スチャラカ公務員

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 橋下徹大阪府知事、孤軍奮闘中のようです。おいおい、気をつけないとそのうち暗殺されるぞ、とこちらが心配するくらいの暴れっぷりで、まさに「抵抗勢力」を絵に描いたような組合をテコにした公務員のだだこね振りは、政治的身振りとしてもとにかく最悪に拙劣。橋下自身の問題はともかく、ことこの「改革」の方針自体はとりあえず全力で応援はしています。

 例によって評論家のセンセイたちは、どうして大阪はどうしてここまで腐ってしまっていたのか、などとおっしゃっていますが、なんの、いま初めて気づいたようなそのあんたらの口ぶりが、何ともしらじらしい限り。かのノック知事の頃から、そんなものずっと百も承知のことだったはずじゃないですか。

 かつて『スチャラカ社員』という大阪発の名物番組がありました。ニッポンの「お笑い」史上に残る伝説的番組のひとつ。小さな会社を舞台にしたコメディでしたが、その主題歌に「まあ、定年までボチボチ行きまひょか」という一節があった。でもこれって別に大阪だけでもないわけで。当時のニッポン、高度経済成長期のわれらがおおむねそういう気分、だった。たとえば、かの植木等も「サラリーマンは気楽な稼業」と言い放ち、「タイムレコーダーガチャンと押せば/どうにか格好がつくものさ/ちょっくらちょいとパーにはなりゃしねえ」と謳歌していましたし、当時の三遊亭歌奴、今の円歌師匠の出世作となった十八番「浪曲社長」も、社長の道楽につけこんで入社試験の面接をまんまとやりすごすくだりが、世間の喝采を浴びていた。要は、その程度に「サラリーマン」というのはスチャラカでいい加減な稼業、という認識は、当時のニッポンの人の多くはどこかでみんな持っていたようなのです。

 

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 で、それら「サラリーマン」を全部「公務員」に置き換えれば、ほうら、まさに今起こっていること、なわけで。つまり、かつて高度経済成長の始まりにわれらが夢見たホワイトカラーの理想像、願望も含めたヒーローとしてのラクチン人生のイメージが、半世紀近くの後に、ああなんと、今やお役所界隈でだけ実現しているということです。

 そりゃあ、抗弁や釈明はあるでしょう。でも、今の世間の気分としてはそれこそ、そんなの関係ねえ、なわけで。そんなスチャラカでいい加減な仕事にあぐらをかいて、何のうしろめたさも感じていないかのような世渡りそのものが、厳しく糺弾されているということにもっと敏感になるべきでしょう。それは「教員」についても全く同じ。公務員とひとくくりされる中で、現業系から高級幹部に至るまでの幅で、数としてもそのイメージとしても、世の思う「公務員」的暮らしぶりや世界観の典型として、実は「教員」に焦点が当たっている。そんなスチャラカも含めた「文化としての教員」を自らことばにして俎板に乗せることこそが、信頼回復の最短距離だと思うのですが。