前略 小林よしのり様

 

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前略 小林よしのり

 

 お元気ですか? 思えばずいぶんご無沙汰しています。「あたらしい歴史教科書をつくる会」でご一緒していた頃から数えれば、もうそれなりの年月がたってしまいました。

 その後、お変わりなくご活躍のご様子……と、まあ、型通りの挨拶くらいはしておきたいところですが、本業のマンガ「ゴーマニズム宣言」は言わずもがな、その他、責任編集の雑誌「わしズム」や、「朝まで生テレビ」その他のテレビ番組などで流される小林さんの時事的、論壇的な発言、コメントなども含めて、いまは単なる読者=ひとりの「良き観客」としてそれら一連の仕事を遠目ながら拝見している限りでも、あたしの見知っていた頃の小林さんと比べて、いろいろとまあ、お変わりがあるようですね。男子三日会わざれば刮目して見よ、とか。小林さんからの電話を最後に「つくる会」を事実上粛清、追放されて以来、その後実際に会うことはないままですが、もしも仮にいま、顔を合わせる機会があったとしても、すでにあの頃の小林よしのりとは別の存在になってしまっているのだろうことは、容易に推測できます。

 それは単に、主義主張が変わってしまった、というような意味においてではありません。そういう意味においてしか小林よしのりを見ることができなくなってしまった、そのような今の立ち位置に自分を仕向けてしまった小林さん、あなた自身へのとても残念な気持ちを含めてのこと、です。

 なので、そのあたりのことも含めて、今回、少し伝えておいた方がいいと思うことを、この場を借りてつづらせてもらうことにします。今の小林さんにとっては耳に快くないことが主になるかと思いますが、そのへんはまあ、一応は昔なじみということで、ひとつご容赦ください。



 小林さんとは「あたらしい歴史教科書をつくる会」を介して、ある時期、言わば共闘関係にありましたね。

 左翼界隈の古びたもの言いを持ち出すならば、同伴者、と言ってもいいかも知れない。あの時期、向こう意気だけが頼りの若造大学教員だったあたしが、結果として大学を辞める決断をし、小林さんに同伴しながら学んだことについては、今でも素直に感謝しています。そうでなければ今頃、いよいよ最終的な滅びの過程に入ったこのニッポンの大学という場で、およそ身にもつかない教員ぶり、眼前の世間に自前で向き合おうともしない知識人渡世に、おのが生活の安定だけを守り札にしながら未だ汲々としていたことでしょう。

 当時、あたしは、「ゴーマニズム宣言」をひっさげて同時代の若い世代の読者に新しい〈リアル〉、それまでのパラダイムと違う世界の見かた、考え方を示してゆくことになった描き手として、小林よしのりに注目していました。いささか言挙げすれば、小林さんの仕事に新しい知性、それまでとは違う言論の可能性さえかいま見ていました。それまで内輪の「活字ムラ」の中でだけの言論沙汰、評論渡世にうつつを抜かして、おのが仕事の世間に対する実効性を忘れてきた知識人/言論人の基準からすれば、当時の「ゴー宣」はケタ違いの影響力、破壊力を持っていた。「それまで素手と竹槍で戦っていた活字ムラに、核兵器を持ち込んだようなもの」というのは、その後よく引用されることになった小林さんと「ゴー宣」についての当時のあたしのもの言いですが、その評価は今でも間違っていたと思わない。だからこそ、そんな描き手がいらぬ「運動」沙汰に巻き込まれて妙なメルトダウンをしないように、いられるものならなるべくそばにいて、ことと次第によっては及ばずながら制御棒つっこむ役回りを買って出よう、と、まあ、僣越ながらそんな青臭い使命感も確かに抱いていました。

 思い返してみてください。当初、差別語問題から筒井康隆の「断筆」論争に参戦したり、あの薬害エイズ訴訟の「運動」に関わることから始まり、その後歴史教科書問題をくぐって、今のようなあっぱれ型通りの言論人になってゆくまでの過程で、小林さんのまわりに集まってくる人々はほんとに有象無象、たくさんいました。今もまだいるでしょう。

