「論壇」の行き着く先

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 おい、この期に及んであんまりみっともない真似するんじゃねえ、と挨拶がわりに、まずは一喝。『諸君!』休刊に代表される、昨今の「思想」「言論」誌周辺の総崩れに対するメディアの舞台での侃々諤々、に対してであります。

 たかが雑誌のひとつやふたつ、つぶれたところでいまさら何が珍しいもんですか。まして昨今のこの状況、活字中心に推移してきた「戦後」の情報環境が何十年ぶりかで大きく変わりつつある転形期真っ只中のこと、チンケな雑誌どころか、テレビや新聞までひっくるめて、そこら中で既存のメディアが白亜紀末の恐竜のようにバタバタ斃れてゆくかも知れない過程もまだようやく始まったばかり。そんな雄大な時代の流れの中のひとコマ、という程度のことに過ぎません、とりあえずは。

 なのに、いつも考えなしに騒いでみせるのがメディアの手癖。新聞を始めとした各方面のメディアが、単なるストレートニュースのみならず、ことさらに深刻ぶった特集記事をいくつも出すことになったのには、わかっていることとは言え、心萎えました。何より、その深刻ぶり自体が例によっての他人ごと、棚に上がった高みから憂いてみせるだけのマスコミ目線のシロモノときた日には、情けなさもまたひとしお。たとえば、ざっとこんな風です。

 保守論壇を代表する文芸春秋のオピニオン月刊誌「諸君!」が5月発売の6月号を最後に休刊することが決まった。背景には今回の経済危機が影を落としているが、時に過激な論争で名をはせ、固定ファンを獲得していた同誌の“撤退”は、保守論壇が岐路に立っていることを示す。(…)従来の座標軸が見失われ、時に過激な論調が目立つ保守論壇。一つの拠点を失うことで、今後、どのような変化を見せるのだろうか。

 月刊の総合誌が相次ぎ休刊している。「論座」「月刊現代」に続き、「諸君!」も今月初めに発売された6月号で40年間の歴史に幕を閉じた。3誌は発行元もカラーも違うが、書き手からは「ノンフィクションの危機だ」と声が上がる。

 保守・右派言論をリードしてきた「諸君!」が、6月号で姿を消す。突然のニュースに、指摘されて久しい論壇の崩壊がいよいよ決定的になったと感慨にふける年配者は、政治的立場の別を問わず、少なくないだろう。(…)不況で論壇のテーマが経済に移り、政治外交や歴史に偏りがちな保守論壇誌に痛手だったという指摘もある。いずれにせよ論壇にとっては本格的な冬の時代。新たな試みが待たれている。

 武士の情け、で署名をさらすのは猶予しておきます。

 とは言え、あんたらどこかで談合したのかよ、と言いたくなるくらい、ほとんどが同じ組み立て、同じ論調。関係者のコメントとって切り貼りして、アタマとケツに上から目線のもっともらしい能書きつけていっちょあがり。判で押したような新聞記事フォーマットの流し込みですが、それでもそこそこ紙面は占有するから何やら事件のような装いは醸し出すし、昨今のこと、web環境でもブログだ掲示板だと二次、三次のコメントもつけられてゆきます。活字読みの手癖を持った世代がまだかろうじて頑張っているのが、今のニッポンのインターネット環境ですから、「思想」や「言論」に何か信心がある、あるいは、自分はないまでもそういう信心を持つことは悪いことではない、程度の認識は未だ共有されていて、かくてなだらかに事態は増幅、雑誌ひとつの休刊が大したできごととして定着してゆく次第。

 ざっと思い返すだけでも、かつて『朝日ジャーナル』が休刊になった時、あるいは『噂の真相』が店じまいした時、節目節目でこういうルーティンはメディアの手癖として繰り返されてきました。その限りではまさに伝統芸能、メディアの場での民話、みたいなもの。それはそれ、でしょうが、しかし、ひとつのできごとの背景に確実にうごめいている何ものか、をとらえようとする時、この種のルーティンはほんとにまっとうな認識を曇らせます。

