大宅文庫に集まる人々

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 京王線八幡山駅をおりる。新宿より各停で20分。明大前でイワシの如く乗り降りする偏差値55前後の民主主義ヅラの学生たちに混じって急行に詰め込まれ桜上水でセコく乗り換えるという手もあるが、ここに来るのは各停がいい。朝の9時少し前、ラッシュの名残りの立ちんぼ客がまだ並び流れる多摩・八王子方面からの上り特急電車を見送りながら、こちらも通過待ち、どてっ腹をぽかんと明けたまんまのがらんとした車内で調べものの心覚えを頭の中でめくり、唐突に閉じる二枚扉に、あ、まだ下高井戸かと駅名をあわてて確認したりする。

 都心の主だった地点にまで家を出てからほぼ一時間でたどりつける範囲、たとえば多摩方面ならば環八(環状八号線)あたりを「ナウい東京」のひとつの分水嶺とすれば、そのボーダーギリギリ、甲州街道沿いに走る高架線が高くそびえるまずは郊外の駅。「前へ」の明治大学ラグビー部グラウンドと佐川クンの都立松沢病院大宅文庫の駅。小さな駅ビルにはサテンとカフェテリアがひとつずつ。このカフェテリアのゴツい舶来機械がせきこみながら注ぎ出すコーヒーは悪くない。‘70年代後半のセンス丸出し、もう数年もすればそのまま路上観察乞食共の餌食と化すだろう二軒隣りのせせこましいサテンの方のまるで不幸な女のような身体つきのトーストがグデッと横たわるモーニングサービスも捨て難いが、ここはいっそ質実剛健大宅文庫へ出向く前にはセルフサービスのうす白いトレイにドンと乗せてくれるここのコーヒーで、よぉし、仕事だ仕事だィ、とてめェに巻き舌で言い聞かせるのをおすすめしたい。とはいえ、どちらの店もたむろするのはいずれあやしげなそのスジの風体の人々だったりするのはやはりこの街らしい。

 大宅文庫。正式には大宅壮一文庫と言う。財団法人である。収蔵雑誌約350,000冊、7,500種類。書籍約50,000冊。ジャーナリスト故大宅壮一の蔵書を軸に、雑誌資料を中心に集めた資料室というか図書館というか、まぁ、少なくとも首都圏で「書く」仕事に携わっていてその存在を知らないのはもぐりだと言えるくらいに有名、かつ切実な施設ではある。

 どれくらい切実か。

 ある男がいる。仕事仲間としてはいい男だ。フリーの編集者をやっている。煮詰まらぬ企画や遅れる入稿、上司の気紛れな無理難題の懐柔やあがりの悪い原稿の尻拭いと縦横無尽にかけずり回り、慢性の寝不足と眼精疲労、それに背中から肩にかけての鉄板の如き欝血というギョーカイ三重苦によるによる高原状ナチュラルハイからそろそろ深い欝に入るかなという時は、深夜ようやくたどりついた嫌煙権もヘチマもないほどセブンスターライトの煙にけぶりまくるデニーズのボックスシートにだらりと横になり、アイスコーヒーのグラスに残る苦い氷をほおばりながら、こんなぶっそうな唄とも警句とも都々逸ともつかないものをボソッと口にする。

 ギョーカイ殺すにゃ刃物はいらぬ、大宅まるごと焼けりゃいい。

 そんな場に居合わせた時、僕は、この十年あまりの地に足つかぬ空騒ぎがその果てまで行き着いたこの「書く」仕事の場に翻弄され、自身どこにいるかもわからなくなってしまった街のひとり身の、おそらくは当人もよく自覚できていないような種類の荒み具合を感じる。不謹慎を承知で言えば、何かの間違いで大宅文庫が全焼、なんてことになればその日から仕事に困るライター、エディター、編集プロダクション、その他有象無象のギョーカイ乞食がゾロゾロ出現すること必定。なにせ、ここに収蔵してある雑誌記事を切り貼りし、それでもっていっちょあがりという仕事でこのギョーカイがバブルに膨れ上がっているのも事実なのだからして。そして、彼自身間違いなく真っ先にその被害を受ける位置にいるのだ。


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 たとえば、あなたが駆け出しのフリーライターだとする。この際性別は問わない。

