「団塊の世代」と「全共闘」⑰ ――俗流「世代論」の落とし穴

第二章 団塊の世代が作り出したパラダイム・ターミノロジー

団塊団塊と呼ばれる理由

――さて、ここからは「団塊的なるもの」は本当にあるのか、というあたりに絞って、話を深めてみたいと思います。


 今までの話では、団塊の世代批判というのは本質的な批判になっていないものがほとんどで、結局、みんな同じじゃないか、となってしまいかねないわけですが、そもそも、団塊の世代を批判する時に、半ば自動的に想定されるその「団塊的なるもの」の中身は、果たしてどういうものか、ということを考えてみたいな、と。言い換えれば、イメージとしての団塊、に焦点を当ててみよう、ってことです。

 ならばとりあえず、ありがちな団塊批判のステレオタイプを、ざっと並べてみようか。

 まず、世代的に人数が多い、とか束になってかかってくる、というのがある。これに、言っていることとやっていることが違う、とか、議論をすると理屈っぽい、というのが加わるね。
実際には、「若い頃は社会が悪いと反抗していたのに、今はのんべんだらりと現実を受け入れている」なんていう形になってくるんだけど。まあ、このあたりの組み合わせが団塊の世代に対する批判のお定まりのパターンになっていると言っていいよね。でも、ちょっと立ち止まって考えたらわかると思うんだけど、こういうのは何も団塊の世代だけの特徴というわけじゃない。いつの時代にも存在している人間性のひとつに過ぎないんだよ。

 たとえば、「すぐ群れたがる」というのがよく言われるけど、戦前の世代だって、やれ遺族年金を出せ、戦時の補償をしろ、と、みんな束になって訴えていたじゃないか。人口の問題として、団塊はひとつの塊になっている、というのなら、それは単に統計的事実でしかないしね。

 だから、先回りして言ってしまうと、その「団塊的なるもの」が真実であるかどうかという問いかけは、意味がないと思うんだ。ただ、やはりみんなが、団塊の人たちに特有の性格ってあるな、と思っているならば、じゃあ、そのように語られる理由が何だろう、ということだね。その印象が果たして正しいかどうかは、科学的に検証できる範囲では、取りあえず関係ない、と私は思っているけど、でも、ならばなぜみんな団塊の世代についてそういう風に語りたがるのか、ということにはまた何か別の理由があるはずで、おそらく、そこをほどいていくのが団塊論をやろうとする時の課題だろうと思う。

――それは全く異議なし、ですね。客観的科学的に真実かどうか、よりも、どうして人々はそのように考えたがるのか、語りたがるのか、というところに焦点を合わせる。狭い意味での「ファクト」を超え得る社会的な真実=〈リアル〉ってのはそういう認識の上にようやく姿を現すようなものなんだと思います。


 「団塊」論、というのはその意味でも、もうひとつ別の角度から言えば、どうしてみんなそれほどまでに「団塊」が気になるの? ということでもありますよね。

 そう。さらに同時に、その「団塊」をダシにあなたたちは何を語ろうとしているの? でもある。
 科学的に検証可能かどうかわからないけど、そこに一種のアトモスフィア(空気・雰囲気)があるのは事実だろう。「団塊」という言葉でみんながなんとなく了解して、うんうん、と頷きあっているのだから。

 たとえば、これは批判というほどではないんだけど、団塊世代の多くは子育てに失敗した、とよく言われるよね。なぜかというと、父権の喪失と言われるように、あまりきついことを言わない、物わかりのいい親父になりがちで、これは個人主義とも関わるんだけど、それが定年を迎える頃になると、今度は最近言われるところの「ちょい悪オヤジ」系に傾いてゆく、と。どっちにしても、かつての厳父のイメージはもうない。それは確かに団塊の世代以降にある傾向だと言えるんだけど、でも、不思議なことに、団塊批判をする連中はあまりその点に触れないんだよ。

 たとえば、「ちょい悪オヤジ」について、何で団塊のちょい悪オヤジたちは政治に参画しないのか? という意見はあるけれど、そもそもその「ちょい悪」自体はどうなの? と問うと、それは別に悪いことじゃないよ、とくる。これが私にはどうにも納得いかないんだよ。
 たとえばさ、戦前だったら、勤め人は五十二、三歳が定年で、官員たちは退職した後、ちょっとカネもある暇もできた、ということで、夏になれば、絽の浴衣を引っかけてカンカン帽をかぶり、嫁さんには内緒で女郎屋やカフェに行くような輩がいたんだよね。もっとも、それができるのは豊かな層だけだったんだけど、でも大きく言えばそれも今の「ちょい悪オヤジ」みたいなものかも知れない。

