「護憲」をめぐるエトセトラ



 憲法も、ついにやつらに擁護され」
 
 こんな文句がつい、口をついた。深く長いため息と共に。
 
 別に自前の文句じゃない。元ネタがある。

 はるか明治末年、日露戦争のあとの草の根ナショリナズム高揚期、おりから彗星のように現れて巷の人気をかっさらったあの桃中軒雲右衛門の浪花節が、「武士道鼓吹」を錦の御旗に物情騒然の世間をブイブイ言わせていた頃のこと、そんな得手に帆を上げる勢いの彼らちょんがれあがりの浪曲師たちの立ち居振る舞いを横目にしながら、とある新聞記者が皮肉混じりの落首めいた雑文に曰く――「武士道も、ついにやつらに鼓吹され」。

 誰か名のある記者だったかも知れないが、正確なところは正直、忘れた。けれども、そこに込められていた意味については間違っていない。

 「武士道」――洋の東西を問わず名著の誉れ高い、新渡戸稲造のあの著書とは必ずしも直接関係があるとも言えない。あちらはなにせ札幌農学校育ちはキリスト教の素養、アメリカ渡りで外側からニッポンを眺める視線を備えるに至った押しも押されもせぬ当時の選良。それに対してこちとらはというと、要は「武士」=サムライをダシに、にっくきロスケに勝ったわれらの高揚する気分に何か裏づけを与えようとした、いずれいたいけなわがニッポンの新たな近代常民たち、だったりする。

 ニッポンカッタニッポンカッタ、ロッシャマッケタ、とただ繰り返し、盆踊りの記憶に誘われつつ詠いながら夜を往く名も無き民草、あの提灯行列のそぞろ歩きにこそ、その「武士道」という武張ったもの言いもぴったりと寄り添っていた。そんな当時の世相を敬意を込めて、もういちど静かに吟味しようとする態度がないと、この文句の背景について、そしてその「武士道」を自分のものと思いたがった彼ら彼女らのココロの傾きの、ほんとのところはわからない。

 浪花節も、雲右衛門もまた同じ。ついこの間まで寄席にも入れず「ヒラキ」の野天で尻っぱしょり、下卑たうなり声響かせて往来を騒がしているばかりだった乞食同然の大道芸人、ちょんがれ崩れの浪花節語り風情が、何を間違ったか一気に羽織袴、由井正雪もかくやの総髪に大変身、舞台の上もところ狭しと旗や幟を立ち並べ、演台は豪壮なテーブル掛け、とにかく当時考え得る限りのハッタリのありったけをこれでもかとかませた「国威発揚」の気分を身体ごと体現するようになった雲右衛門とそのご一統、彼らこそがその「やつら」という距離感で語られていた。その「やつら」の手前のこっち側、サムライ由来のおそらくは漢文脈の素養で育った、まだインテリの矜持でさえもがはっきりと江戸時代と地続きだった頃の新聞記者の感覚として、この距離感もまた、正しく歴史の相で解釈されるべきものになっている。

 武士道結構、西欧に一矢報いたわれらニッポン、明治の御代の誇らしさはまた格別なのは確かだとしても、それにしてもなんでまた、あんなろくでもない手合いにまで一緒くたに鼓吹されるようなもんになっちまってるんだよ、と。

 それと全く同じ呂律でいま、あたしゃ言う。はっきりと嘆く。ぼやく。深く長くため息をつく。

 それくらい、今のこの戦後憲法ってやつはあわれで気の毒で、どうにもこのままほっとけない状態になっちまってる。難しい理屈じゃない、いまどきの「護憲」沙汰、「反戦」と「平和」を一緒くたに憲法におっかぷせて金切り声で騒ぐ、そんな「やつら」のもの言いとたたずまいの立ち腐れ具合こそが、やっぱりこりゃ何とかしてやらんとこの憲法、どうにも浮かばれねえよなあ、と思わせてしまう源泉なのだからして。