 なんでもいい、家庭向けPR誌のとある小さなコラム原稿を仕事として任されたとしよう。テーマは「カツ丼」。東海林さだお椎名誠ばりにカツ丼についてのうんちくを傾けながら、どこかでなおひと味違う雑学的知識を込めたようなものをやれないか、とあなたの担当編集者は注文をつける。どこそこのカツ丼がうまい、というだけではなく、カツ丼そのものの歴史や食文化としての考察みたいなものも含めて、あなたなりの色を出した原稿が欲しい、と。

 あなたは考える。「カツ丼」について調べるにはどうしたらいいのだろう。世にカツ丼そのものを専攻する学者や専門家というのはまずいないだろうし、その研究書というのもあるようには思えない。普通の図書館に行ってもさして頼りにはならないだろう。大きな料理専門学校あたりならば多少の資料を持っている場合はあるだろうが、それも作り方とか材料といった次元の話で、編集者の要求する「食文化としての考察」に直接つながるようなものになるかどうかは怪しい。

 「書かれたもの」がないならば、人に聞くという手がある。料理研究家と呼ばれる人たちや、食べ物のことを扱っている社会学者、文化人類学者などにコメントを求めるのもひとつだし、カツ丼を扱っている店を片っ端から尋ねて歩き、それぞれの味についての能書きを聞き書きするという手段もあるにはある。だが、ここでもまた、それらの聞き書きによって得られた素材が編集者の要求するような原稿にふさわしいものかどうか、そしてまたあなた自身がうまく使い回せるものかどうかは保証の限りではない。

 いたずらに時間がたつ。締め切りが迫る。そこにいくらか侠気のある先輩や編集者がいれば、試行錯誤を繰り返し、決定的な素材をつかめず原稿に手がつかないままのあなたを見かねてきっとこう言うだろう。

 「大宅文庫へ行ったか? 行ってない? じゃとりあえず行ってみろよ。きっと何かおいしい材料(ネタ)があるはずだよ」。


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 八幡山の駅から南に向かって一本道。左に都立松沢病院を見ながらぶらりぶらりと10分ほど歩けば、そのうち右手に二階建ての建物が見えてくる。

 朝は9時に開館。資料出しを停止する昼休みが12時から1時までで、午前中の受け付けは11時45分に締め切られる。閉館は夕方5時だが、コピーをとるなら4時までに申し込んでおかなければ、その日の受け取りはできなくなる。そして、日曜祝日以外、土曜日もこのタイムスケジュールは守られる。

 入館料は一回500円。これで10冊の閲覧ができる。10冊以上見たい時はもう一度入館料を払わねばならない。ただし、一人年間8000円ナリの維持会員になれば、入館料も閲覧冊数の制限もなくなる。セコい編集プロダクションなどでは誰かひとりがこの維持会員になっているのを幸い、その会員証をそれぞれが使い回すという泣くに泣けないところもある。

 大手の出版社などはほとんど団体の賛助会員になっているはずだ。これは年間ひと口10万円。仕事量の多さを考慮すれば、これはこれで充分にモトのとれる額ではある。未確認だが、受付で大手出版社の雑誌の名前を言えば、もしそれらしい恰好をしていればIDを問われないという説もある。ただし、実験してとがめられても僕は全く責任を持たないからそのつもりで。

 入り口左側、一階の索引閲覧室に入り、『大宅文庫雑誌記事索引総目録』という目録を使って欲しい資料を探す。この『総目録』は件名編6冊と人名編7冊からなっており、1985年に刊行されたもの。この他に、その後1985年から1987年までの資料を収録した目録4冊(件名編・人名編各2冊)があり、さらに新しいそれ以降の資料は壁面一杯のカードキャビネットに収められている。件名・人名それぞれ約700,000件。慣れた人になると『総目録』など見ないでいきなりカードボックスを引き抜き、レコード屋の店員よろしく猛烈な勢いでめくり始めたりする。このカードめくりの速度と手際のよさで大宅文庫通いのキャリアの差が出ると言ってもいい。

 この『総目録』、大項目が33、中項目が698、小項目が6,346にそれぞれわかれている。たとえば、この中に「カツ丼」という小項目はないが、「丼物」という小項目はある。これは中項目としては「食一般」の項目に属し、さらに大項目としては「世相」に属している。それぞれはコード化され、次のように表記、分類されている。

