材は食材として、ファストフードの店はファストフードの店として、それ自体きちんと「食べ物」を売り物にする場所として存在しているわけで、日本のようにコンビニの中に雑誌やティッシュペーパーや洗剤やのし袋などと隣合わせに平然と売っているわけでもない。さらに、一歩外に出てみればコンビニ以外にも、ハンバーガーはあるわフライドチキンはあるわ、牛丼はあるわ回転寿司はあるわ、というようなわがニッポンのこの何でもありの事態は、世界的に見てもかなりけったいなもののはずです。


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 とは言え、かつては「煮売り屋」という言葉もありました。街の暮らしの中で、煮豆などのちょっとしたおかずになるものを売りに回ってきた、言わば惣菜屋さんですが、と言っても作り置きの冷めたものを売るのではなく、作った後、買う人がある程度ほかほかのぬくもりと共に食べられる程度の狭い範囲がその商売圏だったようです。納豆売りなんてのも、貧乏な家の子どもがやらされる日銭稼ぎの商売として定番の語られ方をしていましたが、いずれそのようにそのままおかずになる食べ物を売りに回ってくるという商売は「煮売り屋」の周辺にもある広がりを伴って存在していました。現に、今でも下町にはそのようなおかず屋、惣菜屋が必ずある街並みというのが細々と存在します。それらの街並みの中にコンビニやハンバーガーショップが出店することが、その街の暮らしのあり方が変わってゆくひとつの目安だと僕は思っているのですが、それはともかくとしても、最近よく言われる「外食文化」というのも、何もそんなに大層に言わずとも、少なくとも街暮らしの日本人の食生活のなかには昔から必ずあったもののはずです。

 確かに、今のコンビニの惣菜や弁当というのは「食べ物」自体としても豊かなものではないし、あれに慣れてしまうような感覚の鈍感さからはできるだけ身を遠ざけておきたい。けれども、だからといってそのような出来あいの惣菜を買ってきておかずとして間に合わせることを主婦の横着として眉をひそめ、あるいは、外食をことさらにぜいたくとだけとらえる、そんな考え方は、もしかしたらそういう「煮売り屋」もまたひとつの合理的な「風土食」の文化としてきた街暮らしの日本人の歴史に対する無知ゆえのことかも知れないと思います。最近、コンビニで買った惣菜を子どもに食べさせたり、コンビニ弁当を学校に持ってゆかせる母親というのが何かひどい親の代表のように言われるのも、落ち着いて考えれば、そのような「食べ物は家庭で作るもの」という考え方が、個々の暮らしの実情とかけ離れたところであるイデオロギーとして広まってゆき、人々の意識を縛っていった歴史と関わっているはずなのです。


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 で、まわりくどい言い方で恐縮なのですが、そのような「食べ物は家庭で作るもの」という考え方こそが、まさに「郷土食」や「風土食」といったカテゴリーを生み出してきたのかも知れないと僕は思います。

 今でこそ「風土食」などと言ってはいても、もとはと言えばわざわざそんなもの言いを持ち出さなくても、その土地その土地で当たり前のものとして行われていた食事のありようのある部分なわけで、それを敢えて文脈を抜きに取り上げて強調し「郷土食」「風土食」などと言うようになったこと自体、その土地の食生活のありようがそれまでの当たり前と変わってきたことを裏返しに証明しているはずです。

 同じような文脈で、僕は「おふくろの味」というのがどのように成立していったのか、ということがずっと気になっています。

 「おふくろの味」と言った時、たいていあげられるのは肉じゃが、きんぴらごぼう、ほうれん草のごまあえ、といった類の献立です。何でも若い女の子などに言わせれば、狙った男の子をきっちり“落とす”には手料理を食べさせるのが一番で、中でも肉じゃがの効果は抜群なのだそうです。ことほどさように肉じゃがは、今の日本人の感覚の中で「おふくろの味」の代表選手となっているようです。

 しかし、このじゃがいもと牛肉にちょっとした野菜や糸こんにゃくなどを混ぜて甘辛く煮漬けた肉じゃがという代物、そんなに古い歴史があるわけでもなさそうです。確か国木田独歩に「牛肉と馬鈴薯」という小説があったと思いますが、当時、明治三十年代あたりでは、この牛肉とじゃがいもという食べ物の組み合わせは実にハイカラな、少なくとも普通の人々の食卓に当たり前に乗るようなものではなかったはずです。まして、それが日本のどこかの土地の伝統的な「風土食」だったはずもない。だったら、なぜ肉じゃがは「おふくろの味」というような漠然とした、それこそ具体的な土地や風土と関係のない、言わば日本人の心の中に作り上げられた「ふるさと」なり「あるべき暮らし」なりという“虚構の風土”とだけ結びつけられて記憶されていったのか。

 まだきちんと調べてはいないので断言はできませんが、この謎に対する答えは、たとえば軍隊での食事の献立の中などに重大なヒントがあると僕はにらんでいます。カレーライスの普及に軍隊での食事の経験が大きい役割を果たしていたということはすでに指摘されています。同じように、肉じゃがやきんぴらごぼうやほうれん草のごまあえなども、戦前のわが帝国陸軍の献立マニュアルの中に取り入れられています。そう考えれば、味噌汁、漬物、焼き海苔、生卵、納豆という旅館の朝食のあの定番というのも、どういう道筋をたどってあのような形になっていったものかまだはっきりと明らかにはされていませんが、「おふくろの味」が作り出されてゆくのと同じような、具体的な「風土」が抽象化されて日本人一般の意識の中に「ふるさと」=「あるべき暮らし」として新たに宿ってゆく過程と無関係のはずはありません。

 今、こういう状況の中で「風土食」を改めて見直すということの中には、そのように「風土食」「郷土食」というカテゴリーを作り出していった過程も含めて視野に入れて考えることも含まれるべきだろうと、僕は思います。でないと、「風土食」こそがあるべき正しい食生活というような考え方だけがうっかりと肥大してゆく危険性に対して、ちゃんと歯止めもかけられませんし、また一方では、それこそ「おふくろの味」や旅館の朝食といった食文化のありように対しても具体的に見つめることができない不自由が必ず介在してきます。身のまわりの具体的な“もの”や“こと”と向かい合って言葉にする手続きを見失ったまま「風土食」をもてはやす態度は、「こだわり」や「本物」といった新たな呪文をひとり歩きさせてゆくことにつながる。そして、今のこのようなニッポンの〈いま・ここ〉を相手に頑張るしかない民俗学者として何より情けなく心萎える思いがするのは、本質的に消費者であるしかないわれわれ街暮らしの人間たちと同じように、いや、場合によってはそれ以上に、その土地その土地の脈絡の中で生きてゆくしかない地方の人たちの方が、そのようなうわついた呪文にからみつかれてしまっている、そのような事態が往々にして見られることなのです。



*1:『でぽら』という雑誌の依頼原稿。なのだが、当時はそんな「全国過疎地域自立促進連盟」なんて名前の団体の発行ではなかったような記憶があるのだが……単なる記憶違いだろうか。でぽら = De POLA : 地方と都市を結ぶホットライン・マガジン (全国過疎地域自立促進連盟): 1991|書誌詳細|国立国会図書館サーチ