お得意さん、を作ろう

ディープインパクト凱旋門賞遠征、ふだんは競馬に興味のない層にまでそれなりに関心を喚起したようで、深夜帯にも関わらずNHKの中継番組もそこそこの数字だったとか。そりゃまあ、BSじゃない地上波に押し込んだんですから不思議はないわけで、ここは必死にプロモートしたJRAの馬力に素直に脱帽しておきましょう。
ただ、どうもわからないのが、どうしてJRAはここまでディープの海外遠征に力を入れたのか、ってことです。特にカネ。僕みたいなのでも一応マスコミ関係者ってことになるんでしょうが、でも、JRA関係の取材に直接関わる通年プレスパス持ったような人たちとは普段、ほとんど接触がない。にも関わらず、この間、遠征が決まってからのJRAのメディア含めた各方面への働きかけ方、カネ遣いのすさまじさについては、いろいろ漏れ聞こえていました。
スターホースを作らねば、という危機感、それはわからないではないし、去年の三冠達成前後からのディープ売り出し攻勢のなりふり構わぬ激しさも、この売り上げ低落傾向を何とかしたい、という熱意の現われで、まあ、斟酌できる。にしても、です。少なくとも国内での馬券の売り上げに直接関わらない海外遠征について、主催者JRAが今、そこまで大金かけて肩入れする理由というのが、よくわかりません。ここで箔をつけて帰国後のGⅠで思いっきり売り上げを、という思惑だとしても、費用対効果を考えればほんとにペイするんでしょうか。遠征費用の補助なども含めて、このディープ海外遠征プロジェクトで一体どれくらいのカネがかかったのか、できればその収支決算を知りたいものです。おそらく、そこらの地方競馬場ひっくるめた年間赤字分くらい埋め合わせられる程度の額にはなっているんでしょう。同じ競馬と言いながら、そして制度的に別ものとわかっていながら、やはりどうしようもない理不尽を感じてしまいます。
一方では、この夏場のローカル開催の売り上げの落ち込みがすさまじいことになっていたとか。ここ十年たらずの間に地方競馬で起こってきた売り上げ低落スパイラルは、地方に限らずニッポン競馬全体に通じる構造的なもので、規模は違えどいずれJRAでも起こり始めるよ、とずっと言ってきたのですが、府中や淀など表開催だけが黒字で、あとの裏開催は採算割れ、という傾向はさらにはっきりしてきているようです。
敢えて言います。湯水のごとくカネを注ぎ込んで作られたスターホースで売り上げを下支えしようとしても、本当の意味での競馬人気の回復にはつながりません。人は集まっても馬券は売れない。何より、その集まった人もまた、かつての競馬ファン、右肩上がりの売り上げを謳歌できていた頃の観客とは、良くも悪くも様変わりしてしまっている。今回、ロンシャンで日本人ファンのマナーの悪さが問題に、という報道もありました。メディアぐるみの煽りに乗ってフランスまで出かけたファンの質が、たとえ一部にせよ、その程度のものだった事実。もちろん、国内の競馬場にも同じような不届き者は普段から混じってるわけですが、だとしたらなおのこと、結果としてそんないまどきのニッポンのファン気質を培養してきたJRAとその宣伝戦略のあり方についても、改めて僕は疑問を呈さざるを得ません。
いわゆる団塊の世代がリタイアしてゆくことで生じる「2007年問題」ということが言われます。一般的に職場での年齢構成がいびつになってゆく、技術継承の困難さなどについて言われることですが、競馬についてもこれは相当に深刻な影響があるはず。何より、枠連複時代からドカンと馬券を買ってくれていた最もコアなこれまでの競馬ファン層、彼らが今後年金生活になってゆくことで、馬券購買力は全体として低下してゆくはず。ワンコインで三連単を買って楽しむ若い世代が新たに流入することは必要ですが、でも、彼らは主催者が思い描くような売り上げ回復の起爆剤には、おそらくならない。何より、この先ずっと競馬とつきあってくれるような「熱さ」自体、もう求めにくい。野球や相撲が苦しんでいるように、このままでは競馬もまた「昭和のレジャー」として高齢化の波に洗われ、衰退してゆくことは今後、避けられないでしょう。
たとえば、同じ三冠リーチのメイショウサムソン。岡目八目で走りっぷりを見ていても、かなり強い馬だと思っているのですが、ディープのように煽ってもらえず、いまひとつ盛り上がらないのがもどかしい。日高産で、いまどきにしたら地味な血統。少し前ならもっとファンの声援が集まったはずですが、ディープやハーツクライにばかり視線がゆくようないまどきのファンには「華がない」ということになるのでしょうか。
眼の肥えたファン、観巧者を育てられないスポーツ、芸能は何であれ、衰えてゆきます。それは字面の血統やデータの蘊蓄、馬券のやりとりの能書きだけでない、日常にもう馬のいなくなった国に根ざした大衆競馬だからこそ、それを成り立たせている背景や土壌、言葉本来の意味での文化も含めて競馬を「観る」、そして眼の前のレースを味わい尽くす、そんな習慣を身につけようとすることだと思います。ワンコインで小銭が儲かるならばパチンコで十分、いや、もうずいぶん前からそのパチンコの方が馬券よりずっと一人あたりの投下金額が大きいんですからなおのこと、いまどうして競馬なのか、他のものじゃなくこの競馬がおもしろいと思えるのか、というあたりを今、まず当のJRAの職員ひとりひとりから静かに省みることが必要なんじゃないでしょうか。商売の基本、長いつきあいのできる「お得意さん」を育てることからもう一度、です。