書評・『ナンシー関大全』

ナンシー関大全

ナンシー関大全

急逝一年、あの文藝春秋がここまで手かけて追悼するくらいの「大事件」だったのだと、改めて思う。ナンシー関の、事実上のオフィシャル追悼本である。

「大全」と銘打ったのも本腰なら、装丁まわりなども担当編集者以下、まわりにいた仕事仲間たちのいたいけな愛情がしみじみ感じられるこしらえ。いまどき、表通りに看板掲げた当たり前の「作家」でも、ここまで手間ひまかけて体重乗せた追悼本をこさえてもらえる書き手が、さて、何人いるだろう。威風堂々、正統的ブンガク者の貫祿だ。

単行本未収録コラムを軸に、対談なども含めたこれまでの仕事からのより抜きで編まれた愛蔵版。だが、目玉はやはり中ほど、ご本尊が生きていたら絶対に公表を許さなかっただろう子供の頃の写真なども含めたカラー仕立てのアルバム&ギャラリーと、ご両親や妹さんなど身内の人たちの回想録。

「うちでは、子供がやりたいと言えば父親のほうは絶対に反対しないんです。大きい声も出さないし、まんず子供の言う通り。もう、めんこくってめんこくって、ただ元気で育ってくれればいいという気持ちです」

「ほんとに手がかからなかった。やっぱり早く逝く子は違うんでしょうか、生れた時から」

泣けるよ、素直に。これらと、等身大のエピソードで編まれた詳細な年表とで、ひとまず2,800円の価値は十分にある。

周知のとおり、彼女の死後、わがニッポンの週刊誌以下雑誌メディアには巨大な空席ができたまんまだ。まさにグラウンド・ゼロ。だが、誰も埋められないし、おそらく埋める必要もない。読者ひとりひとりの心のうちに、ナンシーがデンと居すわっている限り、ニッポンはおおむね間違わない。いまや地に堕ち泥まみれになった「批評」の二文字が、この状況でなお有効であったことを証明する仕事の数々は、『雨天順延』以下、積み残された連載原稿なども拾いつつ未だ刊行中。中には見るからにセコい便乗企画も目につくけれども、何にせよいまのうち揃えておいて損はない。雑誌にナンシー関がいた時代、を子どもに語らねばならない日はきっと来る。