みんな乗り物が好きだった

 みんな乗り物が好きだった。かつて男の子は、大きくなったら運転手になる、と胸を張った。電車に乗れば先頭車両、運転台のガラス窓に貼りついて運転士の身ぶりを一部始終見つめていたし、バスのシートでは靴を脱いで窓に向かってうしろむき、ずらり並んで外の景色を眺めるのが戦後の子供の習慣だった。「電車でGO!」に素直にハマれるいまどきのニッポンのオトナたちは、そんな高度成長期チルドレン、乗り物好きで“運転”にあこがれた子供のなれの果て、なのだ。

 尼崎のJR西日本の大惨事、原因の究明が進んでいる。無理な加速に非常ブレーキ、競合私鉄に対抗するための過密ダイヤや過酷な勤務シフト、さらには旧国鉄からJRへの移行に伴う職場風土の変化を指摘する向きもある。いずれ大いに検証、議論していただきたい。ただ、同時にまた、乗り物としての鉄道をめぐるわれわれ世間の側の変遷について心を配ってみてもいいのではないか。たとえば、運転台にスクリーンを降ろし、運転士の仕事ぶりを見せないようになったのはいつ頃からか。安全上の理由というが、しかし、見る/見られる関係の中でこそ維持される仕事の質もある。盆踊りの音頭取り、または捕鯨船キャッチャーボートの射手のように、子供もあこがれる仕事としての運転士や車掌、という立場の社会史的な変遷とその意味を考えることも、事故の再発防止のためには決して迂遠(うえん)でも無駄でもないはずだ。

 カッコいいなあ、という仰角の視線と、それを引き受け仕事を全うしてみせる器量。“プロフェッショナル”の条件とはそういうことだ。交通労働者、というあの味気ないもの言いにも、かつては間違いなくそういう艶っぽさもまた、確かにはらまれていたはずなのだからして。