               16-005-041
               世相 食一般  丼物

 『総目録』に記載されている「丼物」についての資料は18点。1985~1987年分の目録には35点。さらにそれ以降、今年の3月号までの最も新しい資料はカードキャビネットに76点、それぞれ収められている。つまり、「丼物」についての資料は若干の重複を考慮に入れなければここにはのべ129点あることになる。最近数年で急激に点数が増えているのは、大宅文庫で扱うべき雑誌資料の増大もさることながら、若い女性を中心にした丼物ブームによるところが大きいのだろう。その証拠に、新しい資料の多くは女性雑誌、料理雑誌などに掲載された記事だ。ただし、この129点はあくまでも「丼物」というくくられ方をした資料であり、「カツ丼」に限ったものではない。ということは、たとえば親子丼や天丼などについての資料もここにくくられていることになるから、もう一段の取捨選択が必要になってくる。

 さらに、これだけでは不十分もいいところだ。カツ丼そのものを考える場合、その他に考えておかねばならない問題はいくらでもある。ちょっと考えてみただけでも、たとえば豚肉消費の問題がある。同じように卵の問題がある。丼という食器の問題がある。より大きい枠組みではこの国の近代独自のファストフード、単身者向け簡便食の問題がある。また、カツという料理そのもの問題もあるし、カツ丼そのものがそば屋で提供されることが多いことからそば屋ととんかつ屋をめぐる歴史的経緯の違いといった問題も出てくる。味付けや呼び方の地域差の問題もある。調べておくべき周辺はいくらでも広がってゆく。

 そう思って改めて『総目録』を見れば、「そば・うどん屋」という項目もある。「カツ・コロッケ」という項目もあるし、その他肉の消費についての項目だってある。また、大宅文庫に限らずとも、それぞれの問題について調べる方法があり、役に立つ資料があるはずだ。たとえば、豚肉や卵の消費流通の問題などは行政レヴェルの統計資料だって使えるだろうし、そば屋ならそば屋で業界紙や組合などに尋ねれば役に立つ資料だってあるかも知れない。丼そのものにしたところで調べる方法はまだ他にいくらでも考えられる。

 だが、あなたに与えられた時間にはあくまでも限りがある。たとえば、テレビ番組の企画構成などだったら、ここらへんまで当たりをつければもう時間切れになるのかも知れない。なにせ、現場取材の段取りが命の仕事、どこに行き、どのような絵を撮るか、ということがまず問題なのだし、そのための当たりをつける意味で調べものをやる。まわりからの資料的な囲い込みを必要以上に密にやっていては仕事が回ってゆかない。

 雑誌メディアでも事情は基本的に同じだろう。仕事っ気いっさい抜き、締め切りもコストもまずは考えず、カツ丼についての作品をひとつじっくりモノにするというようなつもりでもない限り、原稿枚数の制限や締め切り、そして原稿料に見合っただけのコストをどれだけかけられるか、というようなミもフタもなく現実的な要因をいくつもにらみ合わせながらの決断点、見切りをつける瞬間というのは必ずある。

 にしても、だ。その決断をどこまで「書き手」としての自分の良心と誠意とに見合わせたところで折り合わせてゆくか、そのことまで人まかせ、「そんなものだ」で自動的に決定されていいものではない。


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 今日、カツ丼の起源は早稲田界隈ということになっているらしい。テレビのクイズ番組などでも何回かそう言われていたし、何かでそんな記事を読んだ記憶もある。

 調べてみると、『現代』1973年11月号に掲載された角田明「わがカツドン大研究」という資料が、このカツ丼早稲田起源説の根拠となっているフシがある。

 この資料の中で、筆者はこの説が『早稲田大学史』(1967年)に掲載された「かつ丼誕生記」という文章に依拠していることを明記し、きちんと引用までしている。さらに、この筆者はその『早稲田大学史』に掲載された資料のインフォーマントである中西敬次郎氏にまで取材し、確認している。これによれば「かつ丼」が生まれたのは大正二年十月のことで、早稲田界隈のカフェーハウスという店の常連だった当時の中西敬次郎氏ら学生の考案によるものだという。ただし、当時はカツを飯の上にのせてグレイヴィーソースをかけ、グリンピースを散らしただけのものだったらしい。値段は二十五銭。