 ああ、やむにやまれぬ大和魂、追いつめられた柄にもなく英米以下列強の白人キリスト教国家に昔年の恨み、黄色い同胞たちの怨念もろとも喧嘩を売ってみせたものの、しょせん国力の違い、体力の格差、果てはあの原爆をそれも二発も落とされてズダボロになったあげく、敗戦処理のどさくさに「おまえらこれからはこれでやるんだぞ」と、まるで土人にエサを投げ与えるように渡されたこのなけなしの戦後憲法ってやつを、それでも持ち前の創意工夫で何とかいいあんばいに使い回しながら戦後六十数年、その間、東アジア情勢の天佑神助もあって何とか復興、いつしか経済大国と呼ばれるまでになってはみたものの、はて、ふと気がついたらその恩義ある憲法も、なんだかんだで古び、くすみ、干割れたりひずんだりしたところもあちこち目立つようになって、とにかく身の丈にあわなくなってきた。こさえた本家のアメリカも、おまえらまだそんなもの後生大事に抱えてたのかよ、物持ちいいな、と苦笑いしてるし。あげくはとうとうこんなやつらがこんなもの言いでしか擁護してくれなくなっちまったのかよ、と。

 憲法そのものにとっちゃ気の毒千万だけれども、こりゃもうしょうがねえ。半世紀以上何とか踏ん張ってタテマエやってきてくれたところ申し訳ないとは思うが、でも、ことここに至っちゃ、およそこんなやつらにこういう具合に擁護されるくらいしか能がなくなっちまってる、そんなおちぶれ具合ならば、いっそここは改憲、おさまりの悪いところはきれいさっぱり手直ししてもう一度出直してみるのがすっきりする、ってもんでないか。


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 「護憲」に対して「改憲」、と言う。

 国民投票法案の整備なども含め、確かにこのところの政権は戦後六十年の懸案、「改憲」に向けて精力的に動き、そして加速させている。

 それに対応するように「護憲」の動きもあわただしい。既存のメディアと情報環境そのものもまた変動してゆくこの過渡期のまっただ中、それぞれの陣営がそれぞれの広報宣伝宣撫工作に忙しく立ち動いている。相も変わらぬ二項対立、保守/革新以来の図式の踏襲だが、個々の動きの是非はひとまず措くとして、いずれそれはまさに「戦後」というのがどういう情報環境、どういう言語空間で成り立ってきたのか、そしてそれがいま、どのように終焉しつつあるのか、をわかりやすくあぶり出してくれる地点になってもいる。まずもっておくべきはそんな認識だ。

 いま、世論調査をしても、そんなにはっきり「改憲」に傾いた数字は出やしない。ほうら見ろ、一般庶民は国民はやっぱり「平和」を求めてるんだ、戦争なんかしたくないんだ、と鼻の穴ふくらませて「やつら」はここぞと叫んでまわるけれども、しかしちょいと待った。そんなもの別にいつの時代も当たり前。おのが身の抜き差しかかったところで本気で戦争したいやつらなんざ、好んで死にたいやつと同様、まずお目にかかった試しがない。そういう意味でいま、「改憲」に勢いよく手をあげることへの躊躇というやつは、小難しい思想信条以前、そうは言ってもやっぱりオレ、死にたくねえよ、という水準に支えられているところはある。それはそれで健全だと思う、このあたしでさえも。

 しかし、それとは別に、気分としての改憲というのも、その下敷きになっている「戦後」自体への根本的な決別感覚と不可分な形で、確実に同時代の底流になっている。それもまた間違いない。世論調査などですくいとられる表層と共に、そのことも同時に見ないことには、同時代の知性としては片手落ちだろう。

 格差だ何だといった日々の暮らしに近しいところでのイシューでない分、憲法問題というのはそれ自体としてなかなか政治の争点になりにくいのが常識、とも言われる。それも確かにそうだ。けれども、今のこのニッポンの情況にとってはその常識と全く等価に、でもそうは言ってもやっぱりこのままほったらかしといちゃ、どうもまずいみたいだよねえ、という感覚も静かに広がりを確保している。

 何より、この憲法は絶対にいじっちゃいけない、特に第九条、これをいじったらとんでもないことがあなたたちにおこりますよ、と眼つり上げて脅してまわっているのが、他でもないああいう手合い、そう、まさにその「やつら」としか言いようのない連中だったりするんだからなおのこと。先の都知事選で、石原慎太郎の対抗馬として出てきたはずの浅野史郎の背後に、勝手連と称する有象無象が群がり寄って「やつら」と化した、それもあってあの石原の秒殺圧勝という結果になったのと同じように、贔屓の引き倒しで考えなしに憲法擁護に狂奔する「護憲」の身振りそのものがいまやまさに反動、実は憲法そのものをも冒涜するかのような事態になっているのだが、もちろんその「やつら」にゃそんなこと、例によって自覚するすべもない。


