ハルウララに罪はないけど……

 さて、皆の衆、ハルウララ、のことを、まだ覚えていらっしゃるでしょうか?

 強いばかりが競馬じゃないと、いつか教えてくれた馬――なあんて言っちまうと、いかん、サトウハチローは「浅草の唄」のヘタなパロディですが、でも、思えばもうずいぶん昔から、決して有名ではないけれどもなぜかココロにひっかかる馬に出会うと、僕はこのフレーズをどこかで口ずさんでいたように思います。あの馬、この馬、馬券でのつきあいに始まり、どこかのうまやの隅で、あるいは一周千メートルくらいの地方の競馬場で、たまたま行き合うことになった馬たちの見せてくれる仕事としての競馬の場でのなんてことない懸命さに感じ入った時など、今でも必ずそっとつぶやいてみます。そうだ、強いばかりが競馬じゃないぞ、と。

 で、話はハルウララです。そう、あの日本最低、ほとんどのクラスで一着賞金一律十万円で何とか競馬をまだ頑張ってやっている高知競馬で走っていた、一時は日本一有名だった全戦全敗馬、です。普段競馬など見向きもしない世間の善男善女までがこぞってウララの馬券を買い、声援を送った。海外メディアにまで報道されたそのありさまを、競馬関係者の多くは苦々しく思っていたようですが、それでも、瀕死の高知競馬場に瞬間最大風速にせよ、一万人以上の観客を呼ぶことになったのは事実で、何より、その一着わずか十万円のレースを全国発売、この手の地方との連携にはとんと無関心がお約束のJRAまでもが一部のWINSを開けて全国発売せざるを得なくなったのは、それだけ世間のニーズが大きかった証拠でしょう。毀誉褒貶ありますが、ウララの功績、ってやつは、そういう意味でも無視できないものがあったと、僕は思っています。

 とは言え、一過性のブームというやつはいつもそういうもので、一昨年の秋口から去年の春先くらいまで、ほんとに前代未聞の盛り上がりを見せていたあの馬も、とにかく地方競馬の仕事の機微に対する配慮もできなければ、馬主としての器量のかけらもない、かの女性オーナーの尋常ならざる横暴と勘違いの犠牲になって、一夜にして高知競馬の厩舎から拉致強奪されて一路なぜか那須の牧場へ、でもってそこで未だにほったらかされたまんまですでに半年あまり、世間の関心もすでに薄れて遠く忘れられかけていたところに、先日、あるスポーツ紙の隅に「ハルウララ、秋に引退レース」といった記事が唐突に載っていました。

 記事は、かの女性馬主からのリリースという形で、長らく放牧させていたけれどもウララを秋には現役復帰させる、できればまた武豊騎手を乗せて引退レースをやりたい、といったことが一方的に書かれていました。他の新聞などでは全く取り上げられていませんでしたから、まあ、以前からかの女性馬主と因縁浅からぬ関係者がいるともっぱら噂されていたこの新聞のこと、身内のコネを頼っての特ダネ、のつもりだったのかも知れません。

 たまたまこの記事が出た前後、高知に出向いていたので、現地の関係者の間でもこのことが少し話題になっていました。これまでも、高知競馬は馬を虐待している、ウララも無理なローテーションで使われている、といったことをさんざっぱらメディアで言い募ったあげく、いきなり馬運車を乗りつけて強引に馬を拉致強奪という前代未聞の事件まで起こすこの馬主には、ほとほと煮え湯を飲まされてきていた高知の関係者のこと、反応は総じて冷淡というか、「ああ、なんかまた勝手なこと言っとるなあ」といったものでした。馬主が自分の持ち馬の使い方についてどうこう言うのは自由にせよ、競馬場の開催日程との折り合いも考えずにレースを想定、さらには武豊に乗ってもらいたい、とまたもや言いたい放題。記事を見て主催者側に確認の問い合わせがワイドショーその他から殺到したというのも、「ハルウララ」という名前にまだその程度の喚起力があるということでしょうが、それでまたもうひと商売、と取らぬタヌキの何とやら、いくら「馬のために」ときれいごとを並べてみても、その舌の根も乾かぬうちから単なる欲得づくの手癖がもうバレてしまっているこの馬主、あまりにキャラが悪すぎます。

 ウララに罪はないし、走れるものならまた戻ってきて欲しいけど、あの馬主が漏れなくついてくる限り、もう前みたいに盛り上がりようはないと思う――連休中ということで普段より家族連れなどの目立った高知競馬場で、とある女性ファンがもらしたこの言葉を、そのままあの馬主サマとその取り巻き連中に、熨斗つけて贈りましょう。

 そう言えば、前回ちょっとご紹介したオグリキャップの「里帰り」は、同じ連休中になんと初日だけでも八千人あまりの観客を集めて、馬券も二億六千万も売るという、ひとまずの大成功。なつかしい「オグリコール」まで飛び出して、やっぱり競馬にはまだ、人を熱くさせる記憶がどこかに宿っているんだな、と改めて思いました