 今回の『諸君!』休刊から引き出されるべき認識の最大公約数とは、「思想」だの「言論」だの、それらを取り巻くあれやこれやもひっくるめての「論壇」といった約束ごともコミのある種“勘違い”がおめでたくもシアワセに成り立っていた環境が、いよいよ誰の眼にもわかりやすく煮崩れを起こし始めている、ということでしょう。まずはそれ一点、それ以上でも以下でもありません。 で、それは慶賀すべきこと、だと敢えて言っておきましょう。もっともらしく眉根に皺寄せ憂いて見せる深刻ぶりっこ自体がもう、それらルーティン任せの思うツボ。そうではなく、おお、めでてえじゃないか、煤払いができて、加齢臭ありありで気詰まりだった「言論」や「思想」のまわりも、これでちったあ風通しよくなるんじゃねえか、とにっこり笑ってみる、まずはそこからしか、本当にに〈いま・ここ〉で起こっていることの同時代的意味を見通すことはできないし、ましてやそこから先、このわれらの時代がどのように転変してゆくのかについて、静かに見通すことなどとてもおぼつかないままでしょう。


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 わが『正論』が最終号に大きな広告を打って、「論壇」馬鹿丸出しに堂々、エールまで切ってみせた、その『諸君!』休刊についての固有の背景というのは、ごくざっくり言って二点あるように思えます。

 まず一点め。こんな「言論」「思想」雑誌を腹くくって引き受けようという編集者が、いまや現場にいなくなっちまってたらしいこと。

 社内のエラいさんは、まだ誰か手をあげるかも知れない、と思っていたかも知れませんが、いざフタを開けてみたら誰もいなかった。そりゃあ雇われ人のこと、業務命令と言われりゃやらなくはないけど……てな程度の御仁はいても、そんな何の熱意も宿らない小手先仕事でこの手の雑誌が何とかなるような状況でないことは明らか。まして、斜陽著しい業界とは言え、黙っていればまだ結構な年収が保証される版元、危険手当でもつくならまだしも、トクもないのにこんな老いぼれ「言論」誌の介護……あ、いや、お世話なんかを好んでしてやろうという馬鹿が、いまどきそうそういるもんですか。要するに、かつて華々しく戦い、それなりの伝説も残した老兵の死に際を看取ってやろう、いっちょ最期の花道を飾らせてやろう、といった心意気さえ現場にはもう宿りようがなかった、ということでしょう。これは、後で述べるように、出版に限らずいまどきのメディア稼業の現場に共通する世代交代の問題とも根深くからんでいるはずです。

 二点め、経営的な視点から。と言っても、間違っちゃいけない、そこら中で耳タコに言いならわされていた「赤字だから仕方なく」てな理由では、おそらくない。

 売れ行きが落ちた、部数が低迷して経営的に成り立たなくなった、という説明は、もっともらしい分、しかし個別の事例に対しての理由にはなりません。まして、昨今のような経済状況、出版そのものをめぐる環境がこのように悪化している現在ではなおのこと。売れない、だけでは個々の雑誌をつぶす理由としては、実は何も言っていないに等しい。

 そりゃ資本主義社会のこと、商売にならないものは滅びるのが摂理ですが、でも、もともとそんな商売の理屈だけでやってる稼業でもない、というタテマエもあった分、「思想」や「言論」を取り扱うには、商売にならないところでどれだけ踏ん張れるか、という一線についての矜持、ある意味の信心もまた必要だったはずです。少なくとも、小説がみるみるうちに商売になっていった昭和初年の「円本ブーム」の頃、いや、戦後だとて、どんな粗末な紙でも活字が印刷されていれば飛ぶように売れた、と語られている闇市時代ならばいざ知らず、出版事業がある程度の市場を獲得してこのかた、「思想」や「言論」がただ商売になるというだけで成り立っていた時期というのは、そうそうなかったはずです。

 だからこそ、「赤字だから…」をダシにして、「文学」ではまだ意地を張れて、「思想」「言論」では踏ん張れない、その分岐点をきちんとことばにしておかないといけない。当事者はもちろん、それらのまわりも含めて。