――都市部の新中間層、って言われてたような中に出現し始めていたんでしょうね。文字通りの「中流」ですが。

 要するに、高度成長以後の、富の蓄積による豊かさで、日本人の多くが「ちょい悪オヤジ」ができるようになった、ってことなんだよ。戦前は都市部の、それもごく一部に過ぎなかったものが、社会が豊かで、富がそこそこあまねく広がったものだから、みんなが「ちょい悪」に参加できる。世間では「ちょい悪」の雑誌が出て、「プチチョイ悪」のアイテムも売れるからさらに増えてくる。で、普段は団塊の世代に対して反感を持っている今の三、四十歳代も、それを見て、ああ、自分もああいう具合にやってみたい、と実は思ってるわけだ。だとしたらだよ、団塊もそれを批判している側も、基本的な価値観は同じじゃないか、ということを私は言いたいんだよ。

 くり返すけど、群れたがるとか、そんな昔から普通にあるような行動形態を、どうしてわざわざ批判するのか? といえば、実は彼らは批判なんかしていないんだよ。自分たちの批判には理屈があるというけど、理屈なんていつの時代にもあるのが当然なわけだ。たとえば、終戦直後なんかは、理屈が理屈として通らなかったんだよ。だって、「おまえら、日本人として恥ずかしくないのか」とか「大和魂はどうした」とか、とにかく理屈として通らない批判ばっかりだったから、議論にもならなかっただろ。理屈というのは、双方が噛み合って初めて成立するんだしさ。

 そのへんをていねいに解きほぐしていくと、では、六○年代に起きた事態は本当は何だったのか、結局そういうものがわかってくるはずだ。で、そういうことはいいことも悪いことも全部つつみ隠さず伝えるべきだと思う。これは歴史の反省とかそういうことじゃないよ。社会が豊かになれば、豊かさは同時に退廃を生んでいくのだから、それによって世代の特性が形成されるのは、ある意味必然なわけで、ただ、それを自覚できているのか、無自覚にそれを享受してしまっているのか、そこが大事なんだよ。

 『父性の復権』をいった林道義(元東京女子大教授・日本ユング研究会会長/一九三七│)じゃないけど、いわゆる「父権」的なものが世の中からどんどん後退しているのは、これはまあ、確かだよね。あの林は、ユング心理学の解釈に基づいてラディカルフェミニズムへの批判を積極的に展開したわけだけど、彼自身はもともと六○年安保で全学連織部長をした人なんだけどさ。

――ああ、そうみたいですね。なんかそういう方向転換は、かつての清水幾太郎みたいですが。

 要するに、団塊の世代、若い頃、まだまだ十分に厳格で頑固だった親たちに対して反抗し、闘いを挑んでいた。だから、自分たちの子供に対して同じことをするわけに行かないんだよ。でも、昔はそういうことが平然と行なわれてたんだよ。若い時は反抗的だった子供だって、大人になると一転して頑固な親父になったものだったし、それが別に当たり前だったんだけど、なぜか今はそうならないんだよね。

――人がみんな必要以上に自省的になっちまったというか、自分の心や自意識が大事になってきたことと比例して、過剰に他人の思惑や内面を気にするようになってしまってますからね。それに、ライフコースの上での「大人」の枠組み自体が溶解してますから、それこそ通過儀礼的にひとつ「大人」になる、あるいは「親」になる、という自覚が持てなくなってるんだと思います。

 おそらく、なんだけど、五○年代、六○年代の文化、もっと言えばその頃の「豊かさ」を吸収しながら生きてきた人間は、昔みたいな厳格な父にはならない。というか、なれないんだよ。もっと言えば、そうなってしまうのはいけないことだ、と固く思いこんでる。それよりは、物わかりがよくて、やさしくて、それこそアメリカのテレビドラマのように、一家には常に明るい笑いが絶えない……そんな父親像がどこか理想型として抱かれているんだよね。 小谷野敦比較文学者/一九六二)などが怒っているように、ジョークが言えない人間は駄目だ、みたいになってきて、ジョークの講座まで出てくる。

――「社交性」、あるいは最近だと「コミュニケーション・スキル」とかいう言い方でその種の抑圧は増幅されてますね。人間関係が希薄になってきたと言われる分、まわりとうまくつきあう能力のあるなしが必要以上に自覚させられてるって側面もあるんでしょうが。


 柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言ってあったじゃないですか。あの時の柳沢大臣の対応見てると、ああ、この人、ほんとにそういうものわかりのいいオヤジが理想型になっちまってるんだなあ、と感じて痛々しかったですね。あの人、七一歳じゃないですか。なのに、自分の娘か息子の嫁ぐらいの世代の福島瑞穂辻元清美高市早苗に袋だたきにされても、ひたすらあやまって涙ぐみさえしてたわけで。奥さんは版画家だっていうから、まあ、ほんとにそういうアメリカのテレビドラマみたいな家庭を理想型としてやってきた七一歳なんだなあ、と思いましたよ。また、叩く側もそういうキャラクターを見抜かれてるから居丈高にからんでたってところもあるのが見えて、それもいやらしいなあ、と。なんか「戦後」家庭内の人間関係の縮図みたいなものが期せずしてあらわに見えちゃった、みたいな感じでしたね。

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 そういう「戦後」的なオヤジ像みたいなものがどういう風に形成されてきたか、というのは以前からずっと気になって追っかけてて、自分自身の仕事としてはそれこそ『無法松の影』のその後ってことなんですけど、たとえば木下恵介の戦後のフィルムなんかがひとついい補助線だと思ってます。バンツマの『破れ太鼓』なんて、その後の高度成長期のテレビドラマの「頑固オヤジ」の雛型になったところがありますけど、あのバンツマの家族と対抗的に描かれていたのが、まさに今呉智英さんの言ったような「戦後」の理想像としての家族、なんですよ。オヤジが滝沢修、母親が○○○で、息子の宇野重吉は絵描きを目指している。で、息子のやってることに理解があって、話し合いで何でも解決しようとして、と。でも、今見るとその家族よりバンツマの頑固オヤジの方がよっぽどまともなんじゃないか、と思えたりするんですが。


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 そもそも、「団塊の世代」って言葉、大月君の言い方だともの言いってのが、最初とは中身が少しずつ変わってきてるところもあるんだよ。最初に堺屋太一が「団塊の世代」と言いだした時は、それはまったく統計的な話だったんだよね。

 彼は通産官僚だから、消費者動向を知る意味で数字は出せる。たとえば、学生たちがGパンを穿き出したという、これはカジュアル文化の話というより、明らかに量の問題だった。たとえば、五人か十人、ちょっと変わり者がGパンを穿いて学校へ行っても、「何か変わっているやつがいるな」で終わってしまうよね。ところが、日本全国でGパンを穿いて大学へ行くのが当たり前になれば、その分だけ、それを作る生産、流通というのが必要になるじゃないか。

 Gパンの流行という風俗の背景に、産業構造の違いが出てくることになるわけで、またそれを大学生に送り込めるということは、高校生やほかの世代にも送り込めるだろう、と。すると当然それによってGパン文化が縦横に広がっていく。それはまさに団塊の世代の力なんだけど、かといってGパンを穿いている学生たちが、おれたちの世代は何百万人いるから「みんなでGパン穿いて、流行らせようぜ」とは、誰も思っていなかったわけだよ。


 だから、まさに堺屋が「団塊の世代」と呼んだということ自体が、最初からそういう世界観を前提としたジャーゴンであったわけだ。しかも、出発点からして官僚的発想なんだからさ。

――それこそ「産む機械」って言ってしまう発想と同じですよね。数字で現実を把握して、それをどのように政策的にハンドリングしてゆくか、という目線からのもの言いなわけで。

 そうそう。で、そういう経済官僚だからこそ、堺屋は統計的な消費者動向を把握し、政策立案しなけりゃならなかった。その場合に、大学を何年にいくつ増やさなければいけない、とか、主には経済効果の問題で、これだけ分母がいて、その数の若者がこういう行動をとればこういう産業を興してゆけばモノが売れる、といったことを考えるのが彼の仕事だったはずだよね。当時、すでに消費文化は始まっていたから、若者の購買動向が変わったら、それまでだったら相対値がこれだけだったけれど、絶対値が大きくなったから今後はこれだけ増えますよ、といったことを、彼ら通産官僚は考えるのが仕事なんだからさ。これからは若者の動向を考えていかないと商売はできませんよ、と産業界に提言する、その意味で「団塊の世代」というキャッチコピーは有効だった。でも、その渦中に生きている人間にしてみれば、自分たちの世代は何百万人いるからこれからはおれたちの時代だよな、なんて普通は思っているわけないじゃないか。

――ですよね(苦笑) 普段日常を生きている限りは、そんなもの、自分たちの世代が国民全体、人口構成の中でどれくらい多数派かどうか、みたいな意識はまず持つわけない。というか、そういう目線なんか持ってしまうような人間自体がヘンなわけで。

 そういう意味で、むしろそういうことを思いたがる人間の方が、ポジであれ、ネガであれ、「団塊の世代」というもの言いに反応してしまうところがあるんだと思ってるよ。俗流世代論の落とし穴というのはそういうところがあって、本当に役に立つ世代論をやっていないからこそ、危ないんだよ。