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 ならば、その「やつら」、いまどきなお「護憲」を錦の御旗にし「平和」「反戦」のダシに持ち回っている連中とそのもの言いを、ひとまず虚心坦懐、具体的に見てみるか、というわけで、素材に選んだのがそんな「やつら」のこさえたいまどきの憲法関連本。気がついたら書店の棚に何やらそういう「護憲」をスローガンにした書物がうそうそとわいてきている昨今、先の統一地方選でも共産党が「憲法をまもる」ことを全面に押し出して宣伝していることなどとも軌を一にした動きであることは間違いない。ひとまず今回、俎板に乗せたのは以下の通り。書名と同様に、まずその著者、編者の名前、そして版元などにも、とくとご注目あれ。

井上ひさし樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』講談社文庫 1997年1月
井上ひさし梅原猛大江健三郎、奥平康弘、小田実加藤周一澤地久枝鶴見俊輔三木睦子
憲法九条、いまこそ旬』岩波ブックレットno.639 2004年11月
憲法九条、未来をひらく』no.664 2005年11月
高橋哲哉、斉藤貴男(編著)
憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』日本評論社 2006年7月井上ひさし、絵・いわさきちひろ『子どもにつたえる日本国憲法講談社 2006年7月
鎌田實 絵・木内達朗『この国が好き』マガジンハウス 2006年7月
太田光中沢新一憲法九条を世界遺産に』集英社新書 2006年8月

 ああ、そういう人たちね、という感想がごく自然に出てくる。実際、こうやって書いていても、改めて元気の出ない、ほんとにココロ萎えるラインナップではある。もはや古典芸能、いや、芸としての器量ももうとうに消失してしまった老残を淡々と眺めているような感じすらある。こういう不躾な感想がまず出てしまうこと自体、はてさて、当のご本人たちは果たしてどういう風に受け止めているのか、つくづく謎ではある。

 岩波のブックレット二冊に名を連ねているのは、共に「九条の会」の発起人の面々。いちいち解説するのも気がひけるとりあえずのビッグネームばかりだが、世代的に軒並み七十代以上、どうかすると八十代まで混じる。いくら高齢化社会とは言え、どう見てもジイさまバアさま。就中、鶴見と小田が仲良く並ぶ図なんぞは、ああ、かのベ平連以来のなつかしのメロディー再び。「進歩的知識人」「岩波文化人」てな古色蒼然のもの言いまでもが思い起こされる。もしかしてこれって巷でブームの昭和レトロをあてこんでのこと、だったりしたらそれはそれでほめてやってもいいのだが。

 ともあれ、彼らのその「九条の会」立ち上げ時のアピールというのも、あわせてどうぞ。

九条の会」アピール


日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。


ヒロシマナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。


しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。


アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。


二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。


憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。


私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日

 素晴らしい。あまりに素晴らしすぎて声も出ない。

 実際、ものは試しと声に出して朗読しようとして、すまぬ、途中で恥ずかしさのあまり挫折した。字づらそのものが、というよりも、こういう文章を得意顔で書きつづってしまう、そんなニンゲンの自意識が読んでいるうちにおのが声の配語からじっとりとにじみ出してきて、いたいけなこちとらのココロを責め苛むという次第。とにかく、何かこういうサヨク/リベラル系作文を自動生成するソフトでも組んで出力したんじゃないか、と思えるくらいの見事な空虚さ中身のなさ、で、とても生身のニンゲンの書いたものとは思えない。こういうもの言い、こういうコトバでいま、本当に何か世間に訴えかけられると本気で思っているのだとしたら、まずその感覚、そのセンス自体がもう絶望的だ。

 「護憲」の主張そのものがいけない、というのではない。たとえば、アメリカに押しつけられた憲法だから改正しろ、という言い方は、それこそ「ヤルタポツダム体制」てなもの言いと共に確かにあるけれども、でも昨今の「右傾化」(笑)の中でもそんな単細胞な主張がそんなに力を持っているわけでもない。最初は押しつけられたのだとしても、それがいいものだったら意識的に守っていいじゃん、という程度には開かれている。まさに高橋哲哉なども言っている「すでに自分たちのものになっている平和憲法」なわけで、その限りで「やつら」の「護憲」の能書きにはうなずけるところがあったりする。

 「反戦」「平和」についても異議があるわけじゃない。そりゃ誰しも戦争なんざしなくていいものならしない方がいいだろう。「やつら」の言うような「反戦」「平和」が、個人としてはともかく、国と国とのつきあいについてはほぼ役立たずだ、と直感的に思ってしまえるから反対なだけだ。それが「理想」だというのなら、こちとらそんな「理想」の実験につきあってしまえるほどおぼこくないし、ヒマでもない、と言っておこう。