 けれども、彼ら彼女らの多くは、単におのれの主義主張をどのように広めてゆくか、そのためのパワフルな道具=ツールとして小林よしのりと「ゴーマニズム宣言」を利用しようとし、事実、そういう思惑からのみ小林さんを「評価」しようとしていました。部落解放同盟であれ、薬害エイズ訴訟の原告団であれ、あたらしい歴史教科書をつくる会の幹部連であれ、そのスタンスは基本的に同じこと。たとえどんなに「ゴー宣」に、マンガに理解を示す態度をとっていても、その実、今の時代はマンガが役に立つらしいから少し媚びておくか――言い方や物腰はともかく、つきつめたところの本音はひとまずその程度のことでした。そのことは何より、小林さん、あなた自身が肌で感じていたはずです。

 けれども、あたしの思惑は少し違っていた。小林さん個人をどう利用するか、などに興味はなかった。何より、そんな利用するための主義主張や、それらにまつわる利害などが当時のあたしにはなかった。未だに一部で言われているような、それまで市民運動に協力的だった小林よしのりを保守陣営に取り込むために策動した大月、というのは、その意味で全く間違っています。薬害エイズ訴訟での小林さんの体験を素材に、そういう「運動」批判としての『脱正義論』を描くようあたしが慫慂したのは事実ですし、また、当時左右対立のイデオロギー図式が未だ明確にあった状況で、言わば火中の栗だった歴史教科書問題に敢えて首を突っ込むことに「ゴー宣」としての意義を感じて後押ししたのも確かですが、だからといって、あたしがいわゆる保守陣営に連なるものだったわけではない。そのことは、他でもない、「つくる会」の会長だった西尾幹二さんに素敵な罵倒まで頂戴して会を放逐されたことでも明らかでしょう。そのことは、あたしにとっての勲章だと心得ています。

 あたしが見ていたのは、変わりゆく時代状況と情報環境の中で未だ姿が見えないながらも確かにうごめき始めていた新しい知性、新しい常識に何か輪郭を与えてゆける触媒=メディアとしての小林よしのりと「ゴーマニズム宣言」、でした。だからこそ、そのメディアとしての広がりを支える小林よしのりという存在が、存分に稼働できるよううまくメインテナンスしておく立場が必要だ、と思った。それも、通常そのような立場にあるだろう秘書や担当編集者といった職分ではなく、できれば小林さんと「ゴー宣」に最も深刻に侵害されるようになった過疎の活字ムラ、知識人/言論人の棲息領域から。あの頃の小林さんと「ゴー宣」が喚起し始めていたそんな可能性に、向こう見ずに投企しようとしたのも、それゆえです。スタンドアロンのツールとしてでなく、ある広がりを現前化するメディアとして「評価」する――この違いは、単に小林よしのり個人に対してだけでなく、マンガ家小林よしのりがスタッフやまわりの人間と共に生産してゆくマンガなり何なりの商品が市場を介して同時代の読者との間につむぎ出してゆく、その不定形でとりとめない「場」をもまるごとひっくるめてその価値を認めてゆこうとする態度につながります。

 とは言え、この考え方が当時、うまく世間に、特に活字ムラの人たちに理解してもらえたとは思えません。また、何よりあたしのこういう思惑での半ば勝手連のような同伴者的共闘沙汰が、当の小林さんにとって果たしてどれだけ役に立ったのか、それも正直よくわからない。その意味では確かに、あたしの投企は収支決算として赤字だったのでしょう。

 ですから今回、この『諸君!』のような雑誌のこのような特集で、「言論人」のひとりとして小林さんをとりあげなければならなくなっていること自体、あたしには感慨深いものがあります。韜晦もアイロニーもなく、文字通りの「言論人」として今、小林よしのりに言及せざるを得なくなってしまっていること、そのことを、そういう今のニッポンの言論状況の不幸をこそ、まずあたしは他でもない小林さん自身に静かに省みてもらいたい、省みてそんな不幸の真っ只中で閉塞している今の小林さんの立ち位置に思い至って欲しい、そう願っています。



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 小林さん、思い起こしてください。あなたは正しく「マンガ家」でした。

