強いばかりが競馬じゃないと……オースミダイナー

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 スターホース、というのもの言いがある。ハイセイコーだ、トウショウボーイだ、テンポイントだ、というクラシックなろくでなしもいれば、シービーだ、ルドルフだ、そりゃオグリンしかないわ、という向きもある。もちろん、いやナリブー、ハヤヒデ、ヒシアマゾンサイレンススズカこそ、と熱く主張するいまどきのファンもいるだろう。

 海の向こうには、People’s Choice という言い方もある。かのジョンヘンリーなどは、まさにそういうもの言いにふさわしい存在だったらしい。誰もが大好きな、そんな馬。しかしそれは、単に強い馬、というだけでもない。

 たとえば、テイエムオペラオーなどはマジ、強い。こういう言い方が意味ないのを承知で敢えて言えば、おそらく史上最強馬だろうとさえ思う。スターホース不在を最近の競馬不振の理由にあげ続け、何とかそういう目玉商品を、と腐心するJRAにすれば、これだけ強い馬なのだからきっと人気爆発、ともくろんでいたはずだ。なのに、オペラオーには先にあげたような「スターホース」の雰囲気は、少なくとも今のところまだ薄い。むしろステイゴールドネイティヴハートレジェンドハンターなどの方にこそ、熱く濃い支持が集まっている気配があるように感じるのは、はて、あたしだけだろうか。それが、いいことか悪いことかの判断はひとまずおいておこう。いまどきのニッポン競馬を支えるろくでなしたちのある部分の感覚としては、単に競馬に勝つだけではない、競馬という舞台の上でもっとマルチでさまざまにあり得る可能性の中、見せてくれるその馬らしさ、言わばキャラ立ちの強さ、こそが、熱くなれる大切な要素だったりするのだ。

 強いばかりが競馬じゃないと、いつか教えてくれた馬――オースミダイナーなどはまさにそういう、いまどきのスターホースの一頭だろう。

 父ギャロップダイナ、母タケノパール、母の父ミンシオ。一九八八年四月一七日生まれだから、当年とって一三歳。年齢表記が変わったから、以前の呼び方では一四歳。現役の競走馬としてはもちろん最高齢。去年引退したミスタートウジンが作った現役最高齢記録、一五歳(現行表記では一四歳)の更新をめざして頑張っている。

 強いばかりが競馬でない、と今、言ったけれども、しかしこのオースミダイナー、単に現役にしがみついているジイさまではない。強いのだ、それも立派に。

 たとえば去年の六月、札幌競馬場で行なわれた北海道スプリントカップ(交流G3)、一二頭立ての十番人気、しかも大外の一二番枠だったにも関わらず、並みいるスピード自慢を蹴散らして直線強襲、見事に勝ってみせた。スタンドのろくでなしたちはもちろんのこと、報道陣たちまでもがこの激走ぶりに脱帽したのは言うまでもない。この時すでに一二歳。トージンジイさんが八歳以降、勝ち鞍がないままだったのに比べてもこれはほんとにすごい。その他、地元に限れば瑞穂賞の四連覇、赤レンガ記念の二連覇などもある。層が薄くなるのが宿命の地方競馬古馬オープンクラスの鑑、みたいな馬なのだ。 

 翌七月には旭川ステイヤーズカップに出走して競走中止。けれども、九月には札幌のエルムステークスに挑戦して元気な姿を見せ、十月には上山のさくらんぼ記念にまで出向いている。そして冬休み前の最後のレース、門別短距離特別では名うての短距離巧者マークオブハートを一・六秒ちぎっての快勝。これまた観ていたろくでなしたちを喜ばせた。

 明けて今年は、例によって五月の赤レンガ記念から始動。次にステイヤーズカップと定番のローテーションをこなしていたものの四着、六着と結果はいまひとつ。さすがに衰えたか、と思われていたところ、七月の旭川の千メートル戦エトワール賞ではまたも、メイショウヒダカ以下を切ってすてる快勝ぶりを見せてくれた。

「ほんとは今年も北海道スプリントカップの方に行くはずで、登録もしていたんですけど、出走馬に推薦されなかったものでローテーションを変えて、同じ距離のエトワール賞の方に回ったんですよ。勝ってくれたもんで結果的にはよかったですけどね」

 七歳からオースミダイナーをずっと管理している若松平調教師は、そう言って笑う。ちなみに、この北海道スプリントカップにはそれまで四年連続の出走で七着、六着、四着、そして一着。誰もが当然今年も出てくるものと思っていたので、どうしてダイナーがはずされたのか、当日はスタンドでも話題になっていたくらいだ。

「実はエトワール賞っていうのはあれ、今年できたレースなもので、わたしもよく知らなかったんですよ。もしかしたらオースミダイナーのために作ってくれたレースだったのかな、とか、勝手なことを思ってます」