 具体的に言います。あの『文學界』さえまだ支えるつもりらしいのに、その一方で『諸君!』をあっさり放棄したことの違いは、果たしてどこにあるのか。赤字というなら五十歩百歩、経営的視点からは同じようなもののはず。もちろん、すでには空洞化久しいとは言え、かの芥川賞直木賞以下、ブンガクというコンテンツは文春や新潮といった老舗版元のお家芸、いかに儲けが出なくなったとは言え、おいそれと潰すわけにもゆかない、という意地の要素はあるでしょう。ならばなおのこと、「思想」や「言論」に関してそんな意地はなぜ働かなかったのか、ということにもなります。この分岐点は、何も文春に限ったことでもなく、これまでの活字の市場で商売をやってきた老舗と呼ばれる出版社の世界観、価値観にとって、嘘でもこれまで「文化」を僭称してきた手前、真剣に自省し検証しておかねばならないことのはずです。


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 岡目八目、無責任に言い放つなら、当座をしのぐだけなら、たとえば『will』みたいな方向でやってみる、そんな選択肢もあったでしょう。なに、どうせ主な書き手はとうに枯渇しあっちこっちで重複しまくってるわけで、ならばいっそ合併したってよかったはず。『will』+『諸君!』の連合軍、ならばこの先もう少しは戦線も維持できたような気がしないでもない。

 でも、文春にはそれができない。なぜか? プライドがあるから。そこまではしたくない、堕ちたくはない、という一線があってしまうからです。言い換えれば、何もここで「思想」「言論」ネタと心中しなくても何ひとつ困らない、そう思ってしまう人たちがすでに多数派だから、です。

 泥水すすり草を食み、なりふり構わず「保守」ブランドでまだしぶとく商売してやらあ、という「論壇」馬鹿の心意気など、良くも悪くも初手から無縁。なにしろ、テキは脱藩組の花田が立て籠もっている最後の牙城。善し悪しはともかく現状、「思想」「言論」でまだ商売しようとするならあれくらいの恥知らずを平然とやってのけるしかないと思うのですが、そこまでやらかす踏ん切りは、少なくとも会社の判断としてはつかなかった――ざっとそういうことでしょう。

 ここでも、敢えて馬鹿になる、死中に活を求める、といった理屈を超えた心意気は発動されないまま。身体を張って「思想」「言論」の死に場所くらいはこさえてやろう、といった意地すらすでに現場では雲散霧消していたようです。

 まさに、このへんのことが、先に少し触れた、メディアの現場の世代交代とも関わってきます。

 一方では、「論壇」誌の凋落と共に昨今、ノンフィクションの危機、といった右往左往も始まっています。それらジャンルのフラッグシップ的存在ではあった講談社の『現代』がすでに休刊、周辺にたむろしていたライターたちが危機感募らせいろいろな動きを始めているようで、それらもまた、新聞以下の既存メディアで何やら大切な運動のごとく、上から目線で取り沙汰されたりしています。

 それらの動きをはたから眺めてどうにも心持ちがよくないのは、編集者も含めて「仲間」であり「同志」である、といった気分が何やら無条件に前提になっている、ということです。何と言うか、派遣切り(このもの言いも居心地悪いのですが)にあっておっとり刀で、やれユニオンだ、連帯だ、と本気で言い始めている派遣労働者たちを見る時に感じるやりきれなさ、とよく似ています。

 講談社に限らず、これら既存の出版メディアの正社員である編集者が、いまやどれくらいの高給とりか。そんな彼ら彼女らがもしも本気でノンフィクションの「正義」とやらをいまどきまだ信じているのだとしたらただの愚鈍、仕事だから……というだけで関わっているなら単なる卑劣漢、どっちにしても、この道で食うしかない立場のライターたちが仲間と恃んでいいような存在ではすでにないでしょうに。

 はっきり言います。いまや出版社の、少なくとも取り沙汰されているような大手の版元の編集者は、よるべなき徒手空拳、ワープロ無宿のもの書きの共闘すべき相手などではなくなっている。漫画業界でも同じことが起こっているのは周知の通り。かつては何か共に理想=“勘違い”を共有していいものを作ろうと頑張ってこられた、その前提がいつの間にか大きく変わってしまっていたにも関わらず、そのことにどちらも違う方向から共に気づいていないまま放置してきた結果の、ある種の構造的なモラルハザードです。