 マンガ家であること、発行部数数百万部のマンガ週刊誌で読者(それは小学生から中学生を中核とした、まさに“子供たち”です)の人気投票に毎週毎週さらされながら第一線の人気作家としての地位を獲得してきた、その熾烈な市場競争での体験に根ざした商業作家としての自信と自負とが、当時の「マンガ家」小林よしのりの最も確かな足場だったはずです。「ゴーマニズム」というもの言いも、単にマンガ家風情が分際を超えて敢えて傲慢かます、という表層の意味においてだけでなく、そういう商業作家として市場と格闘しながら自分をつくりあげ維持してきた経験と自負に重心がかけられていたからこそ、だったはずです。当時、よくネームに出てきた「プロとして…」というもの言いのその「プロ」というのもまた、仕事を介して関係の中で自分の分際を思い知ってゆくことの豊かさと確かさを身にしみてきた、そのことの誇り高き表現だったのではないのですか。

 薬害エイズ訴訟で「運動」の現場の不自由に巻き込まれた体験を描くべきだ、と、あたしが主張したのも、何もイデオロギーの問題からではない、そういうひとりの「プロ」が「プロ」としての等身大の正義感から素朴に動いたことが、その「プロ」であることの豊かさを理解できない、しようともしない最初にイデオロギーありきの輩――大文字のもの言いでおのれを糊塗し、自意識をだらしなく肥大させるにまかせてしまっている連中に蹂躙されてゆくことが許せなかった、ただそれだけのことです。

 そんな連中は、掲げる主義主張が右であれ左であれ同じこと、「運動」のメカニズムにおのれを依存させて疑わず、借り物の大文字=イデオロギーに自分の属するなけなしの場の〈リアル〉を奪いとられてしまっていることにも気づかない。のみならず、ひとりの人間としての「プロ」の魂を抑圧することさえ平然とやってのける。

 それは、思い切り引いたところで言ってしまえば、「集団」と「個人」の間に常に横たわる古くて新しい問題のヴァリエーション、だとも言えます。だとすれば、当時、「マンガ家」小林よしのりの中にあたしがかいま見たのは、そういう古くて新しい問題を同時代の情報環境において確かに表現して提示することのできる可能性であり、そういう意味で「あるべき人間」「信頼すべき個人」の形象だったのかも知れません。

 なのに、マンガ家が言論人になってしまう、世渡りが何であれ、いずれ世に棲むことにおいてひとかどの「プロ」であった者が、いつしか型通りの言論人としての役回りを演じねばならなくなってしまう、そういう不幸をこのニッポンの九十年代以降の状況は準備してしまった。誰もがその覚悟も器量も持ち合わせないまま、うっかりと言論人にならされてしまう。それはインターネット環境の普及と浸透によって、そんなプチ言論人がそこら中に発生するようになったことひとつとってもうなずけるでしょう。

 しかし、敢えて言います。そういう今のニッポンを生きるわれわれが引き受けねばならなくなっている不幸のひとつの典型が、他でもない小林さん、今のあなただ。

 間違わないでください。マンガ家が言論人になるな、というのではない。きちんとマンガ家でいながら言論を獲得するべきだ、ということです。これまでの言論人がこれまでの情報環境であたりまえに振り回してきた「言論」とはまた別の、マンガ家ならマンガ家という分際においての言論のありよう。仕事を介しておのが立ち位置を見い出した「プロ」がその「プロ」であることの立場、「信頼すべき個人」としての器量を失わずに自前でものを考え、発言してゆこうとすること。「プロ」としての言論人というものがこの先、新しい情報環境においてなおあり得るのだとしたら、これまでの言論人/知識人のルーティンとは違う、そういう個々の「プロ」としての信頼において、です。活字ムラの古びた掟まかせの政治に巻き込まれ、取り巻く出版社の媚態やお追従におのれを見失い、真に信頼するべき「良き観客」の視線さえもうまくおのが身に受け止めることもできなくなってしまったようなマンガ家は、いかにマンガを描いていてもそれはすでに「プロ」としての、「信頼すべき個人」としてのマンガ家ではない。

