歴史教科書問題をどう考えるか

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 歴史教科書問題、ってやつは、二十世紀最後の十年、このニッポンでいちばんホットな問題のひとつだった。それはひとまず誰もが認めることだろう。

……なあんて、もっともらしく始めちゃいましたけど、つまり世間的にもメディア的にも、これはかなりいいケンカのネタになった、ってこと。実際、新聞や雑誌、出版関係の活字まわりは言うに及ばず、テレビその他まで含めて、いまどきの観客民主主義段階のメディアの舞台を采配する方面にとっちゃ、この歴史教科書問題、見世物として絶対に盛り上がる切り札として便利に使い回されてきた。かの田原総一朗老(だろ、やっぱ)なんてこれを存分に食って食って食い散らして、そのうち食あたりしたのか、何やらご自分のスタンスまでそれまでとは違う方向にズレてきちまったような始末。いや、それは田原老がメディアの現場の運動神経がさすがに鋭い手練れゆえのことで、そうでない凡庸なボタモチがこの問題をヘタに扱うと、〈いま・ここ〉を生きるおのれのカンの鈍さをさらけ出すのが関の山。その意味でこの歴史教科書問題、九〇年代のニッポンの情報環境でいっちょまえにものを考える立場を張ってゆく上での、言わばリトマス試験紙みたいなものだった。

 ほんと、この問題についてどの局面で誰が、何をどうコメントしていたのか、ざっと並べて虫干ししてみたら、それだけでいい民俗資料になること請け合いだよ。それくらいにこの問題、観客のありようも含めた情報環境の激変期に立ち上がったということが、問題自体の中味と同じくらい、いや、もしかしたら中味以上に大きな意味を持っていたのだな、と思うぞ、あたしゃ。

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 もとはと言えば、「従軍慰安婦」問題に端を発した騒動。なんか最近、中学校の歴史教科書に「従軍慰安婦」なんて記述があるじゃないの、なんぼなんでもこれってええんかい、てなことで、「戦後」パラダイムに規定された歴史観――それを世間にわからせてゆく上で、あの「自虐史観」ってコピーはかなり効いたよなあ――を相対化してゆくための局地戦、って形で口火が切られて、案の定、既成の教科書市場を背景にして学校(大学含む)に巣くう「サヨク」「リベラル」方面と、特に信心なくても仕事上のルーティンとしてそういうモードにのっかって横着こいてたマスメディア界隈とから、ここぞとばかりに非難、論難雨あられ。冷戦構造崩壊後、右対左、てな対立がもう事実上無効になっていた状況で、なんともレトロでトホホなわかりやすげな敵味方構造がいきなりまた現出して、これにもちろんかの核兵器(笑)『ゴーマニズム宣言』までからんじまってたもんだから、もうあなた、上を下への大騒ぎ。そんなこんなで、ええい、めんどくさい、だったらもうちっとましな教科書、自前でこさえたろうやないの、と、マジでケツめくったのが「あたらしい歴史教科書をつくる会」だった、ということだ。

 なんかもう、ほとんど忘れられちゃってますが、あたしゃこの「つくる会」に立ち上げから首突っ込んで、なおかつめぐりあわせとは言え、一時期は事務局長までやらされてたドキュンなバカでありますからして、とにかくこの「つくる会」の教科書が曲がりなりにもちゃんと形になって世に出た、そのことについてはまず全面的にめでたい、と申し上げます。だってさ、今だから白状しちまうけど、あたしが首突っ込んでた頃のあそこの状態だと、とてもじゃないけどほんとに教科書一冊でっちあげるまではもってけないんじゃないか、と思ってたもん。だから、とにかくパイロット版(『国民の歴史』ね)を出し、本体の教科書を形にし、なおかつあれこれ修正を要求されてもうけいれながら文部省の検定を通し、ひとまず現場の学校が採択できるところまでもってった、ってことは、運動としてひとつの目標をクリアしたと言っていい。そのことは、いや、たいしたもんだわ、と素直に言います。