 何よりあきれたのは、この期に及んでまだ「○○賞」を設立、賞金に100万円を積んだ、と得々と語っていたことです。「背伸びしてまで100万円を払うのは、大手出版社に1千万円出せと言いたいからだ」とうそぶいた御仁までいた由。その100万円に発憤して「よし、いっちょ傑作ルポを」と腕まくりするような絶滅品種の馬鹿がいるならぜひ一杯おごらせてもらいたいくらいのものですが、そんな物件はいまどきノンフィクションまわりで生き延びられている道理もなし。百歩譲って賞をとらせたとして、その後をどう始末するのか。そもそも、「賞」をテコに「才能」を掘り起こし、それを市場に還元して回収する、というビジネスモデル (ああ、かのブンガク由来の栄光のレガシーモデル)そのものがもうとっくに破綻しているのが、はてさて、どうしてわからないのでしょう。つくづく謎であります。

 良くも悪くも、しょせん「内輪」頼りでしかやってこなかったことの最も悪い面が出ています。書き手も編集者も元は同じアナのムジナ、つまりは学生運動的な、文化祭チックな「内輪」で「青春」な気分の共同性があり、そこをテコにシアワセな“勘違い”を続けることができていた時期の産物。もちろん、良い面も山ほどありました。どちらも共に名もなく貧しくいたいけで、美しくはなくとも卑怯未練な真似はできるだけしない、といったタテマエはまだかろうじて生きていた。出版が、ジャーナリズムが「文化」的な事業であり、ただの商売とは違う、そんな意味での“勘違い”=理想もまた良い意味で共有されていた、そんな状況。しかし、それらはだいぶ前からもう、内側から確実に腐り始めていました。


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 ひとりであること、そしてそのひとりが自由であろうと志していること――言葉にすればただそれだけのことですが、しかしそのそれだけのことを現実に支え続けることは、言わずもがな、厄介です。

 そう、「思想」や「言論」が生身のおのれと骨がらみにならざるを得ない、そんな不自由を背負わざるを得なくなっている存在であることを引き受ける、だからこそ「論壇」なんて“勘違い”もまた、かけがえのない自分の居場所になっていたということについて、ある世代以降は身にしみて思い至ることがなくなっていました。

 その間の事情は、うすうす感じ取られているところはありました。でも、表立って論じられることはなかった。ないままに事態は推移し、気がつけば雑誌は売れず、読者も拡散、「思想」や「言論」ではもう商売が成り立たず、何よりそれらを支える気分としてのソリダリティもどこへやら。できあがったルーティンをマジメにこなすだけが取り柄の稼業となり果てて以降、メディアの現場は〈いま・ここ〉の〈リアル〉と肌身で接する、風はらむような愉快の記憶を失ってゆきました。世代交代とはそんな記憶喪失、「文化」の伝承のメカニズム自体が壊れてしまうことも含み込んでのこと、です。

 ある時期以降、メディアの舞台で流通する「左翼」的もの言いというのは、まず背景に実存の伴わないコピーライティングのようなもので、書いたりしゃべったりしている当人にしても深く考え抜いた上のことなどでなく、単に「そういうものだから」というだけで習い性としてやっている程度のこと、それには間違いなく世代性も介在している、そういう意味です。

 なるほど、学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説というのは、まあ、必須でした。少なくとも、ある時期までは確実に。世間から、言い換えれば通俗のまかり通る場所から良くも悪くも隔離され、別天地として約束ごとが設定されていた「学校」、およびその繋累の場であるマスコミ周辺などにおいては、そのような世渡り作法は長い間温存されていました。それは、実利があればこそ温存されていたわけで、そのようなサヨク/リベラル系言説を身につけておけば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、あたかも超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走してゆくことができる、そういう実利をもたらしてくれるものでした。