 そういう意味で小林さん、あなたはすでに、かつてあなたが高らかに標榜してみせたような意味での「プロ」ではなくなっている。マンガ家として「プロ」でないし、だからこそ、言論人としても「プロ」にはなり得ていない。そういう「プロ」として同時代の「信頼すべき個人」をかいま見せてくれる存在ではなくなっていることについて、さて、今のあなたにはどれくらい自覚があるのでしょうか。自ら言論誌を主宰し、活字ムラ出自の知識人たちとひとまずつきあえるだけの知識や情報も抱え込み、テレビでさえも彼らと仲良く喧嘩してみせるつきあいのコツや人間関係の駆け引きなどもそれなりに身につき、求められれば時事的なできごとに対して注文通りのコメントのひとつも出すことができる、その程度にもうあなたがただのマンガ家、言論のシロウトとしてボロを出すような事態はなくなってきているでしょう。また、その程度に小林さん、あなたはよく勉強もしたはずだ。そのことは認める、尊重する。

 けれども、十年前、あなたとあなたの「ゴー宣」が確かにはらんでいた同時代に対する〈リアル〉のかけがえのなさ、は、残念ながらもう、宿っていない。これから先、再びまた宿ることができるかどうか、それはあたしにもわからない。けれどもそれは、今のままだと限りなく難しいことだと言わざるを得ない。その意味で、あなたも「ゴー宣」も、もはやその同時代に対する役割をひとつ、終えているのだと思います。

 ならば、話は簡単です。もう一度あなたはあなたの「分」に気づいて欲しい、それだけです。たかがマンガ家の分際で、という、以前は耳タコで聞かされていたはずのあの腹立たしいもの言いを、今こういう状況だからこそもう一度、耳の底から思い起こしてみてください。最近、そんなもの言いをあなたに面と向かってまともに投げかけてくれる人が、どれだけいますか? お追従笑いでへこへこ言い寄ってくるあなたより年若い連中が、あなたを「プロ」のマンガ家として正当に評価し、つきあってくれていると実感したことが、果たしてどれだけありますか? それは小林さん、あなたという存在がマンガ家から言論人へと、「プロ」から悪い意味での俗物へと、そしてマンガのはらんでいた可能性が活字の硬直へと、いずれ「上へ向かって堕落してしまっている」ことの反映なのだと、あたしは思います。



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 小林さんの近年のスタンスである「反米」についても、少し言わせてください。

 歴史教科書問題のからみで、あの戦争での最も象徴的な相手であり、そこから「戦後」を否応なしに規定してきた「アメリカ」という存在にあなたの関心が移ってきたのは必然でしょう。「反米」に至る前提には、日本人として、日本というこの国のありよう、いま現在に至るその経緯=歴史も含めてきちんと認識してゆこうとする態度がある、そのことも理解できる。けれども、あなたのその「反米」が、かの9.11を境にして一気に先鋭化していった、そのことの意味はまた少し別のものがあると思っています。

 小林さん、あたしが以前、小林さんをアメリカに連れてゆきたい、と言っていたことを覚えていますか?

 あれは確か、「ゴーマニズム宣言」がすでに大きな力を読者に対して持つようになって、それまでのエンターテインメント、言葉の最も豊かな意味での娯楽商品としてのマンガという意味においてだけでなく、ある種のオピニオンリーダー的なニュアンスさえも期待されるようになった、そういう状況で「マンガ家」としての次の一手をどうすべきなのか、思い悩んでいられた頃のことだったと記憶します。当初、「ゴー宣」を連載していた『SPA!』からわけあって『SAPIO』に移籍した頃だったかも知れません。新しい編集部が、小林さんに海外取材をさせてみたい、などというオファーをしてきていた。一から十まで版元がセッティングしてコーディネーターぐるみで世話をする、そんな既成の大家に対するようなお仕着せの「取材」になじませてしまうことで、それまでの「ゴー宣」のつむぎ出してきた〈リアル〉に対する同時代の信頼感が薄くなってしまうのではないか――そんな懸念が、あたしの中にはありました。後になって振り返れば、それは「台湾論」に連なってゆく布石だったわけで、あたしのその懸念は的中するのですが、それはまた別の話です。

