書評・七尾和晃『闇市の帝王――王長徳と封印された「戦後」』

闇市の帝王―王長徳と封印された「戦後」

闇市の帝王―王長徳と封印された「戦後」

 

 目論みは悪くない。なにせ「闇市」だ。しかも、これまでほとんど表だって言及されてこなかった人物、王長徳の話、とくる。素材も頑張って集めている。食指の動かないわけがない。

 王長徳というのは、戦後、新橋や渋谷などの「闇市」にマーケットを設立、「東京租界の帝王」と呼ばれた人物。後には、政界の黒幕のひとりとして君臨も。湖南省の生まれで、元中国軍パイロットというふれ込みで戦後、占領軍の軍人として来日。国民党政府が発行した法幣を何らかの手づるで交換して持っていた日本円を、旧円封鎖に伴う新円切り替えでさらに交換、濡れ手で粟の利益を得て、それを資本に焼跡の土地を買いまくる。窓口は三井信託銀行。敗戦後の混乱に新円切り替えに伴う経済的空白が重なった結果、可能になった無茶だったらしい。

 そこに彼はマーケットを築く。新橋、渋谷、自由が丘……尾津組や松田組など、戦後史に少しは名前の出てくる「闇市」の顔役たちとはまた別の、「中国人」の仕切るマーケット。確かに、それは微妙に肌合いが違っていたようだ。「呑み屋」と言いながら実質ちょんの間に等しい商売だったらしいこともうかがえるし、また、そうでなければその後すぐ続けて、銀座に巨大クラブ「マンダリン」を建てるという発想は出てこないだろう。ホステスにテーブルを貸して商売するナイトクラブ。女たちは建物内に住まわせ、ということは当然、客を連れ込むことも想定され、なおかつ地下には秘密のカジノまで備えていたという歓楽施設。熱海沖の初島に国立のカジノをつくる野望を持っていたというのも、競輪や競馬など、当時新たに編成された公営ギャンブル公職追放された大陸帰りの旧官僚や軍人たちによって仕切られていたことなどと併せて、「ばくち」が時代ときれいにシンクロしていたことを改めてうかがわせる。

 そんな王の商売の手癖は、上海の租界での経験が下敷きになっている、というのが著者の説。日本人租界にあったマーケット、三角地菜場。それは主として長崎県人を中心とした日本人がつくったというが、それが王を介して戦後の日本に移植された、と。いずれにせよ、Occupied Japan (被占領下の日本)ならではの落差や空隙を縫って、やりたい放題にのしあがってくるあたりは、それこそかつての大藪春彦松本清張ばりのピカレスクロマンの主人公を彷彿させる「怪人」ぶりだ。

 その王長徳が最晩年、口を開いてしゃべったことを軸に、往時の彼の周辺にいたり、当時の「闇市」を経験した人たちの聞き書きで補強し、そこに文献資料を重ねてゆく手さばきは、ひとまず堅実。あとがきで、アメリカの大学(エール大学か?少なくともそう読める)にいたことや、父親も外務省ないし外交筋、母親もおそらく研究者系、といった自身の出自も含めたほのめかしをやっていることから見ても、まあ、取材うんぬん以前に「書かれたもの」を取り扱う作法を持った書き手であることが推測できる。人材枯渇どころか、昨今ほぼ絶滅品種に等しいルポ/ノンフィクション系書き手の中で、この作法は大切にしていい。

 とは言え、記述がいかにも薄味で平板なのが惜しい。新橋事件、渋谷事件、横井英樹銃撃事件、など、王とのからみで焦点になるはずのできごとがいくつかあり、読売記者の三田和夫や弁護士の布施辰治、小生夢坊(うん、よく眼をつけた!)など、魅力的なキャラクターも「発見」しているのに、それらもあっさり並列に扱ってしまう淡泊さは、さて、書き手の資質か、それとももっと根深い世代の差か。ここに書かれた記述からさらに枝葉を広げて掘り下げることのできるだけの豊かな素材を抱えている、そのことも含めて評価しておくべき本、だろう。