 この早稲田起源説は、大宅文庫の資料の中に限っても、繰り返し引用されている。1979年の『週刊読売』掲載の記事(無署名)も、この早稲田説を紹介している。また、1983年の『サンデー毎日』掲載の記事(浅井努署名)も、同じインフォーマント中西敬次郎氏の話として早稲田起源説をとる。目新しいところとしては、この『サンデー毎日』の資料が、カツ丼発祥の店とされる「カフェーハウス」を早稲田高等学院の施設らしかったような書き方をしているのが若干目立つ程度だ。その後、1985年の『週刊明星』掲載の記事(無署名)も同様の引用、紹介。これらの後追い資料には、1973年の『現代』の資料で明記されている依拠資料にまで戻り、改めて検証してみるという過程を踏んだ形跡のある資料はない。

 また、近年増えた雑誌の丼物特集は、その資料カードの数の割にはこのような意味で役に立つ資料は少ない。悪い意味でカタログ雑誌の資料なのであり、それらの資料をつむいでゆく文脈が形成されないような誌面になっているのだ。
 さらに、このような特集記事で「うまい店」として紹介される店にもまたすでに定番が決まっていて、ある種のルーティンワークになっている面がある。たとえば、カツ丼の場合、浅草の「河金」、青山の「まい泉」、新宿の「王ろじ」、銀座の「とん喜」「蓬来屋」などが都内では必ず紹介される店だ。事実、それらの店がうまいのかどうかはもちろん主観的な問題だし、また味というのもそのような情報も含めてのものだったりするからこれ自体どうこういうことはないのだが、グルメブームの渦中で「有名店」になっていったさまざまな店もまた、このような情報の還流構造の中で作られていった面は否めないのではないだろうか。


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 繰り返して確認しておきたい。「書く」に至る前にどれだけ下調べに手間暇かけるか、それはあなたの原稿料と締め切りまでの時間とに関わってくる。

 カネと時間とがたっぷりあれば、それぞれについて人を追いかけ、調べものを繰り返し、資料を固め、仮説を組み立ててゆくことも可能かも知れない。しかし、あなたには締め切りがある。400字詰め一枚せいぜい良くて数千円という原稿料がある。そのような連続と反復の中で食べてゆかねばならない他の同時進行の仕事との関わりもある。それら諸々の、日々どうしようもなく襲いかかってくる個別具体的な制限の中でどれだけのアウトプットをしてゆけるか、その一点に自分の作業を絞り込んでゆくこと、それが他ならぬあなたの「仕事」であり、そのような「仕事」にたずさわっている責任だ。

 大宅文庫に行き、調べものをし、当たりをつけることはあくまでも取材の第一歩であり、あなたのノートに補助線を引く最初の作業に過ぎない。わかりきったことを、とあなたは口をとがらせるかも知れない。仕事の現場のすさまじさを知らないきれいごとの理想論だ、と皮肉に唇を曲げるかも知れない。けれども、何か即座にそのままで役に立つ「ネタ」(このお手軽な言い方自体、象徴的なのだが)を拾いに調べものをする、ということは、別に大宅文庫に限らず「資料」というものに対する方法的なスタンスがそれぞれの仕事の現場で静かに考えにくくなっていることだと、僕は敢えて言っておきたい。

 「以前は、もっと他に資料ないか、というように突っ込んで尋ねられたんですけどね」

 日々新たなに押し寄せる膨大な記事や資料の抽出、カード化、整理分類など裏方仕事のとりまとめをする立場にある大宅文庫主事補の中澤哲也さんはそう言って苦笑いする。

 「昔の方がみなさん調べるってことに熱心だったような気がしますね。まぁ、昔はこんなに忙しくなくてお茶を出してタバコ吸ってというのんびりしたところもありましたし、その分こちらももっとじっくり対応できたということもあるんでしょうけど、今は来られる方も多くなって充分な対応ができにくくなりました。昔からの方などには、官僚的になった、なんて叱られたりします。」