 小林さんだけでなく、当時有能な秘書として影に日向に小林さんの仕事をフォローしていたカナモリさんや、実際にマンガの制作に携わっていたチーフのヒロイやポカQといった、「ゴー宣」にもキャラとして登場していたよしりん事務所の名物スタッフ全部ひっくるめて、ひとつアメリカ珍道中をやりましょう。できれば飛行機などでなくクルマで、さらに欲を言えばそれこそグレイハウンドの長距離バスで西海岸からアメリカを横断する。そうしながら普通のアメリカ人、等身大のアメリカンライフの現在をつぶさに、まさに当時の「ゴー宣」の視点で眺めてもらい、その体験をそのままマンガにしてもらう。そのことによって、すでに当時ある種のステレオタイプになっていた「アメリカ」のイメージの向こうがわにあるものを、その頃最もいい水準を示していた「ゴー宣」読者の広がりと共に、ゆっくり考えるよすがにしてゆけるのではないか――およそ、そんなことを言っていたはずです。

 小林さん、アメリカに行ったことは? と尋ねた時、返ってきたのは、あるよ、という答えでした。『少年ジャンプ』で「おぼっちゃまくん」を連載していた頃、編集部の企画した読者サービスでファンの子供たちと一緒に西海岸へ観光旅行についていった、それくらいやけどねえ。定例だった事務所スタッフとの慰安旅行で海外旅行に行く時でも、敢えてアメリカ本土を選んだことはない――当時、そう聞きました。

 だったらなおのこと、一度ちゃんと行きましょうよ。いや、あたしとてそんな偉そうに言えるほどアメリカを知っているわけではないけれども、それでも、大文字のもの言いだけで「アメリカ」をうんぬんする危うさに自分を見失うよりはずっとましだと思う。そうやね、そういうのをやってみても悪くないかも知れんね。

 そう言うあなたの表情を眺めながら、あたしの念頭にあったのは、当時人気番組になっていったテレビの「進め!電波少年」と、もうひとつ、小田実の「何でも見てやろう」でした。

 60年安保をひとつの極相として展開していたいわゆる左翼系の運動がひとつ煮詰まっていた状況で、当時のフルブライト留学生である小田実が、「自分の見聞」から極力離れないまま、それまでの知識人の言葉からすればはるかに話し言葉に近い水準でアメリカでの見聞を語り、言葉にした著作「なんでも見てやろう」が、鶴見俊輔に代表される当時の「良識派」と目されていた知識人/言論人たちの心をとらえた。それがベ平連の誕生にもつながり、それは後にはピースボートというすさまじい頽廃に至る過程をもたどるわけですが、そういう「戦後」の日本の市民運動(このもの言い自体いろいろなバイアスがかかっていますが、ここでは敢えてこのまま使っておきます)の、栄光と悲惨の重要なポイントに、そういう等身大の「見聞」を下敷きにしたつぶさな言葉の水脈があった、そのことも頭にありました。「ゴー宣」がはらんでいた〈リアル〉の質があったとしたら、60年代半ばの情報環境、言論状況において小田実のような水準の言葉が言論/思想の領域に喚起したであろう、壮大な勘違いも含めた何ものか、と、ある部分で通底しているはずだ――思えば、まともに表沙汰にしたら一笑に付されそうなことを、あたしは真剣に考えていました。谷川雁や上野秀信らの「サークル村」の系譜、杉浦民平や井上光晴などまで含めた記録文学系の仕事の大きな流れなども視野に入っていました。等身大の言葉やつぶさな表現による同時代の信頼のおける〈リアル〉をつむぎ出してゆくこと、そしてその〈リアル〉を介して同胞がみな賢くなってゆけること――その可能性を、民俗学者としてのあたしは常に意識してきたつもりです。