 学校の教室、小学校や中学校のホームルームのような場で、ひとまず耳ざわりのいいものとして聞こえるもの言いや、そこでの立ち居振る舞い、それこそが「反日マスコミ」に象徴されるサヨクぶりや、プロ市民的もの言い、つまり「反日」の発生地点である。(…) それはある意味で「優等生」の身だしなみ、であり、その限りでそれは「先生」という立場にほめられる、評価されるためのもの、という縛りがかかる。(…)学校と、その延長線上にある世界。たとえば、テレビやラジオ、出版といったいわゆるマスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士……何のことはない、昨今いわゆる「勝ち組」と称されるような職種の多くは、それら学校民主主義の型通りが跋扈する場としてふさわしいものになっている。

 

 だから、もう一度わかりやすく定義しておこう。サヨクプロ市民といった「反日」の身振りは、そのような学校民主主義の「優等生」たちの身だしなみであり、その限りにおいてそれはまさに戦後、高度経済成長期以降に輪郭をあらわにしていったニッポンのエリートカルチュアの、あるコアの部分、でもあった。

 

 身だしなみである以上、それはいちいち考えなくてもいいもの、になっている。マナーとしてのサヨク、とにかくそういうもの、としての「反日」。なぜネクタイをしなければいけないのか、なぜ靴をはかねばならないのか、といったことをいちいち考えながらこなしている者はいない。同じように、すでにその場のマナーと化してしまったサヨクぶり、プロ市民らしさは、いちいち疑問を呈するようなものでもなくなっている。「反日マスコミ」のあの反省のなさ、世間から浴びせられている視線についての自覚の欠如は、それほどまでに彼らの「反日」が単なる習い性、深く考えた上で自覚的に選択されたものなどではとうになくなっていることの、雄弁な証拠に過ぎない。

――拙稿「身だしなみとしての「サヨク」」 『TBS報道テロ全記録』 晋遊舎 2007年

 これは、「知性」の自意識、とでも言うようなものが、どのように高度経済成長以降、「豊かさ」がもたらしていった情報環境の変貌の中で、変わってゆかざるを得なかったか、ということであり、そのことにどれだけ敏感、かつ誠実に対処しようとしてきたかどうか、ということでもあります。

 もちろん、いまさら革命でもなし、そんな社会のあり方、政体の変革を「主義」として第一に掲げてサヨクになった者ばかりでもなかったわけで、特に高度成長期の大衆化をくぐってゆく過程で、サヨクは間違いなくある「自由」の表象、「個人」であることを最も手軽かつ効率的に身にまとうことのできるアイテムと化してゆきました。これは悪い意味だけでもなく、だからこそ身だしなみとして誰もが身にまとえる、それこそお手軽なジーンズみたいなものになっていったわけです。

 逆に、保守の側はそのような大衆アイテムになりきれなかった。少なくともサヨクとの対比においては負けていました。そのような結果としての「少数派」であり続けたことは事実として、でも「少数派」であるから正義である、という倒錯もまた、お約束で準備されてゆきました。

 たとえば、いまから四半世紀以上前、1983年につくられた『愛國戰隊大日本』という、当時の学生たち主体による自主制作映画の主題歌が、ある種の自意識の先取りをしています。