  古き良き日々。good'ol days. もともと、大宅壮一個人の資料室だったものを財団法人にしたのだから、以前はその筋の知る人ぞ知る、という感じの穴場で、それだけゆったりしていたということだろう。しかし、ここは愕然としなければならないのだが、それはわずか二十年ほど前のことに過ぎないのだ。

 「ウチはイチゲンさんっていうか初めていらしたって方は少なくて、たいていこれまで何回かいらしたことがあるという方が多いんですが、それでも通りいっぺんの調べ方をしただけでそこの公衆電話で「あ、大宅には資料ありませんでした」なんて言ってる(笑)。淡泊っていうか、あきらめがいいですね。締め切りの関係とか、仕事が回ってゆく速度が早いって問題もあるんでしょうけど、雑誌とかテレビ関係がとりわけひどい。もっといろいろな項目を重ねてみたりすれば違う資料がある場合だってありますし、こっちも、ああ、こんなのもあるのにな、とか思うこともありますけど、押し売りはできないですからね。」

 現在、そのようなサーヴィスを実際に担当する裏方とも言うべき職員は40人あまり。そのうち正社員というか正式の職員は半分ほどで、残りはアルバイトという態勢。

 「「図書館業務」なんて説明でアルバイトの人を募集するんですけど、みなさんラクな仕事だと思われるらしいんですね。でも、普通の図書館と違ってウチは力仕事ですからね(笑)。地下もあるし書棚だっていろんな雑誌が並んでるわけですから全部理解するのも簡単じゃない。だから、最初にちゃんと「走り回る仕事なんだよ」って言うんですけど、それでも一、二日で「向いてない」ってやめてく人が結構います」

 日給はだいたい6,000円台とか。世間の平均から比べるとやはり安い。仕事の時間がきっちりしていて残業がないのはバイトとして魅力らしいが、それでも「仕事覚えるまでひと月ふた月はかかりますから、きついでしょうね」。

 年間入館者数は40,000人以上(1989年)。財団法人として正式にサーヴィスを開始した1971年当時の472人から比べると100倍になる。「1980年前後に10,000人を突破した頃と、三年ほど前に20,000人を超えてからの伸びからすごかったですね」とも。80年前後と80年代末。このふたつの山は、ここ10年あまりの雑誌メディア周辺の増殖、加速にかなりの程度対応しているはずだ。

 「今後は手書きカードをコンピュータ化して、入力も検索もスピードアップを図ります。もうソフトはでき始めてましてね。あと、カード化してゆく時のクセみたいなものもなるべくなくそうということも考えてゆきます」

 クセとはどういうことだろう。

 「つまり、ひとつの記事があったとして、それを五つの項目にバラして整理しようとするとしますよね。そのバラし方がいいかどうかは、実はその人の職人仕事というかそういう経験に頼っているんですよ。その基準のようなものをちゃんとしよう、と」

 ビジュアル主体となったカタログ情報誌のこまごまとした記事も、ここではいちいち律儀にこのようなバラし方がされ、カード化されている。だから、目録とカードをめくり、自分の知りたいことに役に立ちそうな表題のつけられた資料を見つけて胸躍らせて出してもらうと、なんのことはない、ほんの100字ばかりのなんでもないカタログ記事だったりすることもある。もちろん、どんな資料であっても読み手次第だし、そんなちっぽけな資料から人は必要なことを読み取る場合だってあるだろうが、それにしても、このような意味での手間については少なからず疲れがたまるのも事実だ。


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 一階で調べるべき資料リストを作ったら、二階の閲覧室に行く。そこで欲しい雑誌、資料を書類に書いて渡せば係が現物を出してくれる。必要があればコピーの請求をし、また、別の新たな資料を出してくれるよう頼むこともできる。

 この閲覧室にいる人たちはいつもおよそ真剣で、夏などは受験勉強にかこつけて涼みにくる予備校生に占拠されかねないそこらの公立図書館の足もとにも及ばない真面目さにあふれている。壁にかけられているデカい大宅壮一先生の写真もコワい。しかし、そうやって真剣そのものの目つきで読んでいるのは山と詰まれた『微笑』だったり、『平凡パンチ』だったり、『婦人公論』だったりするから奇妙と言えば奇妙だ。