 もちろん、あなたが「反米」というスタンスを固めてゆく過程では、すでに大方の見る通り、西部邁さんの存在も大きかったのでしょう。あたしが粛清された後、西尾幹二さんや藤岡信勝さんと、西部さんとの間で、小林さんという「玉」の争奪戦が起こった。そして結果的に西部さんが小林さんを獲得した形になった。その後「反米」と「親米」という対立軸で理解されることになったこの双方の立場の相違も、その背後には「マンガ家」である小林さんを「運動」のための「道具」として考えることしかできない嫌いのあった西尾さんたちと、マンガ自体に理解は薄いもののそれ以上にひとりの人間、一個の「プロ」として理解しようとする構えがいくらかでもあった西部さんとの違いが横たわっていたのではないですか? そしてそれが、小林さんにとっての信頼感の濃淡を結果してしまった、と。一時は「マンガを読むなんて家系の恥」とまで言い放ち、それに対して他でもない「ゴー宣」で揶揄されていたこともある西部さんが、どういうつもりで「ゴー宣」をまっとうに読もうとするようになったのかについては未だによくわかりませんが、なにせ学生運動の修羅場をくぐり抜けて生き延びてきた人のこと、何かまた別の戦略的思惑もあったのでしょう。でも、それはそれとして、「マンガ家」小林よしのりをまさにそのマンガ描きとして、「プロ」として尊重しようとする態度において西部さんの方があなたの信頼を勝ち得たのだろう、そうあたしは理解しています。

 にしても、今のあなたの「反米」にはあたしは納得できない。それは主義主張として納得できないというよりも先に、その背後に何か信頼すべき主体、耳傾けるに足る実存が見えないことに対する根源的な不信感なのです。それは残念ながら、これまでの知識人/言論人に対していま、大方の同胞が持ってしまっている不信感と、その質において同じものです。その意味で小林さん、残念ながらあなたはすでに立派な言論人です。9.11に対する評価にしても、アラブの自爆テロに対して「その手があったか!」と言ってみせる身振りには、その場の独自性を演出することだけに先走る言論人/知識人特有の衒いに振り回されている印象が強くありました。状況的に、西部さんのアメリカニズム批判と軌を一にしていることは傍目にもわかりましたが、しかし、それが同時代の「良き観客」が確かに耳傾けられるだけの手当てもできないまま先走っている感は否めませんでした。

 小林よしのりゆえの、そして「ゴー宣」ゆえの〈リアル〉を見出せない限り、もう、あなたの「反米」に、同時代が広く納得させられることはないでしょう。あなたが志すようなアメリカニズム批判の脈絡での「反米」とは、突き詰めればその本質として、今のこのニッポンの「豊かさ」、高度経済成長を介した「戦後」そのものを否定するモメントをはらまざるを得ません。思想として言論としてそれもありだ、というのはもちろんですが、しかしそれは「反近代」「反帝国主義」「反文明」といったすでに手垢のついたサヨク/リベラル図式の頽廃へと安易に流し込まれてゆく危うさと背中あわせでもあります。だとしたらなおのこと、そのような頽廃を介してこれまでの知識人/言論人の悪しき自意識、われひとり尊しという「個人」主義に足とられてしまうことからも身を遠ざけておくだけの思想的配慮が求められるはずです。9.11以降、「反米」を介してあなたが急速にその主張をいたずらに先鋭化させてゆき、それまでサヨク/リベラル陣営と目されていた人士との交流さえも深めていったことは、何も巷間言われているような思想的転向などではなく、あたしの見るところ、そのような実存なき言論沙汰、おのが言葉の足場を喪失した思想ぶりっこゆえの錯乱、野合でしかない。言論/思想としての「反米」に、真に「ゴーマニスト」としての〈リアル〉を吹き込むためには、まず、大方にすでに言論人と目されてしまうようになっている今の小林よしのりを自ら否定すること、否定して、いまのこのニッポンの「豊かさ」の内側からもう一度、「プロ」としてのマンガ家、「信頼すべき個人」に復員する手だてを本気で講じようとすることでしょう。

 何も難しいことではない。今のその制御を失った言論沙汰から潔く「おりる」こと、です。ストレスからヤケ食いするような既存の知識の何でもありの食いちらしという悪しき習慣を絶つこと、です。言論人と呼ばれてしまうようになった、そしてそれを世間の大方が何とも思わなくなってしまっている今の自分について、もう一度見つめなおしてみることです。大きなお世話だ、と言われるのならばそれはそれで結構。かつて、小林さんと「ゴー宣」とに確かにある可能性を見出した者のひとりの戯れ言として聞き流して、どうぞ、今のままの「上に向かっての堕落」を続けてください。最後まであたしは、あなたの「良き観客」のひとりでいようと思ってはいます。


 ひとまずどうぞお元気で。事務所のみなさんにもどうぞよしなに。妄言多謝。