 何より、いちいち憲法のことなんざそんなに真剣に考えてられっかよ、という、おそらくは大多数の同胞ニッポン人の感覚にとって、「やつら」のもの言いというのはもはやどうしても届きようのないくらいに遠いものになっている、ということなのだ。


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 そんな中、ことこの「護憲」沙汰に関する限り、ここにきての井上ひさしの奮闘ぶりは、異様なほど眼につく。

 昭和九年生まれだから、当年とって七三歳。戦後六十数年、思えば山あり谷あり、すでに日暮れて道通しの感もある思想/論壇沙汰の流れの中で、メンツだけは多士済々のサヨク系、落ちぶれてこのところは単にプロ市民風味のもの言いを重宝されての文化人、評論家稼業になっているけれども、いずれそういうご一統の中では、はて、どういうわけか、これまで案外お目こぼしをされてきたところがあるのに、ここにきてどんどん突出してきている。

 思えば、あの『週刊金曜日』の創刊時の編集委員のひとり。本多勝一筑紫哲也と並んで堂々、名前を連ねていたのだが、それにしても風当たりを正面から受けていたというわけでもない。創刊間もなくホンカツと喧嘩してたというのもあるけれども、それでも、筑紫やホンカツ、大江などがその後、集中砲火を浴びてきたのに対して、井上ひさしを目の敵に叩く憂国系は、悪名高いネットも含めて、あまりいなかった。

 作家、それも劇作家という立ち位置が隠れ蓑になっていた面はある。筑紫のように来る日も来る日もテレビにツラさらすわけでもなく、ホンカツのようにかつての妄言で袋だたきにされるでもなく、と言って大江のように何かの間違いでノーベル賞なんて金看板とったことで一気に舞い上がってトチ狂いもせず、折々立ち上がる何かの運動で真っ先駆けて何かアピールするわけでもなく、何より青筋立てて憤るでもなく、そのへんの微妙な立ち位置がいいように作用していたように思う。

 思想的にはどう見てもサヨク系、しかしバリバリの党員系といった硬派でなく良くも悪くも「戦後」の申し子、軟派な「良心的」文化人でありながらこの立ち回り。似たようなキャラを探してみれば、たとえば永六輔などに近い。選挙に立候補などは絶対にしない。固有名詞で名乗りをあげてのいくさも、実はそれほどやってない。と言って、何かメディアの場に自分の現場と言えるようなものをしっかり持っている。永六輔の場合、それはラジオだったろうし、井上ひさしにとっては芝居の世界だったのだろう。筑紫は新聞から離れ、大江も作家という分際を超えた勘違いをあからさまにして能書きを言ってまわった、だからこそ集中的に狙撃されることになったのに対し、井上や永はいつも群れの中、ひとからげの「やつら」の中のひとりとしてだけ存在していた。

 かつての妻、西館好子の暴露小説『修羅の棲む家』によって、実はとんでもないDV、家庭内暴力野郎だったということが白日の下にさらされている。にも関わらず、その後もその件について人格面から叩かれたりしたことは、正直あまりない。そういう意味では、田中康夫にも近いかも知れない。生身としてはどれだけ変態漢でも没義道の忘八野郎でも、モードとしてのサヨク気分の役に立つのならばそれはある程度まではお目こぼしし、時には中和さえしてもらえる、そういうものだったらしいのだ、「戦後」をかたちづくってきたわがニッポンのメディアの現場とそこになんとなく宿ってきたからくり、というやつは。

 とは言え、主張としては目新しいものは何もない。ぶっちゃけ、「非武装中立」。さすがに昨今はこのもの言い自体、気が引けるのか、「非武装平和論」などと言い換えてるけれども、中身は本質的に同じ。個人の信条としてはともかく、それを一気に国家の水準、国際関係にまで拡大して能書き垂れてしまう無謀さもまた、少し前までのインテリ/知識人のお約束通り。
そんなジイさまバアさまだけで「護憲」沙汰がまわってゆくはずもなく、「九条の会」自体、舞台裏では小森陽一だの何だのと、四十代から五十代そこそこといった世代がお膳立てして下働きしている様子。とすれば、この卒倒するようなセンスはまた正しく彼らのものか。そういうことなのか。

