小林よしのり、という自意識


 小林よしのり、の現状の「恥ずかしさ」について述べる。

 異能の“プロ”としての漫画家から、ただの凡庸な十把ひとからげの言論人として「上へ向って堕落した」現状のことであり、その立ち位置から「反米」を弄して思想/言論沙汰に明け暮れるようになった経緯についてだ。その原因についてはある部分、幻冬舎小学館という、近年彼をプロモートする立場にある者(活字出版業界の商売人)たちの責任が実は大きいと見ているのだけれども、そのへんのことはこの場ではひとまず措いておく。まずは当人、ご本尊の症状についてだ。

 これについては二年前、『諸君!』誌上で手紙形式で論評したことがある。案の定、ご本尊からは黙殺されたが(笑)、基本的な見解はそこで出してあるし、今もその認識は大枠で変わらない。

 「9.11以降、「反米」を介してあなたが急速にその主張をいたずらに先鋭化させてゆき、それまでサヨク/リベラル陣営と目されていた人士との交流さえも深めていったことは、何も巷間言われているような思想的転向などではなく、あたしの見るところ、そのような実存なき言論沙汰、おのが言葉の足場を喪失した思想ぶりっこゆえの錯乱、野合でしかない。」

 「今のあなたの「反米」にはあたしは納得できない。それは主義主張として納得できないというよりも先に、その背後に何か信頼すべき主体、耳傾けるに足る実存が見えないことに対する根源的な不信感なのです。それは残念ながら、これまでの知識人/言論人に対していま、大方の同胞が持ってしまっている不信感と、その質において同じものです。その意味で小林さん、残念ながらあなたはすでに立派な言論人です。」

 9.11を契機に「親米ポチ・ホシュ」を新たな「敵」に想定、新たな戦いのステージが!、と煽っていった。それは芸風だし別にいいのだが、しかし、もとはと言えば『戦争論2』をめぐって表面化した「つくる会」を中心とした当時の「保守」サークル内での小林よしのりという「玉」をめぐるヘゲモニー争いに端を発した、言わば内ゲバに過ぎない。なのに、何やら大文字の思想/言論の舞台でだけことが持ち回られ、メディアもつるんで大層な思想問題のようにぶくぶく肥大していった、それがどうにも「恥ずかしい」。

「あなたが「反米」というスタンスを固めてゆく過程では、すでに大方の見る通り、西部邁さんの存在も大きかったのでしょう。(…)西尾幹二さんや藤岡信勝さんと、西部さんとの間で、小林さんという「玉」の争奪戦が起こった。そして結果的に西部さんが小林さんを獲得した形になった。その後「反米」と「親米」という対立軸で理解されることになったこの双方の立場の相違も、その背後には「マンガ家」である小林さんを「運動」のための「道具」として考えることしかできない嫌いのあった西尾さんたちと、マンガ自体に理解は薄いもののそれ以上にひとりの人間、一個の「プロ」として理解しようとする構えがいくらかでもあった西部さんとの違いが横たわっていたのではないですか?」

 経緯はざっとこんなもの。で、問いたいのはその思想や信条、理屈の中身ではない。どうして漫画家小林よしのりが、そのような言論人的な方向にわざわざ自意識を変態させてゆき、結局今のように身動きとれなくなっていったのか、ということだ。

 「台湾論」に手を出した頃に、懸念は萌芽していた。ニッポンのマンガ、特に「戦後」の内側でのマンガは、メディアとして良くも悪くもドメスティックであり、それはマンガの制作者の自意識やその制御のスキルも含めてのことだ。だからこそ、いかに当時の『ゴー宣』であってもあのような形で、版元主導でだけ考えなしに国境を超えることはリスクが高いはずだったのだが、彼はその敷居を超えてしまった。言論人の自意識の大文字で語られる台湾は、小林自身がいかに誠実に勉強しても、否応なしに国境を超えたところの〈リアル〉と関わらざるを得ない。『脱正義論』『戦争論』とドメスティックな範囲で連戦連勝、圧倒的ですらあった『ゴー宣』のマンガとして、メディアとしての破壊力が、それまでと違う種類のひ弱さ、あてにならなさを曝け出すことになるきっかけだった。

