「柳田國男」から、ふたたび

 柳田國男、という名前も、そろそろ忘れられかけているのかも知れません。

 何より、彼の名前をちゃんと記憶しておくべき前提、何と呼べば最もしっくりくるのかよくわかりませんが、たとえばそう、「思想史」とか「精神史」といった物言いで少し前まで仰角の視線と共に名づけられていたような領域が、すでにいまのこの国のことばをめぐる環境からゆっくりと後退し始めているようなところもある。そんな中、柳田國男という、かつて間違いなくある種の熱っぽさや向日性と共に人々の口の端にのぼっていたこの固有名詞もまた、その輪郭を薄いものにしていっているようです。

 民俗学、という言葉もまた、彼の名前のそのような後退と共に淡く漠然としたものになりつつあるらしい。

 いや、何も民俗学に限ったことでもなく、日本語を母語とするこの広がりにおいて、ことばを介して自らの「現在」を認識し、それらを共有しながら改めてこれまでの来歴とそれらを足場にしたこれから先、を共に考えてゆこうとする、そのための「学問」のありよう自体がもう、以前の当たり前と思われていたところから思えばもう、ずいぶん遠い、異なった場所に至ってしまっているようです。

 広義の人文学、横文字でヒューマニティーズと呼ばれてきたような領域に属するある知的営みの系譜。それが、どうやらこの日本語を母語とする環境においては、その内懐に抱かれているわれわれの考えているよりずっと急速に、そしておそらく不可逆な形で異なるありようを呈しつつあるらしい。

 けれども、高度経済成長以降の「豊かさ」の中で、有為転変の中にとりとめなく繋ぎ止められているわれら日本人の、〈いま・ここ〉のこの寄る辺なさ、どうしてこうなってしまったんだろう、としかひとまず言いようのない先行きの見えなさは、相も変わらずわれらひとりひとりの現在と共にあり続けています。今も昔も、少なくとも明治維新このかた、「近代」と否応なく遭遇することになったわれら同胞の運命の経緯においては。その程度に時代というやつは、その最も水底の部分では変わらない質をどこかにはらんでいるもののようです。

 だからこそ、です。

 柳田國男民俗学という名前の周囲にかつてある時期までは確実に宿っていたような「問い」のあり方、同胞が自ら賢くなってゆくための開かれた学問の形にいまいちど、素朴に素直にまっすぐに立ち戻ってみようとすることから、またひとつ「それから先」を見通せるものになるかも知れない。

 少なくとも、柳田國男民俗学という名前の周囲に、処世の上では右往左往しながらもずっととどまってきたあたしなどには、ある確信めいた感覚と共に、いまこのような時代、このような状況だからこそ、そのような想いがより強くなってきています。

 民俗学、というのはこの際、ひとまず脇に措いておきます。まずはその主語であるはずの柳田國男、そこからもう一度、この国のこれまでとこれからを考えてみることを始めてみたい。考えてみるための作法や心がけ、気構えといったようなところから含めて、誰もが普段使っていることば、身につきなじんだもの言いを介して共に賢くなってゆける、そんなかつて彼と彼の年若い仲間たちが「民俗学」に託したはずの初志を、他でもないこの21世紀の日本の「現在」、われわれの〈いま・ここ〉にいきいきと甦らせてゆくことを始めてみたい。

 柳田國男の名前をもう一度、今を生きるわれわれのこれから先に役に立つようにするための、さまざまな試みや営み、催し物や集まり、時には出版や放送から昨今のこと、web環境を介した仕掛けなどまで視野に入れながら、それこそかつてハガキと雑誌と旅とを介して全国に仲間のつながりを広げていったような形で、新たな国学としての「野の学問」の可能性をゆっくり考えてみたいと思っています。そしてそれが、どこかの地点で新しい民俗学、かつて民俗学という名前に託されていたような初志を引き受けられるだけの器量を伴った、言葉本来の意味での「現代民俗学」として自らの足で立てるようになるならば、われわれのみならず、この日本という国の行く末にとっても、とても楽しいことになるはずです。