 マジメなハナシ、これら広義のサヨク思想、いまどきのもの言いに従えば「プロ市民」風味の信条、アピールの支えられ方というのは、実はこういう世代的な二重構造が必ず、お約束のように貼りついている。このことは案外まだ、意識されていない。

 こういうことだ。先の井上ひさし以下、今の「護憲」沙汰の表に出ているジイさまバアさまたちというのは、要は七十年代まで、それこそ思想だの教養だの、いわゆる文科系の知性がアカデミズムからジャーナリズムまでも含めた情報環境の中で、是非はともかくとにかくデフォルトとして敬意を払われつつ扱われていた、そんなシアワセな「戦後」の状況からリベラルなり左翼なりというスタンスを自ら確信犯で取ってきた世代であって、その意味で、オールドレフト&リベラリスト、と言っていい。それ自体は尊重するにやぶさかでないし、何なら、歴史的遺産としての敬意くらいは込めてさしあげても構わない。

 その一方で、それらを取り巻いて、どういう欲得づくや打算や思惑にまみれてのことなのかはともかく、へらへらとお追従笑いしながら彼らジイさまバアさま、いまや真性左翼/リベラルの化石ないしは生きた歴史遺産たちを持ち上げ、この忙しいのに「運動」だの「ムーブメント」だのを演出してまわる手合いがいる、これがたとえばその小森たちだ。

 世代的にはあの団塊の世代以降、八〇年代からこっちの状況でなお、それまでの左翼/リベラルぶりっこに何らかの理由で忠誠を誓ってしまった、その程度には優等生=バカ、である。おおむね九十年代半ばこのかた、いろんな局面で「戦後」の終焉があらわになると共に、同時代状況から置いてきぼりを食い始めた年寄り連のそのズレ具合を直視せずにつき従いながら学校の階梯を登っていった偏差値世代の優等生で、たまさか大学や高校などの学校から、新聞記者はもちろん、編集者なども含めたメディアの現場その他にもぐりこんで、だからこそ現実との接点を失って空転しているはずのおのれのその左翼/リベラルぶり――まさにそれこそが昨今、「サヨク」「プロ市民」と揶揄される身振りになっているのだが――を自ら相対化もできずに必死に虚勢を張り続け、ますます干上がり続ける活字由来の思想や教養の潮だまりでいまなおのたうちまわるしかないムツゴロウのような連中、でもある。

 実は、近年はっきり認識されるようになってきたいわゆる「プロ市民」的なるもの、のあのどうしようもない疎ましさというのは、かつての生き残りのジイさまバアさまではなく、まさにこの後者の層、つまり左右対立などすでに現実的に意味を喪失してしまった状況で社会化してきたはずにも関わらず、なぜか未だにそれより前の世代以上にステレオタイプで紋切り型なサヨク/リベラルぶりに凝り固まっている、この手合いが中心になって醸し出しているもの、だったりする。

 まあ、ここに出てくる小森陽一高橋哲哉などはその硬直ぶりがあまりにわかりやすくて、むしろ世渡りの計算高さが鼻もちならぬ小熊英二や、それがさらに水増しされた宮台真司や斉藤貴男、果ては香山リカ大塚英志室井佑月(しかし、どうしてこんなのまで一緒くたにして平気なんだ?)あたりまで含めた小ずるいうすらサヨクな新中年連中に比べると、その成分があまりに濃い分、お笑いネタとしてまだ賞味できなくもない。とは言え、そんな濃淡、芸風の違いはあれど、背景に横たわる気分はいずれある種の共通項。いまどきの「プロ市民」ぶりを駆動している陰の原動力という意味では同じことだ。

 ズレた年寄りを転がしておのが居場所を確保する若い世代の、意図せざる部分も含めた打算と狡猾、というこの構図自体、思えば「戦後」のお約束だった。まず、かの石原慎太郎からしてそうだったし、その後も村上龍ニューアカ世代の浅田彰中沢新一、とその系譜は少なくとも九十年前後までは連綿と続いていた。その意味で、やれ時代の旗手よ、期待の若手よ、と、その時その時のオトナたちが若い衆を考えなしにもてはやす、そのからくりそのものが、すでに「戦後」に固有のものだったりする。そういう意味でも、いまどきの「護憲」沙汰は、そのもの言いや依って立つ足場もさることながら、「運動」を支える現場の成り立ちまでも含めてまるごと、まさに「戦後」を引きずった最後の戦いの地点、ということらしい。


