活字の「文化」の終焉

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 「いやあ、何とか今月は大丈夫だったなあ、って感じですよ。いつつぶれても不思議ないです。本? いやもう、自分のところの新規企画なんか出せる状態じゃないですよ」

 名前を言えば誰でも知っている、まずは老舗の出版社の編集者の言。数十年続く雑誌の大看板だけはかろうじて残っていますが、実態はすでに外注とか。硬めの学術書や教養書でもいいものをずっと出し続けていたこの版元も、現状はまずこんなもののようです。

 「つぶれたら、ですか? まあ、その時はその時ってことで」

 う~ん、腹くくってるというのか、それともほんとにただ人がいいだけなのか。幕末動乱期の江戸の旗本なんてのも、こんな感じだったのかなあ。

 活字とそのまわりの「文化」の終焉に立ち会っているのかもなあ、という思いが、最近さらに強くなってきています。活字を読む、ってこと自体の意味がこれまでと違うものになってきている、それが最終的に明らかになってきているって感じですかね。

 書評から透けて見える活字まわりのショーバイがらみなヨイショの構造を読む、ということをずっとやってきたんですが、最近じゃもう、そんなテレビショッピングのセールストーク以下、おいしいことしか言わない書評こそが当たり前という認識が広まって、逆に当のもの書き自体が書評されるってことにヘンなアレルギー示し始めてたりします。こないだなんか、こんなおっかないこと言ってるのめっけちゃった。誰とは敢えて言わないけど、あたしゃ結構好きな書き手で才能も買ってたシトだけにびっくりしました。

 「ネットで勝手に読書日記とかHP作って、書評してるしろうとのやつらって、どうしてあんなにバカ揃いなの? なんも読めてないくせに、したり顔でなんとかかんとか酷評してる。恥ずかしくないのかね。しろうとがやっていい批評は、目一杯褒めることだけだ。検索かけられて、ズラーッてあんな書評が出てきて参考にされたりしたら大迷惑だよ。逆に読めてる人って発言の恐ろしさを知ってるから、きっとなにも言わないのだろう。」

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 これ、まずいよね。少なくとも客商売してる身なら客の前でこれ言っちゃアウト。好き勝手言われるのも商売のうち。ズルズルのヨイショ書評にだけ取り巻かれてるうちに、もの書きの意識もどんどんヘンになってる。そんな月並みなヨイショなんか鼻で笑って逆手に取るひとまわり上の偏屈さ、ってのこそがもの書きの自意識の真骨頂だったはずなのに。ま、そんな偏屈こそが絶滅種の証し、静かに滅びるしかないのかも知れません。先の老舗の版元なんかともども、せめて最期まであたしゃお人好しな偏屈を通したいと思います。一年半の間、ご愛読ありがとうございました。近いうちにどこかで、また。

*1:本の雑誌』連載、掲載原稿

*2:末永“ぴゃーぽ”直海、だった……(´-ω-`) book.5ch.net