解説 ナンシー関『雨天順延』

雨天順延―テレビ消灯時間 5 (文春文庫)

雨天順延―テレビ消灯時間 5 (文春文庫)

 

 今からほぼ一年前、2002年6月12日、ナンシー関は急逝した。

 もはや臨界を超えて爛熟せる高度情報資本主義下のわがニッポンの、週刊誌を始めとした各種雑誌メディアにおいて、テレビ批評を主たる武器に圧倒的な存在感を示し続けていたこの稀代の巨星は、都下目黒区界隈において突如、神に召され、その孤高無比の才能は無慮0.1tを超えるかの堂々たる肉体と共に天空に飛散、二度と現世に回帰しない永久軌道に消えた。

 死因は「虚血性心不全」。

 だからね、早く医者行け、一度人間ドックくらい入っとけ、って、あたしゃよく言ってたんだ。やっこさん、ケガでもしない限り医者には行かないし、おのれの目方についてだって「ここ何年も体重計乗ったことない」って平然と言ってのけてたくらいだから、こりゃもうしょうがない。でもなあ……ほんとにあのバカ……。

 「友人と食事をした後、タクシーの中で気分が悪くなり……」と、急逝前後の様子が報道されていたが、この友人とは、ナンシーの本の装幀などをずっと手がけていた親友の坂本志保さんだったらしい。あたしもナンシーとの対談本『地獄で仏』(単行本は絶版、文春文庫に在庫あり)でお世話になったっけか。ウマがあったらしくて、ナンシーの話の中にもよく名前が出てきたから、ほんとの親友……いや戦友みたいなものだったんだろう。

 ナンシーの死について何か書いてくれ、というのであたしも二本、『産経新聞』と『毎日新聞』にそれぞれ書いた。はっきり言うが、ナンシーの追悼がらみで書かれたものの中で、この二本以上のものはその後も含めて存在していない。産経のものを引き継いで少し展開したのが毎日の記事、といった感じになっているので、並べて引き写しておく。

 「オレ、ナンシーの葬式には出そうな気がするなあ」

 そんなことを本人によく言っていました。朝、彼女の担当編集者から訃報を聞かされて、まずそのことを思い出しました。今から6、7年前、某女性月刊誌連載の対談で毎月顔をあわしていた頃のことです。

 「ナンシーに顔を彫られると不幸になる」などというありがたくない噂が立ったのも、その頃です。実際、当時はあたしも公私共に荒れ模様で、「なんか、あたしと仕事すると大月さんロクなことないっすねえ」と、あきれられていました。時事問題をネタにした対談でしたが、彼女のあの調子で毎回やりこめられながらも、彼女の健康状態はずっと気になっていました。実際、あのガタイ、あの風体でしたから、こりゃ心配するなという方がムリです。

 訃報は常に大文字です。彼女もまた、「ユニークな消しゴム版画家」「辛口のテレビコラムニスト」、といったもの言いで語られ、追悼されるのでしょう。もちろん、それは間違いではない。世間にとってのナンシー関とは、おおむねそういう書き手ではありました。

 でも今、ナンシー関がいなくなった、ということは、単に雑誌界隈がおもしろくなくなる、といったこと以上に、実はかなり大きな思想的事件だということを、心ある人たちはそれぞれしっかりと感じているはずです。それはたとえば、三島由紀夫が割腹自殺し、連合赤軍あさま山荘で籠城し、オウム真理教が無差別テロを展開した、それらとある意味匹敵するくらいの大きな時代の転換期を象徴するできごと、になるはずです。

 彼女が斃れた、ということは、80年代出自の価値相対主義思想の、その最良の部分が失われた、ということに他なりません。笑わないで下さい。これは本気です。そのことの意味を、これからあたしたちは深く思い知ることになるはずです。

――『産経新聞』2002年6月15日

 ナンシー関の死について、語ります。

 80年代出自の価値相対主義思想の、その最良の部分が死にました。その限りでこれは、思想的事件です。ひと昔前ならば、たとえばサルトルがくたばり、三島が割腹し、中上健次が早世した、いずれそういう大文字の固有名詞と結びつけられて語られるべき、あるひとつの「時代」とその精神を象徴するできごとになっていたはずです。ナンシー関の死、というのは、岡崎京子の“遭難”と並んで、実にそれくらい、同時代を生きる者にとって大きな意味をはらんでいます。

