福山に高知のサラブレッドがやってきた

*1 日本一貧乏な賞金で競馬をやっている競馬場と、日本一脚光を浴びようのない日陰者の競馬場が、勝負をした。17日、未だに全馬アラブだけの番組編成で頑張る福山競馬が、あのハルウララで知られる高知競馬のサラブレッドを招待したのである。

 一周が小回りの千メートル。コーナーが鋭角で「まるで弁当箱みたい」と言われる難コースを、史上初めて……いや、かつては福山にも若干サラブレッドがいた時期があったというのだが、少なくとも競馬が今日のように繁栄してからは確かに初めて、サラブレッドが走ることになった。

 経営不振にあえぐ公営競技のご多分にもれず、台所の苦しい中からひねり出して積んだ賞金は一着百万円。ここに、ふだん一着十万、サラ上級条件でも二十万程度の賞金で戦っている高知のサラブレッドが四頭、名乗りをあげた。ナイキアフリート、ニシノマキシマム、フォーバイフォー、パワフルヒッターという六歳から九歳まで、かつてJRAや南関東などで走っていた歴戦の馬たち。対する福山も、現在日本最強のアラブと言われるスイグン以下、ユキノホマレ、ラピッドリーラン、ヤスキノショウキなど、「アラブ最後の聖地」の名に恥じない一流馬が顔を揃えた。

 そもそも、いまやアラブ競馬はほとんど歴史の彼方。忘れられつつある競馬である。正確にはアングロアラブという。戦後、まだ競走馬資源が乏しかった頃、主に地方競馬では、アラブとサラブレッドの混血でアラブ血量25%以上の馬を「アラブ」として競走馬に使ってきた。スピードでは劣るものの、その分タフで使い減りせず、手もかからず、夏場もバテずに使えて、しかも値段も安い。牧場も馬主も、そして厩舎も主催者も、日々の仕事としての競馬を支える上でこのアラブというのは実にありがたい馬だった。

 だが、サラ偏重の時代の波に「外圧」もからみ、十年前の九五年、JRAがアラブ番組を廃止したのに続いて、地方競馬南関東、岩手に始まり立て続けにアラブ番組をなくしてゆき、かつては「アラブのメッカ」と呼ばれた園田からも昨年度、ついにアラブの番組が姿を消した。いま、日本でアラブの番組を持つ競馬場は、ここ福山と高知、荒尾くらい。他の競馬場にわずかに残るアラブは不利を承知でサラと混じって走るしかない。番組がないから生産者もどんどん転廃業、もはや来年デビューするはずの当歳馬でもわずか六十頭程度と、まさに絶滅寸前なのだ。そんな環境でなお全馬アラブで競馬をやっている福山は、他の競馬場からは「ババを引いた」と陰口を叩かれもする。さらに、この春からいくつか不祥事も発覚、逆風はさらに強まった。そんな中、主催する福山市は経営改善に躍起になっている。最後のアラブ競馬場の意地を賭けて、うちのアラブと勝負をしてくれませんか、と高知や荒尾、佐賀に持ちかけたところ、福山よりさらに悪条件に苦しむ高知がまず反応してくれた。

 せっかく呼んでくれちょるんやから手ぇあげんと、次から声かけてもらえんようになるやろ。福山も来年にはサラ入れるちゅう話もあるみたいやし、そうなったら高知とももっといろいろ交流でけるようになるんやから」とは、今回大挙三頭を連れて遠征してきた高知の田中譲調教師。騎手も地元開催中にも関わらず、ベテランの鷹野や腕達者な中西、ハルウララの主戦騎手でもある古川の三人が同行。「高知に比べてコーナーがきつい」「馬が外につっこんでゆきそうでこわい」などと言いながらも、そこはそれ、職人のこととて果敢なレースっぷりで拍手を浴びていた。

 レースは前評判通り、地元のスイグンが貫祿を見せて快勝。ユキノホマレが二着とアラブのワンツーフィニッシュだったが、高知のサラ勢もフォーバイフォーが小回り一周半の一八〇〇メートルに戸惑いながらも果敢に先行、最後まで二着争いにからんで三着に残った。ただ、最高齢九歳のナイキアフリートはゴール直前で故障発生、競走中止で残念ながら予後不良。福山で初めて走っただけでなく、初めて散ったサラとして地元ファンの記憶に残ることになった。

 三連休二日めの日曜日とは言え、いつもより客足はよく、何より、ふだんとは違う新しいお客さんが目立った。主催者側も「サラとの交流戦は今後とも定期的に続けてゆきたいと思っていますし、その他にもいろいろ企画を考えています。廃止? そんなことは考えていません」と意気軒昂、小さな競馬場の生き残りを賭けた戦いぶりに今後も注目されたい。

*1:分量その他でYデスクの手が入りました。週刊誌現場の職人の眼は参考になります。掲載稿はid:king-biscuit:20050719