作家野坂昭如の本領はやはり短編から中編、前シリーズの「野坂昭如コレクション」の解題を担当させていただいた時にも、企画段階からそのことは強調していた。
「テンポとリズムがねえ、やっぱり身体にねじこまれるっていうか、特に西日本、関西弁の文化圏で社会化した人間にとってはほんとにもう骨がらみになってる生活感覚というか、そのへんが否応なしに引き出されるところがあって、あれはおそらく言語を共有していないことには十分には味わえない感覚なんじゃないかなあ」
うろ覚えだが、担当編集のS氏に打ち合わせの時にそんなことを言った記憶がある。
決しておおげさではない。野坂作品に触れるようになったのは確か中学生から高校生にかけての時期だったと思うけれども、ちょっとした描写の片々や言葉や言い回し、物言いの節々に自分の日々の日常となだらかに連なってくるものを感じて、ああ、この人は味方だ、と意味なく思ってしまったような気がする。もちろん、何の根拠もない読み手の思い込みだけれども、当時テレビのコマーシャルなどにもよく出ていたし、雑誌のグラビア、はたまた縦横無尽のインタビューなどなど、メディアを介して仰ぎみるキャラクターとしての「野坂昭如」というのは、いつか必ず話してみたい信頼するに足る兄貴分、みたいなものになっていたのだ、あたしの中では。
作家という物言いが今よりステイタスがあり、何より「文学」自体にまだご威光がしっかりまつわっていた時代。けれども、野坂自身はそういう「文学」の保留地の外側からたっぷりとコンプレックスを蓄積していた過程をくぐり抜けてきていたわけで、そのへんの屈託がまたキャラとしての「野坂」にいい味をつけていたのだと思う。90年代、小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で華々しく登場してきた時に「活字村に核兵器を持ち込んだようなもの」と評したのはあたしだが、70年代に大暴れしていた当時の野坂もある意味それに近い外道ぶり、かぶいた物書きとして認知されていたのだと思えば、ある意味わかりやすいかも知れない。
今回、改めて長編からピックアップしてラインナップを組んだシリーズが「リターンズ」として出ると聞いて、だったら絶対入れて欲しい、とS氏に懇願したのが「1945・夏・神戸」「騒動師たち」「てろてろ」「水虫魂」だったのだが、ささやかな願いが通じてそれらがほぼ収録されたシリーズになっているのは、とてもうれしい。
フリーランスというと聞こえはいいが、徒手空拳、身ひとつ心意気一発で世渡りしてゆくしかない疾風怒濤の闇市世代(この物言いは野坂自身あまりよしとしていないようだが)の鬱屈や鬱憤を全身で晴らしてゆくようなこれらのテキストは、週刊誌連載のものが主とは言え、まとめて今読んでも十分にスリリングだし、何より元気が出る。そう、野坂は組織や看板に頼って生きることのできないよるべなき民の味方であり続けていたのだ。
「ケバラ、バロク、イカクンいずれも、世が世ならば、といってもその花盛りはもう一昔以上も前になるが、かつては大邸宅に住み車のりまわした英雄のなれの果て。敗戦から焼跡闇市朝鮮動乱と続く戦国の世の中を、白刃一口たよりに、思うまま生き抜いて、ふと気がつけば泰平ムードのとばっくち。斬りかかるにも、敵の姿見分けがたく、かっぱらうにも、富のありかがどこにあるのか、眼はしきかせ、身の軽さではにっちもさっちもいかなくなって、釜ヶ崎へ流れこみ、カマの暮らしもそれなりに気楽じゃあるけれど、思いかえすのは、あの動乱の世の中、たとえ今日からっけつでも、闇市焼跡ほっつき歩けば、棒にも当たるし運もひらける。」
――「騒動師たち」
なんだ、今とあまり変わらないじゃないか、と思ったそこのあなた、あなたは正しい。今から三十年以上も前、高度経済成長がその「豊かさ」の輪郭を日常の暮らしの場であらわにし始めた頃、ようやく中年にさしかかり始めた野坂が得体の知れない不安にさいなまれて、定期的に釜ヶ崎に潜入しておのれの生活力を確認したり、あるいはこれは有名になったけれどもキックボクシングやラグビーに耽溺したりといったあがきぶりを見せていた時期。考えてみたらあたしもこの三月でゾロ目の44歳。これらの作品を書いていた頃の野坂と同じような年格好にさしかかっているわけで、今のこの平成不況のとりとめなさの中、人生というほどおおげさではないにしても、暮らしむきについての不安はこれまで以上につきまとう昨今です。
生きることの手ざわり、なんて言ってしまうと陳腐で凡庸に過ぎますが、身体張ってメディア稼業の底辺からはいずりまわってきた文字通りのフリーランサー、何ひとつ頼るもののない生のギリギリのありようについて、これら中期野坂の長編群はどんな現代小説、ヘタレまくりのいまどきのブンガクよりもリアルに教えてくれるはずです。そう言えば、「コレクション」出版記念のトークショウでお相手した時に、確か母方の遠縁にあたる活動弁士の草分け西村楽天についての話を聞かせてもらう約束をしていたはず。そのうちぜひゆっくりとそのへんのことなど聞く機会をもたせていただければ、と思っています。