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 というわけで、まず言えるのは、いまや「護憲」をめぐる場というのは、正しく世代間闘争、「文化」の衝突である、ということだ。もう少していねいに言えば、インテリ/知識人、という自意識とその自意識に規定された身振りや世渡り作法まで含めて、いまの同時代状況とどれだけズレが生じてしまっているのか、それについて目の当たりに見せてくれる舞台でもある。

 「戦後」に宿っていた「良心的」だの「リベラル」だのというシロモノが、果たしてどういうものだったのか、いま、「護憲」沙汰で先頭切って名前を出して能書き垂れている手合いがまさに動態展示として、生きた見本として見せてくれている。少し前まで「エラい」とされ、事実尊敬もされてきたような「知性」というやつは、果たしてどういう生身のどういう自意識に支えられてかろうじて世渡りしてきたものか、というのを、申し訳ないがこの上なくわかりやすく重要無形文化財として自ら陳列してくれているのだから、これからのニッポンのために、ありがたく活用させていただかない手はない。だから、先にあげた「護憲」本、ひとつそういう風に読んでみることは、冗談ではなく、かなり役に立つ。

 そこでは、「個人」が「自由」が、ほんとにこちらが赤面してしまうくらいあっけらかんと至高の価値としてうっとりと語られている。同様に「反戦」も「平和」も、誰ひとりとして疑うべくもないものとして称揚されている。いったいいつの時代のハナシなのか、うっかりしているとわからなくなるくらい、その「戦後」文化遺跡ぶりは見事なものだ。

コイツは現実的ではない、
おバカさんだという人がいます。
現実をかえるのは、おりこうさんにはできません。
おバカさんでいいのです。
この国の憲法は、自分の国の平和だけではなく
世界の平和をめざしているのが、すごいのです。
                  (鎌田實『この国が好き』より)

 ああ、どうにもキモチ悪い。薄気味悪い。でも、こう言う本人にとって、それはとりあえず「理想」ではあるらしい。で、その「理想」というのがそれ自体としてとにかく崇高で素晴らしいものである、という深い信心も、また。

 いったい何が彼ら彼女らそこまでさせてしまったのか、すでによくわからなくなっているのだけれども、とりあえずそういう信心としか言いようのないところにまで、いまどきの「護憲」沙汰はえらいことになっている、そのことはひとまず確かだ。

 とにかく、学者や評論家、作家やゲージュツ家の類が、社会に対してもの申す、というのがお好きである。「個人」の「自由」というのがそういう形でのみ結実している。そんな自分たちの体験が世間の中でどういう位相にあるのか、どれだけ特殊でけったいなものなのか、などについては、実はあまり自覚していない。年収一千万以上の立場にいながら「庶民」を自称する朝日新聞以下、大手マスコミの立ち居振る舞いにもそれは通じている。「九条の会」も「講師団」を組織して「派遣」する、と標榜している。いくつになっても意識はセンセ、いや、輝かしい「前衛」、蒙昧な大衆の師表となるべきインテリ/知識人サマ、ということらしい。

 だが、少し前まで、「知性」とはそういうもの、だった。ものを考え、社会とか世界とかにうっかりと思いをはせてしまうようなタチの人は、大なり小なりそういう人、だった。

 学校やマスコミや、あるいはそれらを中心とした労組や公務員や、いずれ本を読み、活字に接し続けることでおのれを形成してきた、それが当たり前だということになっていたような場に、色濃く宿っていたような「知性」のありよう。彼ら彼女らがこのように語る「反戦」や「平和」が、同時代の世間にもある程度の〈リアル〉を立ち上げられていた、そのこと自体がすでにもう、静かに歴史の過程に繰り込まれつつある。〈いま・ここ〉に広がっているのはそういう意味での過渡期である。戦後六十年たってしまったということは、実にそういう現在、そういう〈いま・ここ〉をわれわれは生きていることに他ならない。

 かつての左翼/リベラルぶり、とは、思想として一個のニンゲンの中で成熟し屹立してゆくよりも、多くの者にとっては単にひとつのモードであり、そういう意味でこそ「文化」であった。だからこそそれを身につけていればトクもあったし、カッコよさげな自分を得意にもなれた。