 もうひとつ、雑誌『わしズム』を自前のメディアとして持ったこと。要は幻冬舎による作家の「囲い込み」なのだが、それでも小林自身が、既存の論壇/文壇の下部構造から離れたところで自分の好き勝手にできる場が欲しいと願ったのも本当だろう。言葉本来の意味での「同人誌」の初志。現われとしての思想信条が何であれ、そのような「自前」で場をこさえるという“夢”が活字の周辺に綿々と宿ってきた、そのおそらくは最終形態。その意味で、はるか大昔の『試行』や『情況』、『思想の科学』などの末裔であり、今の情報環境では、たとえば『ロッキンオン』と並べて語るのが最も正当だと思っている。

 なればこそ、ここでもまた、そんな“夢”が、なぜ本来は漫画家である小林よしのりにとりついてしまったのか、ということが問われねばならない。


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 漫画家としての小林よしのりは、「読者」という鏡を見ながら自分を微調整してゆく、そんな作業を描き手としての自意識を保つ上でやってきたはずだ。言うまでもなく、その「読者」とは、“プロ”としての原体験である600万部時代、市場が量的にも質的にも最も肥大して膨れ上がった時期の『少年ジャンプ』というメディアを介してイメージされたものだ。後に『SPA!』誌上で『ゴーマニズム宣言』を始め、それまでと違う市場に向って「発言」を続けてゆくようになった時も、「小林よしのり」という自意識にとっては、常にそのような作業の連続の中で自分の輪郭を整えてゆくことが不可欠だった。でなければ、差別問題から薬害エイズ騒動に至るあの初期の段階で、あれほど広汎な支持を獲得はできなかったろう。それまでのいわゆるインテリ/知識人の自意識形成の作法と、まるで違っていた。つまり、活字の世間にとって異質の「個人」、だったのだ。

 大学なり学界なり、あるいはジャーナリズムでの論壇や文壇を足場に、いずれ「内輪」との関係でだけ「正しい」こと、「真実」に近づくことを、程度の差はあれ身上としてきた活字の知性たちに比べれば、気まぐれであてにならないことこの上ない「読者」の評価によって敏感に自分の形を変えて行かねばならない修羅場で呼吸してきた。だから、同じ「発言」であっても、それが紙の上に定着されて時間や空間を超えてゆき得るということへの信心よりはるか手前で、まず目の前の「読者」にどのように読まれるか、読まれて確かな反応が返ってくるか、ということだけを常に価値にせざるを得ない。そのように「市場」的な現実と常に対峙し続けて自分の輪郭を保ってきた者と、それらから制度として隔離されたまま、その環境にいつしかあぐらをかき、呑気にまどろんできただけの者たちとの「個人」の違いこそが、かつてあたし自身も「竹槍で闘っていた論壇ムラに核兵器を持ち込んだ」と評したような、小林よしのりのはらんだ破壊力の重要な源泉でもあった。

 そう、『ゴー宣』当初の小林よしのり自身が、世の中という市場的現実とは別の世界でものを考え、主張してくるのか当たり前だったインテリ/知識人的自意識、に対する、根源的な批判でもあり得たのだ。

 けれども、その「読者」という鏡、がある時期から、もう小林よしのりという自意識を整えるのに有効に働かなくなったらしい。それは単に読者の数、市場規模の問題でもない。作品を世に問う条件の変貌、インターネットを介した同時代の情報環境の変化も横たわっている。そんなメディアの変革期と、9.11をめぐる国際状況の変化が重なって、「保守」サークルの内ゲバに巻き込まれていた彼に襲いかかった。

戦争論2』2001年
あたらしい歴史をつくる会の教科書、検定合格 2001年
9.11アメリカ同時多発テロ事件 2001年
小林、「つくる会」脱会 2002年
わしズム』創刊 2002年
日朝首脳会談 2002年
小林よしのり×渡部昇一(対談)『愛国対論』2002年
小林よしのり×西部邁(対談)『反米という作法』2002年
              『アホ腰抜けビョーキの親米保守』2003年

