百円ショップの正義

 百円ショップのお世話になったことは、おありでしょうか。おありなら、どれくらいの頻度でのぞきます? それはコンビニと比べると、どちらが回数が多いです?

 身近にまだなくて、という向きもあるでしょう。でも、百円ショップってよく見れば最近、結構増えてますよね。都内ならば駅前の商店街などにやたら林立していたコンビニのうち、一番くすんでいた一軒がいつの間にやらこの百円ショップに入れ替わったりしています。あるいは、地元資本のスーパーなどでこの不景気でテナントが逃げ出し始めているようなところに、これまたいつの間にやら入り込んでいたりする。

 そう、百円ショップに必ずまつわっているのは、この「いつの間にやら」というやつなのであります。いつの間にやらそこにある、あったからといって地元の騒ぎになるわけでもなし、華々しく開店セールをするわけでもなし、気がついたら商売を始めていた、という感じ。

 おそらく、商売ってのは本来そういうものだったのだとも思います。ちょっとした思いつきで誰かが始める商い。たとえば西日本の街なかに必ずあったお好み焼き屋やタバコ屋や駄菓子屋のように、間口一間半程度の喫茶店のように、茶髪の店長のいるゲーセンのように、いずれ小ガネを持った人間が日銭稼ぎのために店開きするなりわい。それはちゃんと屋根のついた常店じゃなくても、身体ひとつの露天稼ぎで始めても全く構わないようなもので、だからこそ「いつの間にやら」気楽に始めて「いつの間にやら」気楽にやめることのできるものでもあったのだ、と。

 思えば画期的ではあります。だって、百円玉一枚であらゆる品物が贖える、というシステム。品物の価格は需要と供給のバランスによって決まる、てな経済学の初歩の初歩を逆立ちさせて、価格を固定したところで品物を逆に規定してくるこの意表の突き方は、思えば正月の福袋なんかの売り方と同じこと。こういう流通関係に詳しい向きに言わせれば、アメリカでワン・コインショップというのがある時期から出てきて、その日本版だということらしいのですが、しかし商売のありようとかを眺めてみれば、システム自体は輸入ものでも、そこには明らかにニッポンに根づいてきた商売の来歴、資本主義の日本的翻訳過程の歴史ってやつもからまっています。

 これって本来は質流れ品を扱うような、あるいは正規の流通ルートからはずれた品物をさばいてゆくような、たとえはよくないが言わばバナナの叩き売り的な裏稼業の流通業だったはず。それは大きく言えばテキヤ(露天商)の生業であり、そういう「路上の商売」の身体と器量をもって成立させる、芸能スレスレのところもありました。屋根のついて決められた店で商売するようになっている今でも、なりわいの本質として百円ショップにはそういうところが間違いなくあります。百円玉一枚、ワンコイン・ワンプライスと呼ばれるその売り方自体、まさに縁日の夜店のようなあやしい商取引、経済学の教科書からはどこかはずれる「交換」の気配を皮膚感覚で直感させてくれる。そこでは、どうしてこんなものが百円玉一枚で、という、その「百円玉」に規定される刺激がまず全てなのでありますからして。

 すでに知られているように、ダイソーという、ユニクロと同じ山口県出自の業者によってこの百円ショップの形態は、今のように全国展開向けのものとして作り上げられてきました。今は、ダイソー/アオヤマというショップネームで展開しています。先に触れたように、都市部での過当競争とフランチャイズ制度の軋轢などからコンビニの淘汰が始まっている地域などでは、セブンイレブンやローソンがいつの間にかこのダイソー/アオヤマに入れ替わっているところもある。あるいは、大型スーパーのテナント部分、CDショップや家電販売の店が入っていたところがそのままこの百円ショップになっているところもある。生活レベルでの流通の最前線を担っていたコンビニや大型スーパーにまだらに蚕食してゆくように、気がつけばこの百円ショップは身近に見かけるようになっています。このところはダイソーのような大手とは別に、地元資本でこの小売形態に手を出すところも多くなってきた。正規の商品流通のひとつ裏側、ディスカウントショップ/バッタ屋系の流通にそれまでもどこかで接触していたような店ならば、この百円ショップに転換するのはそれほど難しいことでもないのかも知れません。

 また、この百円ショップという小売りの形態はまたひとつ、別の方向に変態もし始めている。一見何かのアンテナショップかと見まがうようなたたずまいのものもちらほら出てきている。ユニクロソニープラザブレンドして混ぜたようなカラフルな色の氾濫。日用雑貨、であることは間違いないにせよ、そこにあるのは輸入ものが主流。プラスティック素材の「安物」であっても、それが輸入ものであるならばそれはそれでまた別の意味もつく、というわけです。

 そう、百円ショップのイメージを決定しているのは、百円というワンコインの値段設定と共にもうひとつ、そこに陳列されるもののかなりの部分を占めるプラスティック素材の「もの」たちのたたずまい、というやつもあります。
 もともとプラスティックというのは夢の新素材として登場してきました。セキスイのポリバケツに代表される、今もあるあの水色したプラスティック製品の数々。あれらが巷に出まわり始めた頃、メーカーの営業たちが荒物屋に品物を並べてもらう時、どのような言説を組織していったのか。あたしが大学で教えていた頃の教え子のひとりが調べたことがあるのですが、それによると、当時のセキスイの営業マンたちはとにかくこれでもかというくらいに新素材としてのプラスティックの素晴らしさを布教してまわっていたらしい。腐らない、朽ちない、軽い、割れない……いまでこそ安物の代表になっているが、当時は「科学」による最先端の夢の新素材。なにせ、ベッドから家具までプラスティックで造った「もの」を並べた夢の暮らし、てなことまでマジメに宣伝されていたくらいです。

 百円ショップとは、そんなプラスティックの「もの」たちがこの世に生まれて四十年ばかりの後にたどりついた〈いま・ここ〉でもあります。「もの」に対する感覚が、それが「もの」であるというだけで等価の一枚岩になってしまう、そういう今のわれわれの性癖が、このプラスティック製品の王国たる百円ショップを成り立たせている。安くて手軽で遠慮がない。たとえ失敗しても百円だからそれほどのダメージもない。かつてのプラスティック製品にまつわっていたアウラさえ、ここではすでにない。なにせ百円なのですから。「安物買いのゼニ失い」という格言さえも、すでに色褪せてさえ見えます。

 これは、おそらくは夜店でものを買う感覚に近い。なるほど、まさにテキヤの経済に接する時の感覚なわけで、その意味ではいまどきの消費者も皮膚感覚で百円ショップの本質を感じとっているのかも知れないと思います。



 けれども、です。かつて、夜店で買うものは大体決まってました。今のように縁日が食い物だらけになる前でも、ハンパな陶器や古着、古本に古道具といった「もの」たちはそのように露天で流通していた。ただ、それでも夜店で日々の暮らしに必要な「もの」を調達することは、決して望ましいことではなかったし、何よりそうする者たち自身が、自ら「貧乏」(漢字だぞ)であることを深く知り、そして恥じながら、でもあったはずなのであります。

 「豊か」になったこの国には、百円ショップで買った品物がうっかりと身のまわりに増えていってしまうビンボー、というのも、すでにある。この「百円ショップ」を「通販」や「ディスカウントショップ」や、あるいは「アムウェイ」に置き換えても、意味は同じです。「もの」としては等しい、具体的な「用」の局面についても遜色ない、しかも安いのだから何がいけない、という、ひとまず否定しようのない「正しさ」と共に、百円ショップという名の夜店は、今日もこうこうと輝いています。