もしも 日本が 弱ければ

ロシアが たちまち 攻めてくる

家は焼け 畑は コルホーズ

君はシベリア 送りだろう

日本は オォ 僕らの国だ

アカい敵から守り抜くんだ

カミカゼ スキヤキ ゲイシ

ハラキリ テンプラ フジヤマ

俺達の日の丸が燃えている

GLOW THE SUN

RISING SUN

愛國戰隊 大日本



この世に ロシアが あるかぎり

いつかは 日本に 攻めてくる

北の果て シベリアの 彼方から

アカの魔の手が 迫り来る

御国の四方を守るため

兵役は オォ 国民の義務だ

カミカゼ スキヤキ ゲイシ

ハラキリ テンプラ フジヤマ

君たちも 今すぐに 銃を取れ

GLOW THE SUN RISING SUN

愛國戰隊 大日本



凍らぬ 港が ある限り

ロシアは いつでも 狙ってる

尊い 犠牲を 払っても

北の土地から 追い返せ

樺太も オォ 僕らのものだ

祖先の土地を取り戻すんだ

カミカゼ スキヤキ ゲイシ

ハラキリ テンプラ フジヤマ

今すぐに アカどもを ぶち殺せ

GLOW THE SUN RISING SUN

愛國戰隊 大日本



北に ロシアが いる限り

北洋漁業は 出来やせぬ

網は裂け 漁船は 拿捕されて

またもカズノコ 高値呼ぶ

サケ マス タラも僕らのものだ

トロール船を 追い返すんだ

カミカゼ スキヤキ ゲイシ

ハラキリ テンプラ フジヤマ

君たちも 今すぐに 出漁だ

GLOW THE SUN RISING SUN

愛國戰隊 大日本


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この歌詞、今こうして眼にしても、それほど違和感なく笑えるものなっています。けれども、当時このようなもの言いを敢えて持ち出してきた、同時代の“気分”というものまでは、〈いま・ここ〉ではすでにわかりにくくなっているかも知れない。

 同じ頃、前後して、一部の若い衆の間で、紅衛兵毛沢東文化大革命といった「中国共産党」関連のキャラクターやグッズがもてはやされたこともあります。右翼と左翼、一見、両極端の現れに見えますが、しかし、それらを支えた時代の“気分”においては全く共通していました。しかし、そのことの意味について考えられる舞台というのはうまく準備されることはないままでした。

 いわゆる「おたく」的自意識が輪郭確かなものとして姿を現わし始めていた、その最初の時期です。その意味で、彼らは「おたく」第一世代ではあった。彼ら「おたく」は、少なくともその第一世代は、あらかじめ「保守」となじむものでした。と同時に、「サヨク」とも全く同等に。

 おそらく、こういうことです。装いは何であれ、キャラとしての、あるいはもの言いの表層としてのそのような「落差」を生んでゆくモードに対して、彼らはあらかじめなじんでゆく資質を持っていた。ことばとからだ、表象と実存とがあらかじめ乖離したところで成立していた自意識。それがすぐ後に、メディアに学校に、あるいは行政機構に、さまざまな現場にその自意識のまま流れ込んでゆくことになります。世代とは、そしてそれらが交代してゆく潮目とは、一見わかりにくい形でこそ、本質的な不連続をはらんで現前化してゆくもののようです。


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 かくて、語っておくべきことはとりとめなくも厖大で、紙数は常に限られています。

 そのような情報環境の変貌過程の真っ只中で、なお「言論」「思想」の今日的再生、というのがあり得るとして、まず最低限共有しておかねばならない問いは、まず、〈いま・ここ〉の「通俗」にどれだけ向かい合えるか、そしてつきあえるか、ということです。いわゆる「論壇」誌の中で、『論座』と『諸君!』が先に逝ったことの、おそらく多くの人から見えにくい理由のひとつは、この「俗」な現実に対する身構え方の違いが関わっているはずです。

 田母神現象、というのはその意味で象徴的です。サヨク/リベラル座敷牢の内側からは「デンパ」と見られるしかない言説が、彼らの予測を超えて支持されているらしい、とりあえず。レベルの低い「思想」を喜んで受容している現在は、まさに「衆愚」である、と彼らは思ってしまう。どうして正しいものの見方、考え方ができないのか、嘆かわしい、と。

 そのことの是非については、この場では措いておきます。ただ、言っておかねばならないのは、そのような嘆き方、批判をしてしまう気分というのは、たとえばかつてマンガを喜んで読み、紙芝居屋のまわりに集まり、駄菓子屋にたむろした普通の子どもたちに、学校のセンセイたちが眉をひそめたのと同じです。マンガや紙芝居や駄菓子がくだらない、レベルが低い、という前提を疑わない限り、ならばなぜ彼らはそれらに熱中するのか、という正当な問いは永遠に芽生えないままです。

 思想とは、いまやその程度に普通の人々、「大衆」が手にする消費財となっています。実はそうなって久しいし、最低限抑制的に言っても、web環境の普及浸透なども含めてその過程がこれまでと違う様相を呈するようになってからでも、もうざっと20年近くはたっている。前世紀90年代以降の状況とは、情報環境の変貌を変数に入れて計測してゆく限り、どう見てもこのような認識に至らざるを得ません。少なくとも、サヨク/リベラルな、いや、左右を問わず「論壇」な人たちが夢想してきたような形で「思想」や「言論」があり得たような、「戦後」で「昭和」な時代の情報環境からすれば。