 だが、そのモードをそれから先の生の過程で本当に役に立つものに、おのれの生と不即不離のものとして「自分のもの」にしようとすること、それをどこかで怠ってきたがゆえのやりきれなさ、心萎える感じというのが、いまのこの「反戦」「平和」の「護憲」沙汰にはどうしてもつきまとっている。年配のジイさまバアさまの中にも、人によってはそんな身につかなさが眼につく者もいるし、ましてその下の世代では言わずもがな。うわついたサヨク/リベラル、「プロ市民」ぶりでしかなくなってしまうのも必然なのだ。その程度の生、その程度の覚悟しか持ち合わせることができなくなってしまった、それもまた、高度経済成長のもたらした「豊かさ」のある側面だったりもするのだからして。

 というわけで、悪いのはおそらく「護憲」という主張、ではないのだろう。そういう主張をしている側のモード、方法的自覚のなさ、の方だ。大衆化の位相になだれこまざるを得なかった左翼/リベラルは、すでに思想そのものとして評価するより前に、そのような世相風俗、コトバ本来の意味での「民俗」としてとらえられるようなもの、なのだと思う。その「民俗」としての思想、という現実が平然と眼前にものになっていることについての目算を、これまでのインテリ/知識人は持つことができなかった、いや、そういう視点や発想すらなかった、そのことこそがいま、「護憲」沙汰を媒介に最終的に露出している。



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 だが、今回のこの「護憲」沙汰の中でひとりだけ、タチの悪いやつが混じっている。

 他でもない、中沢新一である。太田光と連名で去年出した『憲法九条を世界遺産に』はそこそこ話題になったが、そこでのやっこさんの提示している問いというのは、相当に悪質だ。
この本が集英社新書というパッケージになった経緯は知らないが、あとがきその他を読む限り、『すばる』の編集部と太田の事務所とが何かのはずみでくっついて、ということらしい。中沢が以前から太田光と親交があった、というのは寡聞にして知らなかったけれども、当人がそう強調しているのだから、まあ、そういうことにしておいてやろう。
とにかくこやつ、日本一の詐欺師だと前々からあたしゃ感心している。ほんとにシャクにさわるくらい巧妙なのだ。

 今回、中沢の「護憲」の理屈の眼目はこうだ。

 現行憲法の「平和」原理主義というのも、実は戦前の八紘一宇、「理想」を追い求めるというココロの傾きから言えば同系列のものかも知れない。同じ意味で、マルクス主義もそう。とにかく、ニッポンの近代の思想風土に舞い降りた限りにおいては、わがニッポン土人は同じように「理想」として飼い慣らしてしまうしかなかったらしい。だから、その習い性で戦後もまた、アメリカに押しつけられた憲法も「平和」主義として「理想」の相において解釈して骨肉化してしまったんじゃないの、と。

 もちろんやっこさんのこと、このところ「東北」でまたひと商売もくろんでいる関係からか、ここは宮沢賢治なんぞを引き合いに出しながら、すらすらと耳ざわりのよさげなもの言いにして整えてやがるけれども、要するにそういうことだ。

 言うよ、その認識は正しい。大衆的熱狂、考えなしの提灯行列を組織したという相においては、八紘一宇マルクス主義も、大東亜の解放戦争も共産革命も選ぶところはない。それを妄想というか夢というか、はたまた理想とかみしもつけるかそれはひとまずどうでもいい。そして、そういう問いの立て方こそが重要である、というのもその通り。思想として、知的営みとしてそういう問いに固執してゆくこと、それについてはあたしでさえも異論はない。

 けれども、だ。その問いは問いを発するニンゲンの人格を離れて存在できるものでもない。そう、ここでもまた「おまえが言うな」なのだ。かつてオウムを煽り、麻原を称揚し、へらへらしていたらやつらほんとにサリンなんかまきやがって大騒ぎ、ボクはそんなこと知りませんでした、と真っ青になって、ウブな分逃げ遅れた島田裕巳に全部責任おっかぶせてトンヅラ、口をぬぐってみたものの、うわあ、いまどきまだ思想犯ってやつがあり得るんだ、とあたしゃ当時、ほんとに感嘆した。ああ、2.26に対する北一輝だ、とまで思った。その中沢新一が、ほとぼりがさめたと思ってるのか、今また当時と変わらぬレトリックで何やらうごめき始めてやがる、そのことについてはまず、はっきり指摘しておこう。こういうちゃらけた世渡り、もういい加減許しちゃいけねえっての。

宮沢賢治の童話は、ディスコミュニケーションに閉ざされた世界を乗り越えたいという、強烈な宗教的願望に、突き動かされていますが、そこから政治化された宗教思考の世界までは、ほんの一歩です。そういう思考と、戦後の平和思想が無関係かというと、そんなことはない。そこでも人々の間に透明なコミュニケーションと繁栄をもたらすものが、強烈に求められていたでしょう。平和思想もまた、別のかたちをとった宗教思考だったのではないか。

