「ゆとり」大学の最前線

 大学もやっと世間並みに、のようです。中身じゃない、このところの淘汰再編の顛末です。

 上から下まで、少子化に伴う構造的な経営危機が平等に襲来、「ゆとり教育」の弊害による「学士力」の低下、ロースクール以下考えなしの大学院改革から、特亜限定かのごとき大盤振る舞いな留学生政策に至るまで、文科省のやることなすこと全て裏目の自爆の連鎖、そしてここにきて、おそらくは業を煮やした財務省じきじきの大々的な経費削減の大号令……とまあ、どっちを向いても「戦後」由来な斜陽業界断末魔の兆候ありあり。もちろん、もっともらしい批判や提言は一層花盛りで、船頭多くして何とやら、ますます事態は混迷を深め、最前線は各個に孤立、補給もないまま枯れてゆくところまで、ああ、見事に昨今のニッポン社会、「戦後」の清算過程の縮図です。

 とは言え、地方の大学に身を置く余録で、それら大本営発、上から目線なもの言いとは別の風景も日々目の当たりに。学費を払えなくなる学生が静かに増え続け、奨学金を親が生活費として流用する例も珍しくない。高卒での就職が難しい分、商工業系の高校、急増したフリースクール通信制高校からも進学希望者は当面微増の一方、これまで何とか維持されていた「大学」への期待に翳りがありあり。いまや三年の今頃から「就活」で、学生らしい期間はほぼ二年、かつての教養課程程度。しかも、「初年次教育の充実」てな能書きと共に「ゆとり教育」の尻ぬぐいまで全部現場にまわしていただくかたじけなさ。「豊かさ」のなれの果て、大学進学率50%超えの現実とは果たしてどのようなものか、つぶさに見聞させていただいている昨今であります。