 もちろん、それでもなお、世間は思想や言論なんかで動くわけはない。多くの人々は日々の暮らしの半径で充足していますし、今も昔もそんなもの、不況だから経済が主題に浮上した分、思想や言論沙汰が後退した、といった解釈などは、しゃらくさいのを棚に上げればある意味正しいわけで、食うことにこれまでより気配りしなきゃならなくなったら誰も思想や言論なんか気にしていられなくなった、ってことではあるのでしょう。

 けれども、情報環境の変貌は、手作りの工房である種美術品、ゲージュツとしてこさえられていた「思想」「言論」を、もっと手軽に安くなじみやすく誰もが手にとり得るものにしてきました。市場がそれをどれだけ欲していたかはひとまず関係なく、視線を向ければ確かに眼に入る、その程度に日常に転がっているアイテムにしていった。だからアクセサリーにもなったし、自らを飾るちょっとしたフリルのようなものにもなった。ですから、思想そのものの内実、実質の部分を実質のまま評価してゆくような環境は、「戦後」の途上ですでに過去のものになりつつあったはずです。ただし、そのように過去のものになりつつある状況があったからこそ、思想はそれまでより広い範囲にその存在を気づかれるようになったのだし、市場として初めて新たな広がりを獲得できるようにもなっていました、皮肉なことに。大衆化、通俗化と市場の拡大、隆盛とは、常にそのような皮肉な現実をはらんで現前化してゆくもののようです。

 しかし同時にまた一方で、思想の実質がまだそれまでのようにあり得ると信じることのできた者たちの自意識は、そのような「俗」の現実に耐えられなかった。90年代以降、「右傾化」と呼ばれたような「論壇」市場の一見の隆盛は、本当ならばそのような隆盛の中に通俗化の契機を同時に察知しながら、それらとの関係において新たな思想の実質を切り開いてゆくような、ある種ダブルバインドの中でかろうじて営みが可能になるようなハイテンションな状況だったはずです。そして現状、『正論』にせよ『WILL』にせよ、そのような「俗」とのインターフェイスにおいて思想をハンドリングしようとする態度がまだ相対的に残っている分、現状を何とか耐えられている。それと真逆の意味で、あの『世界』もまた、彼らの生態系の最終防衛ラインとして結界を張れている分、不思議にも辛抱できているらしい。ある意味、エラいなあ、あんたらも、と彼の戦線を遠く塹壕ごしに見やりながら、トホホな共感をしんみりかみしめていたり。

 かくて、この情けなくも凄惨な消耗戦は淡々と進んでゆき、ここから先はやはり理屈や能書きは一切抜き、死なばもろともで「論壇」馬鹿にどれだけなり切れるか、の争いになるのでしょう。もちろん、その先は誰にもわからない。わからないけれども、しかし、たとえ属する陣営、貼りつく戦線は異なれど、「思想」や「言論」、はたまた「論壇」といった代物が本当にシアワセに支えられていた時期というものこそ、実は相当に例外的な事態だったということ、われわれはたまさかそんな時期に生を享けたに過ぎない、ということを皆平等に思い知った上でなお、なけなしの身とことばとをふりしぼりつつ、できる限り誠実に前向きにくたばれるか、です。

 『正論』は残りました。ひとまず、残った。さりとて何の慰藉も必要ありません。遅かれ早かれ「言論」「思想」は同時代の表層からフェイドアウトしてゆき、世のことわりに従って「記憶」の、そしていずれ「歴史」の過程に溶け込んでゆくのでしょう。しばしそれまでの間、まだ何ほどかの想いと、及ばずながらなおひとさし舞ってみせるか、という心意気が宿っている限りは、継いでゆくべき、そして手渡しておくべき何ものかのために、するべき仕事はまだ、うっかりここに残ってしまった者みな誰もが、笑いながらこなしてゆくはずです。