テレビにもの言う、というのは、これまでも評論家たちのお家芸でした。古くは大宅壮一に始まり、藤原弘達細川隆元など、彼ら「オヤジ」評論家が何か「もの申す」時にはテレビは常に悪玉で、「衆愚」の権化として扱われてきました。テレビはバカであり、通俗であり、文化とは相いれないものだった。ゆえに、知性や教養の側からは当たり前に批判されるもの、でもあった。今でもそれは基本的に変わっていません。

 けれども彼女はそんなテレビを、そのバカで通俗なありようのまま、世間の多くが抱える日常の感覚の内側から眺めて語る、という離れ業をやってのけてきました。テレビを高みから見下ろすのでなく、バカで通俗なそのテレビと同じ空気を吸い、同じ場に生きている自分も共にひっくるめて眺める――そこに旧来の知性や教養を超えた「批評」が宿りました。

 それを可能にしたのが自己相対化――つまり「ツッコミ」です。バカで通俗なテレビに敏感に反応しながら、でもそんなテレビと共に生きるワタシって何、という自己相対化も必ずしている。月並みなニヒリズムに足とられておのれの立ち位置さえ放り出しがちな価値相対主義を一歩突き抜けて、彼女のそのスタンスは、「ツッコミ」がある種透明な自己抑制に昇華し得る可能性を見せてくれていました。そしてそれこそが、この高度情報社会における最も信頼すべき「主体」のありようを示していました。だからこそ、単なる売れっ子雑誌コラムニストの死にとどまらない衝撃が各方面に深く、静かに走っているのだと思います。

 ナンシー関に寄せるこの絶大な、しかしそのままでは絶対に世の安定多数にはなり得ない、そういう土俵とは最後まで関わりようのないところに宿った声にならない無告の「信頼」というものを、もはやここまで役立たずがバレバレになってしまった活字出自の知性だの教養ってやつは、さて、どれだけ謙虚に受け止められるか。それは言葉本来の意味での「政治」の問題であり、ごく普通の日本人、いまどきの「常民」の水準に即した、気分のフォークポリティクス、とでも言うべき領域と関わってきます。

 「いつも心にひとりのナンシーを」――けたたましくもとりとめなく流れるばかりの、この情報化社会の真っただ中で、うっかりと舞い上がらず、不用意に自意識を肥大させてしまわず、身の丈の「自分」の立ち位置を確認し制御してゆくために、ナンシー関の残した仕事はこれからもなお、あたしたちがこの国でまっとうに生きてゆく上で欠かせない、言わば常備薬のようなものであり続けるに違いありません。

――『毎日新聞』2002年6月19日

 文句あるか? あるわきゃない。過不足なし、力戦敢闘、志半ばにして力尽きて斃れた戦友をおくるってのはこうやるもんだ。わかったか、わけのわかんねえ追悼文垂れ流してたひと山いくらのボンクラ共!

 ナンシーこそは、理屈はともかく実体としてはそのほとんどがおのがヘタレの言い訳、およそ無精卵に等しい意味なしモラトリアム状況の象徴だった価値相対主義思想を、心ならずもまるごと生きてしまった、どだい奇跡のような証しだった。そしてそれが果たしてどのような幸せ、どのような自足と引き換えにもたらされた果実だったのかまでを、誰も敢えて言挙げせずとも、もうあたしたちは心の底から思い知っている。だからこそ、ナンシーの死はとりとめなく拡散するばかりの同時代に、ピンポイントで鋭く突き刺さったのだ。

 ナンシーのいなくなった雑誌、週刊誌がどれだけ精彩を欠いたものになっているか。ナンシーにツッコまれることのなくなったテレビが、メディアが、芸能界が、どれだけぬるいものになっているか。あの田村亮子が婿取り沙汰を「谷落とし」とはしゃぎまわってヘソ出し始球式までやらかすような事態が、単なるエピソードとしてだけでなく、いまどきのわがニッポン常民の審美眼や倫理観にまでもたらすであろう底知れぬ頽廃のさまを、ナンシー関だけは決して見過ごさなかったはずだ。

 最後に書誌的な情報を。

 本書は、『週刊文春』に連載されていた「テレビ消灯時間」のうち、2000年9月14日号から2001年9月20日号までの一年間の掲載分をまとめたもの。初版は2001年10月30日に文藝春秋から、本体価格1190円+税で刊行されている。

 文春でまとめられた彼女の仕事はその急逝後、順次粛々と文春文庫に収録されてきているが、本書でそれもどうやら打ち止めらしい。これを手にとったそこのおまえ、悪いことは言わない、とっとと残りもかき集めておけよ。