北海道における鳥獣店の歴史について・ノート

1. いま「鳥獣店」に着目する理由

 ここで言う「鳥獣店」とは、かつては「小鳥屋」などと呼ばれていた、市井の「生きもの商売」のひとつである。文字通り「小鳥」を中心として、それを「趣味」として私的に飼うことを目的とした一般顧客に売買することを主に成り立つ業態である。

 従来は繁殖などを手がける専業の業者と、巷の「趣味」人とを媒介する役割を担っていたものが、後には「趣味」が嵩じて新たに参入してくる者も多くなりその性格も変わってきていた。いずれにせよ、今日ではその存在自体少なくなってきた業種のひとつである。

 民俗学はもとより、広義の歴史と文化に関わる人文系の学問領域において、「生きもの」を扱う商売、稼業が注目されてきた経緯は浅くない。たとえば、鷹匠から鳥刺しまで鳥類を扱う生業、職人についてはそれぞれの領域で研究がなされてきているし、「小鳥」を飼う趣味についても、上代の貴族社会から近世の商人層や上級武士層などにまで連綿と受け継がれてきた生活文化の一端として研究されてきている。明治期以降についても、昭和初年「日本野鳥の会」設立に際しての中西梧堂の仲間のひとりとして民俗学者柳田國男の名前があったことなども知られている。

 とは言え、そのような「生きもの」に関する研究背景にも関わらず、ここで言う「鳥獣店」そのものが特に着目されることはこれまでほとんどなかったと言っていい。近世までの小鳥をめぐる生活文化の諸相はもとより、その後の近代化の流れの中、新たな市民生活の日常にそれらが「趣味」として入り込んでゆく過程でどのように市場がつくられてゆき、またそこに関わるさまざまな職種、業種の裾野が広がっていったのか、他ならぬ現在の「ペットショップ」に直接連なる「戦後」このかたの激動の過程などについてさえも、残念ながらほとんど直視されないまま、記録にもあまり残されずに推移してきた。 

 しかし近年、特に高度経済成長期以降、日本の一般家庭における「生きもの」を飼うこと(=「ペット=愛玩動物」)の普遍化とそれに伴って生起してきたさまざまな問題は、単に現象に対する対症療法的な対処にとどまらず、現代の日本人の生活意識の来歴やそこに伏在する文化的問題なども含めて、より広い視野から考えることを求められている。

 一例をあげれば、犬や猫が飼いものとして一般化していったことと少子化との関連、あるいはそれに伴い「ペット」というカタカナ表記の呼称が一般的になってゆき、犬猫以外の小動物や小鳥、、金魚や熱帯魚から昆虫に至るまで、人間が関わって家庭内で日常的に飼育できる生きもの一般をひとくくりにするようになっていった経緯など、日本人とそれら身近な「生きもの」の関係の変遷を歴史的・文化的に考察してゆくことは〈いま・ここ〉に生起している現象を考える上で今や不可欠である。そのような意味でも、現在の総合的な「ペットショップ」に至る、その前身の一形態でもあったと言える「鳥獣店」にいま、このような脈絡で着目する意義は決して少なくないと考える。

 これら「鳥獣店」はある時期以降、全国ほぼどこの街にも、概ね商店街や市場の片隅などにぽつんと一軒存在するような、多くは独立の自営店舗だった。のれん分けや姉妹店化など小規模な商圏拡大はあっても、外部から一定規模の資本が本格的に参入して全体的な市場の拡大を目論むような業界ではなかったと言えよう。

 それが先に述べたように今日では「ペットショップ」と名前を変え、扱う生きものも小鳥だけでなく犬や猫、金魚や熱帯魚からさまざまな小動物に至るまで、時代の要請に応えながら業態を変革してきた経緯が存在する。現実にも「小鳥屋」と観賞魚などの「魚屋」、そして「犬屋」など、もともと別のグループだった流れが統合されざるを得なくなっている。また、地方によっては狩猟関係の顧客を相手にする店舗も鳥獣店として一定の経緯を持っているが、それらの事情も含めた上で、ここでは便宜上、視点をまず最も歴史的文化的来歴の深い「小鳥」由来の「鳥獣店」に置いて作業を進めたい。

 ひとまず筆者にとっての地元である北海道におけるそれら鳥獣店の、未だ記録されていない「歴史」について、主に民俗学的な取材・調査によってまず記録してゆくことを目的としている。最終的には道内全域の経緯と状況をある程度俯瞰できることを目的としているが、今年度はひとまず札幌市内とその周辺を中心として、聞き書きを中心とした取材・調査を行い、その成果を整理し記録して資料化することをまず本旨とした。

2.道内鳥獣店の盛衰、その概略

 明治27年に札幌に設立された「三国屋商会」は、記録として残っている限り全国的にも最も古い部類に入る「鳥獣店」とされている。狸小路商店街に店舗を構えて、薄野の芸者衆や水商売に従事する人たちなどを相手に商売をしていたという。現店主は四代目になるが、創始者は馬車追いの宿をやっていた由。そこから小鳥を扱う鳥獣店を始めたが一時廃業、戦後に復活して現在も継続しているが、復活してからは専ら犬を専門に扱うようになっている。