 見ていると、どうもジャンルを系統だてて調べるタイプと、単に最近のトピックばかりを拾っている「ネタ拾い」タイプとにわかれるようだ。だが、誰もがそれぞれの方向と角度とで適度にまわりに放射する「いかにも仕事してるのよ」という雰囲気と態度とがどうも気になる。

 どこでもいい、ごく普通の公立図書館に行ったことがある人ならおわかりだろう。これほどまでにある一定の雰囲気の人々がある一定の雰囲気で「真剣に」座っているところは、まずない。病院の待合室や区役所のロビーなどにくらべても、その均質性はちょっと異様だ。だいたい、たとえば大学図書館の閲覧室にしてもそんなに眼を寄せて真剣に本ばかり眺めている連中はいない。結構のびをしたり、居眠りをしていたり、はたまた30分に一回くらいは席を立ったり、それなりにマイペースで、またそれなりに淡々としてるのが普通だが、ここは違う。異様に「真剣」なのだ。それは、敢えてほぐして言えば、「真剣」であることを一生懸命に自分に課しているような、そのことによってこの場にいる自分を一生懸命主張しているような、そんなどこかねじれた「真剣」さだ。

 どこかで見たことがあるな、と思って考えてみたら、そうだこれは予備校の図書室や自習室、あるいはその近所によくある貸し勉強部屋だな、と思い当たった。「勉強してるぞ」という姿勢を自分に向かって、そして周囲に向かって誇示したいがための「勉強」。その誇示したい思いの方が勉強することそのものを追い越してしまった奇妙なズレ具合のもたらす均一さが、あのテの自習室や貸し勉強部屋には充満していた。

 「確かに、普通の図書館などとは違う雰囲気ですね。まぁ、いらっしゃる方が色を持っているというか、そういう方ばかり集まるわけですから……」

 そのちょっと妙な感じを先の中澤さんもある程度認める。中には特に用もなさそうなのにいつもただフラッと来て座っているだけの人もいるという。

 雑誌が出てくる。目指す資料を検索し、眼を通し、必要なことがらをノートに書き移す。さらになお必要ならばコピーをとることもできる。欲しい部分のページに付箋紙をはさんで書類に必要なことを書き込めばそれでいい。

 コピーは通常一枚150円。この、コピー料金が高い、という不満は大宅文庫について必ず聞かれることだ。しかし、ちょっと待て。それは実は逆恨みなのだ。中澤さんが言う。

 「そういう声はよく聞きます。でも、たとえばですね、検索のためのカード。これを一枚作るためには人件費や何やでだいたい100円じゃきかないわけですよ。もとの資料を整理したり分類したりという手間や労力も私たちが提供する資料にはかかってきますから、それらもろもろを含めてコスト的に決まってくる値段ということです。決してコピーで儲けているなどということはありません」

 関西方面からの電話請求などでは、コピーの一枚150円という料金を納得させるのに大汗をかくこともあるとか。

 「むしろ、情報はタダだ、と思われると困るわけですよ。情報とはそういう手間をかけて初めて利用していただけるようなものになっているということを考えていただきたいですね」

 1985年より機器二、三台で始めたファックスサーヴィスも昨今は利用者がうなぎ昇り。正確な利用数は「忙しくてとてもそこまで把握しきれていません」ということだが、現在、送信専門のファックスが十数台稼働していてデジタル回線も導入、一日に1,000枚以上送信することも珍しくないという。維持会員を対象にした利用登録制。30枚単位、100枚単位のセット料金があって、それぞれ年間15,000円、47,000円と割安になる。ということは、アルバイトで大宅文庫に資料のコピーとりの「お使い」によこされる人々は、そのファックス費用よりも自分のバイト料や電車賃の方が安上がりなために「お使い」として使われていることになりはしないだろうか。


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 コピーをとる付箋紙つきの雑誌と、そのまま返却する雑誌とを別々にカウンターに返す。「本日のお調べものはもうお済みでしょうか?」と尋ねられる。そうです、と答えると「お疲れさまでした」あるいは「ご苦労さまでした」と声をかけられる。僕はこれが未だになじめない。先の閲覧室のなんとも言えない妙な内輪意識とどこかでつながっているような気もする。できあがったコピーは一階のカウンターで料金と引き換えに受け取る。これで終わりだ。

