役人官僚の責任のとり方、とは?

 素朴にわかりません。役人官僚に失敗の責任をきちんととらせるためには、はてさて、いったいどのような方法が具体的にあるのでしょうか。

 社会保険庁のていたらくは言うに及ばず、郵政関連での総務省、偽装マンションがらみの国土省、輸入農作物での農水省、と、官庁で問題が発覚するたびに後始末はグダグダかつうやむやに、というのが永年ずっとお約束。制度や理屈は別にして、そもそもどこのどいつが悪いんだ、というのが見えない、わからないままだから世間はちっともすっきりしない。担当者、責任者の実名はきっちり表に出して、糾弾できるようにするべきです。

 文科省周辺でも「ゆとり教育」の見直しが進んでいます。遅きに失したわけで、明らかに失政だったと認めているのに、しかしここでもまた、誰もその責任をとっていない。

 寺脇研、という文部官僚が「ゆとり教育」の旗振り役だったことは周知の事実です。風向きが悪くなって昨年、官を辞し、その後何をしてるのかと思えば、あらま、日本映画映像文化振興センター、なるNPO法人(笑)の副理事長におさまり、大学教授の肩書きも持ち、かたわらで好きな映画評論執筆にいそしむ日々、だそうで。おのれがやってきたことについて何の責任も感じていないご様子なのは、さすがにいまどきの元官僚サマのおいしい世渡り。いやはや、むかつくほどに見事なものです。

 かつて、オウム真理教の事件が起こった時に、あの幹部連中と基本的に同じ世界観、価値観を共有した偏差値教育の「勝ち組」が、官僚や政界、法曹界などにも言わばスリーパーとして潜伏していて、彼ら彼女らが近い将来、その立場や権力をうっかり振り回して組織的犯罪に等しい災厄を世間にもたらすだろう、と懸念していました。それが文化教育行政の現場に出てしまった結果が、あの「ゆとり教育」だったんだな、と改めて思っています。

 役人バッシング、魔女狩りだ、との抗弁もありますが、なんの、片腹痛い。身体も張らずに逃げ続けて口をぬぐうだけの偽物のヘタレ「エリート」に向っては、恥知らず、という罵倒を世間の側からわかりやすく、直球で投げつけ続けることが必要です。