 「祖父は軍用犬の訓練士でした。学校もやってたようですが、軍人じゃなかった。年取ってからの遊び人でしたから商売もうまくなくて、結局店は一度潰しちゃいました。私はもともと郵便局勤めでしたが、サラリーマンより商売しようと思って。自分で儲けたかったんですね。昭和26年に今のススキノで店を復活させたんです。」

 同じく、戦前から札幌市内で鳥獣店として著名だったのは「鶯鳥園」。こちらも薄野で商売を展開していて、独自の餌の調合などで顧客を集めていた。この店の経営者の土田氏はもともと趣味から野鳥飼育を始めた人で、このような趣味が嵩じて後に自ら店を構えるようになった形態は、鳥獣店はもとより、後の金魚などを扱う観賞魚系列の店にも少なくなかったようだ。

「もともと愛鳥家ですけどお商売にも後にされるようになった方です。野鳥ではまず有名ですね。跡継ぎはいないので店はみんな閉められたりしてます。だからつながっていない。当時ですか? おカネも持ってたんでしょうけど、とにかく使い方がハンパでないんですよ。私もずいぶん可愛がってもらってましたが。家はゼロ番地の市営住宅、今の建物の上でした。下は飲食店とか風俗になってますが。」

 その他、野鳥・和鳥飼育の時代に知られていたのが、個人では小竹森氏。市内宮の森在住の愛鳥家で名前は道内に広く知られていたというが、後継者がいないためその後の消息はわからない由。

「結構頑固な方で和鳥をやってらっしゃいましたけどね。でも、みなさんやっぱり二代目さんがなかったり、鳥も下火になったりでムリするよりはというんで、店を閉じられたんだと思います。」

 現在聞き書きという形で話を聞くことのできる現役の鳥獣店関係者の方々は、その多くが二代目三代目で店舗を引き継いだ方で、年齢的にも六十代前後からそれ以上。戦後の和鳥から洋鳥に、野鳥から飼い鳥に移り変わってゆく時期にこの世界に入ってきた人がほとんどである。市場の変化や後継者問題で転廃業される方が増えていて、かつて道内で五十名以上いた鳥獣店経営者も、現在組合に登録されている方は一三名になっている。

 また、現在札幌市内に店舗を構えている方も、もとは札幌以外の道内で商売をしていた人が複数いる。かつては道内各地、主要都市にはそれなりの鳥獣店があったのが現在ではほとんど姿を消している中、かろうじて札幌市内に足がかりを持った方が生き延びることができている厳しい状況と言っていい。

3.「ペットショップ」への過程

 戦後、それまでの和鳥中心の鳥獣店――野鳥を捕獲してきて自前で馴らして販売する形態から、洋鳥――粒餌中心で初心者でも一般家庭で飼いやすい種類中心の取り扱いへと、市場のニーズが移り変わる中で、鳥獣店をめぐる社会的環境も大きく変わった。重要なのは戦後の狩猟法の改正など法規関連の環境の変化だった。これによって野鳥は「公」セクターによって「保護」されるものとしての位置づけが改めて明確化され、それまで閉鎖的なコミュニティで「趣味」の独自性を守ってきた和鳥飼育の世界が成り立たなくなっていった。そのために、従来とは別のより一般顧客へ開いた業態に変わりつつあったと言えるだろう。

「戦後はカナリアとか洋鳥が主流になってゆきました。またお客さんも、それまでの和鳥のウグイスなんか飼ってた方とはやっぱり違うんですね。和鳥飼ってた方はどっちかって言うと「凝ってる」方が多くてね。割とクロウトみたいな形で飼う方が多くて、エサも昔は粉でしたからね。水で練って容れ物に入れてやってましたね。籠もね、竹のすごい高い籠とかね、そういうのがありましたからね。道具に凝ってる人が多かった。自分で乾燥したフナコとか買ってきて自分で調合して、五分だとか七分だとか三分だとか、いろいろ蘊蓄をね。」

 その後、高度成長期にかけて、小鳥に限らず「生きもの」を飼う嗜好が国民の間に広まってゆくのに寄り添いながら、鳥獣店も時代に応じてそのありようを変えてゆく。後の「ペット」という呼び方につながるイベント(「小鳥まつり」等) なども業界主導で行われるようになり、それまでの大人の「趣味」人とは異なる「子ども」を新たなターゲットにしたマーケティング手法も取り入れながら新たな市場開拓をしていった。

「もとが鳥屋ですから小鳥が主でしたが、でも金魚も結構よく売れましたよ。当時はまだ今みたいな量販店なんかありませんから(苦笑) またその後に熱帯魚ブームってのもあったですからね。魚は魚でそれなりに儲かった時代です。今みたくペットショップってのはなかったですから。それぞれ小鳥屋さん金魚屋さん、でしたからね。」