 「なんだかウチに来ればなんでもあるんじゃないかと思われているんですよね。調べものの作法がわかってない方が多い。あと、自分が何を調べたいのか、何のために調べたいのか、よくわかっていない」

 中澤さんは軽く嘆く。自分もよくわかっていない、説明できないものを調べようというのだから、そりゃ確かに難しい。

 「ちゃんとこちら側というか、係に尋ねて欲しいですね。こういう項目も調べたらいいですよ、とか、アドバイスできる人間が必ずいるはずですから。うまく利用してもらいたいです」

 中澤さんは学生時代、探検部に所属していたという。

 「やはり、現場に行かなければわからないことってあります。たとえば、遭難しなければ遭難っていうのは実はわからないんですよ」

 こう言うと同時に、そのような素朴な現場主義が今ではかつてのように、ただ現場へ行けばよい、というだけではうまく実を結ばなくなっていることにもきちんと言及できる中澤さんにかかれば、雑誌の読み方も少々変わってくる。

 「電車の中吊りとか見てると、あれ、こういうのウチのどこかで見たなぁ、という記事ばかり。なにかあらかじめ型が決まってしまってて、そこにちょっと新しい情報流し込むだけなんでしょうね。とりわけ女性週刊誌なんかに多いような気がします。ウチにあるかつてどこかで何回も作られたような記事とほとんど同じものをまた作ってる。」

 だが、そんな「これどこかで見たなぁ」というだけの情報もまた整理分類されて資料として大宅文庫のストックに組み込まれ、データベースの一部をかたち作ってゆく。

 たとえば、先に見たような「カツ丼」にまつわる雑誌情報の還流は、誰かがカツ丼についてこのような「書く」仕事のサイクルとは別の、たっぷり手間と時間をかけた仕事をして新たな記述の水準を示さない限り、「こんなものかな」というところでとりまとめられ、切り貼りされた情報の水準をつき抜けることはないだろう。閉じられたサイクルのすでに決められた幅と密度の情報の中で少しも本質的でない差異ばかりが猛烈な速度で生み出されてゆく膨れ上がった雑誌メディア市場の空回り。ちょっと考えれば誰もが「妙だな」と思い、しかし思いながらも日々の仕事の流れの中、それぞれの仕事の現場でできることとしてはほぼどうしよ               うもなくなっているという煮つまりきった悲喜劇。多くの場合、「仕事なんだから」「プロなんだから」というもの言いひとつでこのような悲喜劇はひとまず直視しなくてもすむものにされ、忘れ続けるために人はまた空虚なドタバタに身をひたしてゆく。

 「ここんところいそがしいんだよ」「ずっと立て込んでるんだ」「とっちらかっててさぁ」……「書く」仕事の周辺の至るところでもはや挨拶代わりにすらならないほど自明のものとなったもの言いと共に、自分のものではない速度で「忙しく立ち回るワタシ」が押しつけがましく上演され、そして耐えられなくなると、リクルートの社員のようなうつろな元気良さ、過剰な明るさを仮面とするか、さもなくばすでにすすけたものになったギョーカイ幻想にすがり、身につかない奇妙なステイタス意識に自分を隠してゆくか、そのどちらかに逃げ込むばかり。いずれにしてもますます「書く」仕事本来の主体性からは遠のいてゆく。

 その空騒ぎ、空回りがもしかしたら自省できるかも知れない可能性の最先端の現場、読み解き方と使い回し方によってはいくらも豊かなものが立ち上がってくるかも知れない確かなデータベースの切羽に、中澤さんたちは仕事として立ち会っている。だが、状況は変わらない。当分変わる気配もない。とすれば、それは相当に辛い仕事ではないだろうか。

 「それはありますけど……でも……」

 不躾な質問に困惑した顔で少し考えたあと、それでもきっぱりと中澤さんは言い切った。

 「……当分は、これまでのやり方を続けるしかないと思っています。」

 今どきの、特に比較的若い世代の書き手たちに言いたいことはありますか、と最後に尋ねてみた。

 「書いたことにはちゃんと責任持って欲しいですね。」

 即答だった。自戒も込めて全く同感だ。

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*1:別冊宝島『ライターの事情』掲載原稿。

*2:取材協力・樫村政則+丹羽由佳里