 改めて、わかりやすい。「つくる会」を引っ張ってきた藤岡信勝西尾幹二に対して、論壇的には同じ「保守」と目されながらも、いろいろ渡世の事情含めてそれまで一定の距離を保ってきた西部邁渡部昇一などが、9.11を境にしたタイミングで小林を手にして一気に攻勢に転じた、という構図。もちろん、反米/親米、という“お題”は設定されているけれども、でも、ことの本質はもっと形而下の、あいつは前々から気に入らねえ、といったレベルのいさかいだったりする。

 で、それは悪いこっちゃない。思想だ言論だと言ってもしょせんニンゲンの営み、好き嫌いもあれば、生身のいざこざもある、それをむき出しにするのはあたしゃ認めるし、奨励すらしたい。そんな生身もあって、初めてその思想や言論の世間=市場に対する信頼も担保される。言葉で勝負、だの、発言と人格は別、だのといったありがちな能書きにしても、だからこそそれらは保たれるよう努力せねばならないルール=約束ごとなのだ、という認識と共に、また。

 小林が「反米」に重心を一気に移したのには、西部邁とその周辺にいるインテリ/知識人の影響が顕著だったのは明らかだ。9.11の直後、「その手があったか!」とやって「読者」の間でさえもドン引きする者が多数出て物議を醸した、あの発言にしても、嘘ではないにしろどこかでウケ狙い、ここは世間の通俗的な感じ方を逆手に取って一発派手なこと言ってやろう、といった意識もあったはずで、その意味では、昨今猖獗をきわめるあの「コメンテーター」の自意識とも、案外近いところがあるかも知れない。ウケることをとりあえず求められる場が棲息地となり、眼に見える反響や波紋をその後の過程への省察抜きに第一義にしてしまう、そんな性癖。読者=市場を相手の商売人としての「個人」が“プロ”の前提のひとつだから当然なのだが、ならばこそ、そんな「個人」にとっていちばんこわいのは「読者」「観客」=市場からの反応がなくなることだろう。でも、インテリ/知識人などという生きものは、そのためにこそ論壇だの文壇だの、内輪という枠組みで自分たちの約束ごとを守ろうとし、本来その中で自意識を制御しようとしてきた。小林自身、『わしズム』という「同人誌」を立ち上げようという“夢”を見た、それは正しくそのようなインテリ/知識人としての“夢”の系譜に連なるものだったはずなのだし。

 けれども、その「個」を可能にする環境自体、異なる位相をはらみ始めている。マンガ家としての「個」のまま、インテリ/知識人の干上がり始めた自意識の方へ身をすり寄せることで、彼は単に、漫画を上手に描ける凡庸な言論人になり下がってしまった。漫画を描ける、というだけで思想や言論沙汰に首を突っ込むブツが以後、男女を問わず湧いてきたのも、言論人へと劣化した小林よしのりというのは、その程度に置き換え可能な商品に過ぎなくなっていることの現われでもある。

 市場としての現実の中で、“プロ”としての職分を確立し、そのことで世間から信頼され得る「個人」として屹立してゆくこと、それが同時に創作にも良き影響を与えると信じている――漫画家としての「個人」小林よしのりの原点とは、そんなものだろう。今でも口にする“プロ”としての「個」には、そんな原点がまだ、微かながら反映されているようにも思うし、個人的にはそこにまだ、一抹の信頼も寄せてみたい気がするのだが。

「言論/思想としての「反米」に、真に「ゴーマニスト」としての〈リアル〉を吹き込むためには、まず、大方にすでに言論人と目されてしまうようになっている今の小林よしのりを自ら否定すること、否定して、いまのこのニッポンの「豊かさ」の内側からもう一度、「プロ」としてのマンガ家、「信頼すべき個人」に復員する手だてを本気で講じようとすることでしょう。」