 だって、「つくる会」そのものには、教科書を実際にこさえるためのスタッフなんて、初手からいないんだもん。あたしが放り出されてから後、果たしてどういう態勢を整えて教科書こさえていったのか、そのへんは仄聞する程度でよくわからないけれども、何にせよ、版元の扶桑社を含めて、それはもうえらい苦労をしただろうことはよくわかる。当初、あそこに集まったのは良くも悪くも大学のセンセイたち。それもただのセンセイじゃなくて、いずれ論壇だの何だの、大学の外の世界でも十分に一枚看板張って泳いでゆくようなすこぶるつきの怪獣ばかり。教科書づくりの実際に携わったことのあるシトはほとんどいないし、いたとしても、それは監修とかそういうエラ~いレベル。役割分担して下調べをし、原稿を書いてそれを何度も手を加え、といった具体的な仕事を末端でやってきた兵隊の経験があるわけもない。なのに、教科書をこさえるぞ、と当初から言っていたのはなぜか、っつ~と、言い出しっぺの中心人物、藤岡信勝的にはおそらく、実際の教科書づくりになればもうひとつの別動部隊、自由主義史観研究会が動かせると考えていたはずだから、なのだ。あちらはなにせ、同じセンセイでも現役の中学やら高校のセンセイたちが主体、それに成り立ちからして藤岡ファンクラブみたいなところがあって、申し訳ないが私兵的色彩が強い。「つくる会」のあの怪獣みたいな大センセイたちに実際の教科書づくりをやらせる、なんてことは、いくらなんでも想定してなかったと思う。思いっきり単純化しちまえば、自由主義史観研究会は現場のセンセイたちの実働部隊、「つくる会」は外向けにプロパガンダだのイデオロギー闘争だのをやらかす宣撫部隊、てな感じだったはずなのだ、少なくとも当初の藤岡信勝的には。

 歴史教科書だけでなく、公民の教科書も同時にこさえた。これは当初はプランにまるで入ってなかったものだが、途中から合わせ技で出てきたもの。この公民教科書プランについては、かくいうあたしはかなり強引に西部邁ラインにつなげたひとりだったし、まあ、そのせいで西尾幹二藤岡信勝には相当根にもたれたと思うが、でも、できあがったものを眺めると、やはり西部ラインにつなげて正解だったな、と改めて思う。歴史教科書もそうだけれども、これがベストかどうか、は、ひとまず別だ。「戦後」パラダイムに頑強に結びついてきた歴史観や社会観、ひらたく言えばそういう「ニッポン」についてのルーティンを、中学生向けの教科書という形であれ、力づくで相対化しようとした、そういう仕事としてまず何より意義がある――中味のあれこれをうんぬんする以前に、その一点をまず素直に評価できないようなやつは、どんなに偉そうなことを言い、もっともらしい肩書を持っていたとしても、いまどきのこの情報環境で「良き観客」としての世間を前に信頼できる立ち位置を構築することを初手から放棄する物件であること決定。そう、この歴史教科書問題というやつは、それに関わるニンゲンの器量や懐の深さみたいなものを良くも悪くも映し出す鏡、になっているのだよ。

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 とは言え、いくら観客として成熟した野次馬根性が宿ってきたものの、教科書なんておもしろくない形になっちまったものを、いちいち買って読んでこれまでのものと比べる、なんてご苦労さんなことを、普通のシトはまずしない。しないし、する必要もない。だから、なるべくわかりやすく中味の違いを対比したものをこさえて、それぞれ判断の材料にしてもらおう、というのが、この夏目書房と親方、夏目社長の目算だった。

 オッケー、いいじゃん、それ、十分ありだわ、というわけで、できあがったのがこのブックレット。さまざまに話題を呼んだ『『買ってはいけない』は買ってはいけない』で、こういう火事場のバカ力的な仕事っぷりには定評がある版元のこと、今回も信じられないような集中力で作業を一気にやってのけちまった。これまたエラい、とほめておこう。

 なにせ中学生向けの教科書のこと、実際に手に取ってもらったらわかると思うが、あれだけ世間を騒がせ、メディアの舞台では何やら言語道断、非常識きわまりない内容のように報じられてきた「つくる会」教科書だけれども、なんとも拍子抜けするくらいに教科書、である。あれだけ騒いでまわったのはいったい何? ってくらいのもんで、なるほど、教科書として検定を通すというのは中味より何よりも、こういう「教科書」としてのフォーマットってやつが最大の障壁であり、セーフネットでもあったのだなあ、と思った次第。

 嘘じゃない、書店の店頭ででも現物を見て欲しい。「右翼」の「保守反動」のとんでもない連中がこさえたアナクロな教科書、てな印象は、素朴に見る限り、まず感じられないはずだ。

 だからこそ危ない、なんてまだしつこく言う向きもあるんだろうけど、ちょっと待った。だからさ、教科書ってのはそもそもそういうもんでしょ。何より、その中味よりもそれを使ってどう教えるか、ってのが問題なんだし、それをまるでコーランや聖書みたいに「絶対に正しいこと」だけが教科書には記載されるべきだ、なあんてマジに考えて眼吊り上げてる方がどうかしてると思うぞ、あたしゃ。

