本当の2007年問題とは

 2007年問題、というのがある。ニュースその他でもちらほら取り上げられるようになっている。 もともとIT業界周辺から出てきた言葉らしい。いわゆる団塊の世代のリタイアが再来年から本格的に始まると、これまでコンピュータ系の基幹システムの維持を担当してきたエンジニアたちがいなくなる、それに伴ってノウハウの伝承がなされなくなることで起こる問題の総称、とか。すでに経産省なども旗ふりしてIT関連以外にも敷衍して使い回され始めているようだが、この界隈は少し前、2000年問題と大騒ぎして結局、泰山鳴動ネズミすら出ず、だった素晴らしい過去がある。今回はさて、顛末やいかに。

 真性文科系脳のあたしの眼から見ると、2007年問題があるとしたらもっと別の脈絡で、だ。たとえば、「老人」のありようがこれまでと変わってしまうこと。すでに新幹線でも飛行機でも、平日に旅仕度でひしめいているのはたいていがリタイア組のお年寄り。戦後年金制度の恩恵を最も濃厚に、言い換えればまともに享受できるおそらくは最後の世代だが、ここにだめ押しで団塊の世代が流れ込む。なにせ数が数である。政府やマスコミが高齢化社会を語る時の「老人」イメージが、今のような、縁側で日向ぼっこをして孫に小遣いをやるのが楽しみ、といった旧態依然のままだと、こっぴどいしっぺ返しを食らうだろう。

 高齢化社会とは「老人」の経験値がずっと更新され、上がり続ける社会のことでもある。社会の第一線からリタイアしても、消費者としては終生現役、「隠居」はない。若い衆と同じようにいいものを食べ、音楽を聴き、スポーツから恋愛すらこなす、そんな「老人」が大量にいる未来。それを少ない現役世代で支えようとするから無理も出る。高齢者の交通事故は激増しているし、医師や教員も現場ではすでに慢性欠乏。兆候はあちこちに現われている。本当の2007年問題とは、そういう「まだ見ぬ未来」のフタが開き始める、その意味において、だと思う。