日本国憲法の文言をそのまま守っていると、現実の国際政治はとてもやっていけないよ、ということはほんとうです。北朝鮮が日本人を拉致した。こんな国家的暴力にどう対処するんだと憲法に問いかけても、憲法は沈黙するばかりです。いつだって神々は沈黙するんですよ。(…)おそらく日本国憲法も、そういうものだと思うんですね。それはことばにされた理想なのですから、現実に対していつも有効に働けるとは限らない。働けないケースのほうがずっと多いでしょう。でも、たとえそれでも、そういうものを捨ててはいけないんです。そういうものを簡単に捨ててしまったりしたら、日本人は、大きな精神の拠り所を失うと思います。この憲法に代わるものを僕たちが新たに構築するのは、不可能です。

 考えたらこれ、全然「護憲」じゃないよなあ。先の井上ひさしの「非武装平和論」なんて、この理屈からすりゃ典型的な八紘一宇、戦前のそれこそキチガイじみた神国ニッポンのファナティックと全く同じ、ってことになっちまうし。で、それっていまや思いっきり正しかったりするし。

 断言するけど、中沢、「護憲」の「やつら」を絶対にバカにしてる。今の憲法を「平和」の相においてしか擁護できなくなっちまってるサヨクを軽蔑してる。なのに、それをおくびにも出さずに、こうやってつきあっちまう。社会的な正義とか何とかでなく、おのが思想的な誠実さにおいてでもなく、ただ単におのれの保身と自意識の満足のため「だけ」に。オウムに対して「こいつらニセモノだよな、バカだよな」とハラでは思いつつも、「でも、おもしろそうだからちょっと遊んでみようかな」とちょっかい出して、それでそのバカがはずみでサリンまいちまったら他人の顔、と同じこと。価値相対主義のデタッチメントがタマシイのぎりぎりにまでしみついている業の深さだ。

 それがインテリ/知識人だ、ボクの責任の取り方はこうなんだ、と言いたげなそぶりさえ見せて、中沢は懸命にポーズをつける。太田はというと、しょせん無学な芸人の哀しさ、それに追従して尻尾をふるしかない。かくて、「護憲」沙汰の切り札になるべきだった一冊は、いまどきの知性、インテリ/知識人の位相を期せずしてあぶり出すような顛末に。その程度にはやはり同時代状況というやつ、思わぬところで〈リアル〉だったりするものらしい。

 自主独立の気概があっていっちょ前、というのは、人も国も同じで結構な了見ですが、しかしそういう人は、だから独自に軍備を整え国を守る体制を、といった方向にはなぜか行かない。防衛庁が省に昇格するのも反対、核武装など議論すらダメ、まわりに何でもありのゴロツキ国家があっても、平和憲法なんだから外交と話し合いだけで、といつまでもいたいけな敗戦国の純情ぶりっこ。おいおい、それってGNP世界第二位の経済大国、すでにヒゲも生え、声変わりもしてそれなりに世慣れて、すれてさえもきたおまえがどの口でぬかすんだよ、このカマトトが、という視線もすでに世界にはあるでしょうに。


 いっちょ前になってきたならそれに応じて自前で何とかしてみようという気構えを持つのは、人も国も当たり前。いくら安保を結んでいるとは言え、図体もでかくなり稼ぎもあるくせにいつまでたっても気分はコドモのまま、自ら腰上げて何とかしようとしない、そんな横着な奴をそりゃあ誰であれ、本気で助けようとは思わないでしょう。それって、常に弱者ぶりっこで補助金だ何だと国や他人の助けだけをアテにしてやろう、という性根とどこか似てるような。あるいは、理屈だけはいつも立派だけど汗かこうとしないいけ好かない優等生、とか。そんなアダルトチルドレンみたいなニッポン、このままじゃどうやっても美しくは……ないですよねえ。

 これって少し前、産経新聞に掲載されたあたしの原稿ですが、さて、ここであたしごときにいきなり俎板に乗せられた右や左の「護憲」の方々、お気に召さないのならばどうぞ、いくらでもやっつけてやってくださいまし。すでに棚落ちしきった「権威」ぶりっこでマウンティングするのでなく、身の丈のちいさなコトバと誠実なココロで本気で向かい合おうというのなら、不肖小生、どんな場にも出向く用意がありますゆえ。