 特に、歴史なんて「絶対に正しいこと」はまずあり得ない、という前向きなあきらめから始めないことには話にならない。韓国や中国方面とこの歴史教科書問題でモメている、その最大の争点ってのは、じゃあその「歴史」ってやつをそもそもおたくらはどういうもんだと考えてるんですか、というあたりのはずなんだが、そしてそれこそが言葉本来の意味での「歴史認識」の問題、もっと言えば「歴史」をめぐる認識の文化差、の問題なんだが、どういうわけだかそういう方向での議論ってのは、われこそは歴史の専門家、と鼻の穴ふくらませてるシトたちからはまず出てこない。でもって、日韓共同で歴史認識の研究会を、なんておそろしいこと言ってるんだから、ああ、どうなってもあたしゃ知らんぞ、もう。

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 だから、細かい論点、内容について、ここが間違っている、少なくとも今のところのガクモン的水準からして違うことが書いてある、といった方向でだけ、「つくる会」の教科書とこれまでのそれとを比較するのは、あたし的には実はあまり意味がないと思っている。いや、比較すること自体は大切だけどさ、それをタテに、ほおら、こんな具合にこいつら間違ってる、こんないい加減なことを書いてる、最新のガクモンの水準を知らないバカなんだ、てな調子で批判することだけが目的となっちまっては、それは単なるこれまでの活字世間の「正しさ」合戦の再生産。この観客民主主義状況を全面化させつつある情報環境の中でこそ、この歴史教科書問題が問題化した、ということについての感覚が鈍いまんま、ってことを自ら証明するようなもんだっての。

 毀誉褒貶真っ只中で何とかこさえてみせた「つくる会」の教科書の中味にアラがある、いまどきのガクモンの水準からして間違いがある、誤植も誤記もある、ってのは、ひとまず当たり前だ、と思い切ること。それがまず、歴史教科書問題に対する第一の態度なのだ、とあたしゃ言いたい。

 間違っててもいい、って言ってるわけじゃないぞ。間違いのあるなしだけをあげつらってると、じゃあどうしてそういう間違いだらけの代物をいまどきの世間は少なくとも受け入れようとしているの、ってことを、またぞろちゃんと見なくなってしまうだろ、あんたらは、ってことだ。あげくの果ては、それは世間がバカだから、とか、ニッポンはまだちゃんと市民が育ってないから、とか、おのれの都合のいいようにだけ解釈するインテリの持病が出てきちまう。それはもうほんとにくだらないし、何も生み出さないってことは、世間の側は皮膚感覚で思い知ってるんだからさ。

 だって、言論だの思想だのの舞台とは別に、教科書と学校をめぐる商売の構造から言えば、市場寡占状態の大企業に対してそこらの商店街のオヤジが集まってこさえた手作り商品でケンカ売ったようなもんなんだもん。初手から勝ち目はなし。検定を通すことは何とかできても、採択戦を実際にやるなんてこと、当初は誰もが絶対にムリだろう、って思ってたくらいだもん。それがここまで世間も含めて空気が変わってきたってことは、やはり「つくる会」の功績ってやつはその点、認めざるを得ないんでないの?

 それほどまでに、「戦後」パラダイムの中で半世紀近く、活字のカルチュアと「学校」という閉じられた場と、それにくっついた教科書市場と、さらにそれらをとりまく新聞を頂点としたメディアの舞台の約束ごととが手に手をとってつくりあげてきたあるひとつの世界、ってやつは、すでにとんでもないシステムになっていた、ってことだ。小泉首相の「構造改革」じゃないけど、そういうとんでもないシステムと化してしまった「戦後」のうちの、これから先に役に立ちそうにない部分を、で~いッ、と、かの星一徹よろしくちゃぶ台返ししちまうためには、そりゃあなた、間違ってちゃいけない、的な優等生主義、官僚ノリじゃあ、絶対にできないでしょ。そういうことよ。

 
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 というわけで、ざっとこれまでの教科書と「つくる会」教科書との違いが際立ちそうな 部分を抜き出して対比し、それに編集部の方でコメントをつけてある。いちいち現物を読まなくても、まあ、概略こういう違いなんだな、ということは、ひとまず見渡せるようになっているはずだ。

 で、言わずもがなのことを言わせていただくと、このコメントも、そしてその下の「判定」ってやつも含めて、これが正解なんだ、という読み方をしないでいただきたい。記述の中味の対比だけでなく、コメントのスタンスや「判定」のものさしに対しても、あれ、これちょっとヘンかも、という感覚を持ってもらいたい、そう思う。そういう健康さ、風通しのよさを、わざわざこのブックレットを手に取ってくれるくらいの、いまどき観客民主主義状況を呼吸する「良き観客」であるみなさん方は、もうおそらく持ってくれているはずだ、と、あたしゃ信頼しているのであります。以上、挨拶終わり!

*1:このムックというかブックレットの総論的な講評、ないしは解説的な原稿であった。