 今でこそ道営の人気者だけれども、元はといえば中央デヴュー。冠名が示すように山路秀則さんの持ち馬で、今も名義は変わっていない。中央では栗東の小林(稔)厩舎所属。四歳デヴュー後、通算六戦して五勝。全てダート戦で、初戦以外はずっと武豊が手綱をとっている。生産もリーゼングロスタケノベルベットなどで知られる静内の武岡牧場で、兄弟もほとんどが中央に入厩している。なかなかのぼんぼん育ち、ではあるのだ。

「うちに来たのはもう二年ほど休んでからでしたね。一応、左の膝に少し問題があるってことで来たんですが、でも、それはそんなに大変でもなかったです」

 とは言え、中央で全てダートを使っていたくらいだから、やはり何か気になるところはあったはずだ。復帰後の道営では小回り帯広を好時計で二連勝して冬休みに入ったけれども、

「そのオフシーズンにちょっと管理を失敗しましてね。今でもそうなんですが、とにかく食欲が旺盛でよく食う馬なんですよ。寝藁とかも食べちゃいますんで、今でもオースミだけは(寝藁は)麦稈じゃなくてオガクズを入れてあるんですが、その時もちょっと食べさせたんで重くなってしまって、年があけたら体重が550キロぐらいありましたかねえ。そのせいで、冬の一月、二月は運動量を馬場三周、四千くらい(稽古を)やってたんです。そうしたら、もともとちょっと腰が甘いところもあるんで、春先に時計出し始めた頃に腰に負担がきて、それをかばって今度は左前の腱にモヤッときちゃったみたいでしたね」

 エビッ気が出てしまったというわけだ。こりゃいかん、というわけで、冷やすなどの治療に努めた。そのせいでこの九五年、八歳のシーズンは戦列復帰が八月になり、年内に三戦しかできなかった。

「その時が一番大変だったかも知れませんね」

と、若松師。

 「ただ、おかげさまで九歳の秋から十歳にかけてはそれも固まった状態で、それ以降はそれほどたいした問題もないままきています」

 九六年、九歳は六戦して3−1−1−1。九七年、十歳時には七戦して3−0−1−3。この時、岩見沢の赤レンガ記念(道営重賞)一五〇〇㍍では、なんとレコード勝ち。フレアリングルーラをコンマ九秒ちぎっている。

「あの岩見沢のレコードの時に、反対の脚の中スジをちょっと腫らしたかな、ということがありましたね。雨馬場だったもので苛酷な競馬をしましたから。実際、その時は跛行してましたし、これはちょっともうダメかな、と思ったりもしたんですけど、それでも、一週間くらいしたら納まってくれました。今もその跡はちょっと残ってますけど、大丈夫です」

 

 さらに九八年、一一歳になると八戦して2−0−0−6、翌九九年、一二歳時は五戦して1−0−1−3と、いささか成績に翳りが見えてきたが、去年は七戦して3−0−0−3(競走中止1)と復活。先に触れた北海道スプリントカップ勝ちも含めて、今やその名前も立派に全国区。出てくれば必ず熱い声援が送られる、文句なしに道営の人気者だ。

「そうですね、思えば十歳からは付録みたいなもんですねえ。付録が付録じゃなくなったって感じかな。天井かなあ、と思ったことですか? ずっとですよ。そりゃずっと天井かなあ、と思いながら使ってきてますよ。それに、それまでは十歳で定年って制度がありましたから、十歳の時には年度代表馬に選ばれて、成績もそれなりによかったですから、みんなもったいないもったいないって言ってくれたし、まあよかったな、と思ってたんですよ。これで終わりだと思ってましたから、乗馬にするか、どうしようか、って言ってたんですよ、ほんとに。ところが、(道営競馬の)古馬の在籍状況があまりよくなくなったもので、主催者がそれまでの十歳定年って条件を緩和してくれたんですよね。だから現役が伸びることになった。言わば、馬が自分で定年延長させたようなもんですね」

 認定競走の導入などで、道営競馬がそれまでもひとつの役割として持っていた新馬の馴致・調教という部分を全面に売り出すようになり、番組的にも二歳競馬が中心になってきた、その結果古馬の在籍頭数が不安になってきたための制度変更だったわけだが、それがオースミダイナーには幸いした。

「それから先は、なんだか儲けもんみたいな状態が続きましたからね。去年は交流重賞までいきましたから、あれにはさすがにびっくりしました。馬もびっくりしたでしょうけど、管理しているわれわれの側がまずほんとにびっくりしましたよ」

 去年の北海道スプリントカップでのウイナーズサークル、紺のブレザーに足もとは白いズックのデッキシューズという出で立ちの若松師は、そっと涙ぐんでいた。暮れの門別で勝った時には、もう身を切るような冷たい風が吹く中、ご家族を呼んで口取りをしていた。見てくれは若干ジャニーズ系のいい若い衆、藤倉寛幸騎手も、もうこのところずっとダイナーの主戦。そのブルーとグレーの勝負服は、もうジイさまのトレードマークだ。

