銀行という商売

 銀行と言えば「お堅い商売で」と紋切り型に言われるようになったのは、さて、いつ頃からなのだろう。

 少なくとも、金融関係というのは、なぜか役所と同じような「堅さ」で語られているところがある。もちろん、人さまのカネを扱っているのだから堅くないと商売にならないのだが、そういう稼業の人間として本来求められている信頼性と、今ある銀行イコール「堅い」という役所めいたイメージの内実とは、どこか微妙に違っているように思う。 だってさ、はっきり言わせてもらえばカネ貸しだろ。カネ貸し稼業として持つべき商売上の信頼を、護送船団だか何だか知らないけど親方日の丸の大蔵省丸抱え、役所的「堅さ」にすりかえて保証しようとしてきた、ってのは、いつからこうなったのか知らないけど、どこかヘンだ。カネ貸しであれ何であれ、世渡りしてゆく上での信頼性ってのは、別に役所みたいな「堅さ」でだけ保証されるものでもないはずだもの。

 大和銀行アメリカから追い出された。もともと英語でどういう表現になってたんだか、ニュースなどでは「撤退命令」なんてカッコつけてたけど、要するに、おまえみたいな信用できない業者はこれ以上うちの庭で商売することまかりならん、と叩き出されたわけだろ。昔で言えば江戸所払い。こりゃよっぽどのことだ。しかも、大和銀行という組織に不信任が突き付けられただけでなく、その背後の大蔵省もグルだろうが、というのがあちらさんの認識。日本の銀行ってのはこういうセコいことを国ぐるみでやってやがる、これから先は余分な利率をくっつけないことには日本の銀行にゃカネ貸せねえ、とまでなってるわけで、まずはそれももっともな話。なのに評論家のオヤジたちは、これはジャパンバッシングの口実にされているんじゃないか、とか何とか、見当はずれな心配ばかり。めまいがする。

 木津信用組合取り付け騒ぎのドサクサの中、一億円行方不明ってのもすごい話だけど、でも、信用組合は良くも悪くも地元密着、個人商店や町工場相手の商売で、客もひとつ間違えりゃ首くくらなきゃならないシビアなところで銀行とつきあっているからこういう騒ぎにもなる。で、それはそれで健康だと思うのだ。

 そういう意味で全く謎なのは、大和銀行で取付け騒ぎやそれに類する騒動が起こっていないこと。外国で所払い食うような不始末やらかした同じ銀行に平然とカネ預けたままという感覚は、僕にはわからない。やっぱり大手の都市銀行ってのはブランド商売なんだよな。でも、そういうブランド一発で「信頼」するなんてのは、消費者として一番トロい態度。それじゃあやしげな宗教や“自分探し”に走る手合いを笑えないって。