 「内地業者を迎え道内業者、全日本鳥獣商組合連合会本部、道庁、カナリヤ連盟等とタイアップして大合同新しいセンスの展示会を開催して大好評を受けたものでした。赤カナリア、胡錦鳥、ハマーオーム、九官鳥、熱帯魚、スピッツ等が初めて一般的に大衆の目の前に紹介されたものです。その後これらのものが大流行の旋風を巻き起こしたものばかりです。」(昭和30年代「北海道鳥獣商組合 月報」より)

 カナリアセキセイインコが売れ、相前後するように金魚、そして熱帯魚と「生きもの」の売れ筋が変わってゆくに連れて、鳥獣店も小鳥だけでなく手広く扱う「生きもの」の種類を広げていったことがうかがえる。

カナリア流行りましたよ。昔はね。庭にこんな箱、詰み木箱っつって買ってね。木の箱なんですね、前が網になってて。繁殖する時は暗くしないと落ち着かないんで、庭箱ってんですが、そういうのを使って10個くらい並べて繁殖してたんです。
専門の業者さんてのはそんなにいなかったんですね。半分はほとんど個人の方にあげたりしてたと思うんですがね。」

「金魚は繁殖じゃなくて仕入れです。輪厚の方に当時、金魚の池があって、そこでせりがあったんです、市場がね。そこで問屋さんが、今は亡くなりましたけど「マル新」さんって問屋さんがあって、そういうところから仕入れてたんです。大きいところは個人の方もいらっしゃったと思いますがね。うちは仕入れだけでした。」

「もとが鳥屋ですから小鳥が主でしたが、でも金魚も結構よく売れましたよ。当時はまだ今みたいな量販店なんかありませんから(苦笑) またその後に熱帯魚ブームってのもあったですからね。魚は魚でそれなりに儲かった時代です。」

4.「鳥獣店」のこれから

 実は、道内各地の鳥獣店、今日では主にペットショップとなっている店舗も含めて、今回の取材・調査に際して電話とファックスで連絡を取り趣旨を説明しようとしたところ、すでに連絡のとれなくなっている店舗の多さに改めて驚かされた。

 ショッピングモールなどのペットコーナーに現在、出店しているのは、新たに参入してきた外部資本の比較的大きな業者か、ペット用品や飼料などを扱う業者経由が多く、かつての鳥獣店の流れを汲むような出店業者はほとんどなかった。

「今はこうやって金魚や犬を置いてるけども、小鳥は最盛期っていうとセキセイインコカナリア、正月に300羽仕入れると二日三日ではけちゃうんですよ。ところが今、三羽仕入れてもヘタしたら一ヶ月でようやくさばけるか、っていう状態なんですよ。」

 取材に応じてくれた方たちが一様に口を揃えて言うのは、これまでのように単独で自立した「路面店」経営でのペットショップは、少なくとも道内では今後もう難しいだろう、ということだ。

 理由はいくつかあげられるが、最も直近で大きなダメージを受けることになったのは、ショッピングモールなどの大型店舗で「ペットショップ」が設けられるようになったこと。ペット自体が大量仕入の大量販売で流通マージンが激変したことに加え、餌や関連器具なども含めて大手の業者に一括仕入れされるようになり大型店舗向けの価格設定が当たり前になったことである。

「量販店が大きいですね、やっぱり。最初はジョイフルエーケーあたりでしたか。まあ、こっちは専門家だからってタカくくってたんですが、だんだんあっちの方が専門家になってきて(苦笑)……逆に手伝ってくれって呼ばれたり。」

 それまでもデパート(百貨店)内に出店したペットコーナーが、鳥獣店から独立したペットショップへと移行してゆく時期の重要なターミナルにはなっていたが、近年の大型店舗内のペットショップはあらかじめ外部資本の業者が入る場合が多くなっている。

 小鳥や金魚、熱帯魚といった比較的手軽に手の出せる飼いものから、市場の志向が犬猫に移行してゆき、バブル期前後に見られたような大型犬ブームを経由して、今世紀に入るあたりからは室内犬の小型犬が好まれるようになる。

 「犬を扱うようになるのはもっと後です。犬は犬屋さんがあって、昔はMさんとかが札幌の犬屋さんのハシリだと思います。札幌駅のところに店構えてたりしてました。」

 しかし、それらも前記の大型店舗で売られるようになると、商店街の片隅にあるような昔ながらの「路面店」では太刀打ちできなくなってくる。

 大きな流れとして見ても、今世紀に入ってからこれら鳥獣店に限らず「生きもの」商売周辺は激動の時代を迎えている。文鳥の繁殖地として知られた名古屋の弥富の生産組合が解散したり、鳥獣店という形態での商売は高齢化と市場の縮小、変貌とによって存続が難しくなっている。大手資本が参入して、ペットフード関連など周辺市場から「ペット業界」の構造的再編が起こっている過渡期であるがゆえに、これら従来型の鳥獣店に代表されるこれまでの「生きもの」商売の経緯や歴史について、経験や知識なども含めて記録できるところは早急に記録しておくことが求められている。