 去年の札幌の後、ろくでなしたちを心配させた、旭川ステイヤーズカップでの競走中止について。

「あれはちょっと、ファンの人には申し訳なかったんですけど、正直言って、レース前から微熱があったんですね。食いが珍しくあまりよくなくて、でも、運動させたら熱もさがったんで出走させたんです。ただ、装鞍所から下見(パドック)に出たくらいでもう完全にガクッとした感じでしたから、ほんとは取り消すべきだったんでしょうが、人気(二番人気)になってましたし、あそこで取り消したら主催者にも悪いと思ったりで、私も決断がつかなくて。ジョッキーにも、ゲートの後ろに行ってもダメと思ったら取り消せ、と言っていたんですが、彼も決断がつかなくてゲートから出したみたいですけど。ほんとは装鞍所の時点で取り消すべきだったのかな、と思うんですが……いや、馬とファンには申し訳ないことをしたと思っています」

 それでも、その後何でもない顔で戦列復帰。遠征も苦もなくこなしている。ほんとに大したものだ。

「鉄砲がきくんですよねえ、不思議なことに。休養明けを仕上げるのは調教法だけではカバーできないし、ここにはご存じのように坂路もないんですが、この馬にはそういう心配はないですね。他の馬なら鉄砲で重賞ぶっつけ本番ってのはやっぱりこわくてできないですが、この馬だけはシーズン開幕当初の重賞でも安心して使えるっていうか、そんなにみっともない競馬はしないだろうという信頼感はあります。そりゃもう、トシがトシですから、骨格的にはそれは年寄りですし、筋肉のつき方とかも来た頃から比べれば変わってきてるし、歴戦の傷跡はあちこちに出ては来てますけど、でも、精神面といいますか、気持ちの面ではここに来た時とあまり変わらないですね。身体を見ると背中も多少垂れたりもしますけど、それをカバーする精神力は衰えていないんだなあ、と。それは、日常の管理の中で見ていても感じますね」

 ずっと担当していた厩務員さんも、つい最近退職したとか。

「高橋さんって人がずっとやってくれたんですけど、馬が引退する前に厩務員さんが先に引退してしまいまして(笑)。ええ、結構トシだったんで、もう辛いっていうんで、この六月に退職したんです。でも、こいつはまだ元気だよ、大丈夫だよ、って言うんで、夏は旭川の開催がありますから、門別に馬を置いておかずに一緒に旭川まで連れてきてるんですよ。今はだから、厩舎のみんなで寄ってたかって面倒みてる状態ですね。でも、特別メニューでやってるってことはないですよ。基本的に普通の馬と同じです。ニンニク味噌やってリンゴやって、って、それは他の馬もやってることですからね」

 ただ、バナナだけは食べないという。理由は……わからない。カロリー摂取が素早くできるというので、レース前などにバナナを食べさせる厩舎はたまに見かけるけれども、う〜む、ダイナージイさんはバナナがお嫌いのようだ。何か贈りたいという贔屓の向きは、よく覚えておくように。

「ここまで来てしまうとどこで引退させたらいいのか、むしろわからないですね。現役最高齢記録にも挑戦しなきゃいけないみたいになってますし、また馬自身、元気ですからね。この馬に備わった生命体としての強さとか、内蔵の丈夫さとか、精神力の強さとか、そういうのは他の馬にはないものだと思います。管理上はうるさくもないですし、人に対しても悪くはないです。ただ、他の馬にはいつも威圧して歩くというか、いななくとかはします。馬っ気じゃないんですね。洗い場でも別に平気なんですが、(厩舎から外に)出ていったりする時にちょっと威張るというか、威圧をします。それはずっとそうですね」

 根性ジイさんなんだな。それくらいじゃないとまた、ここまで頑張れないだろう。

 道営競馬で募集している二歳馬の名付け親になろうというサポータークラブのメンバーも、たまに厩舎に馬を見に来る機会がある時には、せっかくだからオースミダイナーも見せて欲しい、というリクエストが多いとか。

「馬主の山路さんはもう、全部おまかせみたいなことで、レースには来られたことはないんですが、オフシーズンとか、日高で馬を買われた時とかは門別の厩舎に立ち寄られますよ。馬を見ては、エラいやっちゃな、エラいやっちゃな、と」

 ほんとにエラい。だって、あのトウカイテイオーと同期生。種牡馬になれた馬はもちろん、繁殖牝馬だってどうかしたらもう淘汰され始める年齢。持って生まれた丈夫さはもちろんだけれども、地方競馬ホッカイドウ競馬だからこそここまでもたせている、そのことも忘れちゃいけない。オースミダイナー、来年の現役最高齢馬の記録更新の前に、まずは九月一九日の瑞穂賞で、道営の同一重賞五連覇に挑むことになっている。
 

*1:洋泉社ムック、掲載原稿。タイトルはまた改めて確認の上で。