語られるべき「炭鉱」とは?

 

 炭鉱は、いつも最前線でした。何の? わがニッポンの、あのとんでもない「近代」の。

 鉄と石炭とが「近代」の土台を、あらゆる産業の根幹を支えていた。そんな時代、最も熱く、煮えたぎるようにならざるを得ない、身体を張った生の場所のひとつが、炭鉱でした。

 なのに今や、ただ悲惨で過酷で気の毒な、そんな修飾語ばかりがついてまわる「炭鉱」しか語られなくなっている。そのことを素朴に不思議に、そして日本人として情けなく思います。

 かつて、そこに生きることがどれほど悲惨で過酷で気の毒であったか、確かにそれは事実だったでしょう。でも、同時にそれと全く等価に等量に、誇り高く男前で、身ひとつで生きることのカッコよさを体現した、英語ならば正しく「tough」=タフ、と発音するような独立独歩、いっちょまえの人間たちが懸命に生きようとしていた場所でもあった、そのことを忘れた「炭鉱」の語られ方は片手落ち、何より、かつてそこに生きた彼ら彼女らに対して無礼です。

 「そうら、親不孝もんのふるさとについたばい!」

 かつて、自ら望んで炭鉱夫になり、廃鉱に住み着いてそこに生きることを書きとめ続けた故上野英信が、たどりついた炭鉱で初めて聞いた声。九州は筑豊と北の夕張、列島の両端であっても、炭鉱という場所に対する世間の視線は変わらなかったでしょう。とは言え、夕張は三井や三菱系の経営ですから堂々たる大資本、筑豊の「圧制ヤマ」とは格別の、それだけ誇り高く、仰角に構えた視線もそこにはあったはずです。

 炭鉱だけじゃない。鉄道、港湾、造船所に製鉄所、そして軍隊……あのとんでもない「近代」を身ひとつで受け止めて生きてゆかざるを得なかった、それら最前線の現場が、ただ悲惨で過酷で気の毒なだけであったはずがない。時を経、記憶もまたそこに生きた人たちと共におぼろに遠ざかりつつある現在、すでに discourses of the vanishing  (失われゆくもの、として語られる、その語られ方) のひとつとしてだけ人々の意識にのぼるようになってしまった「炭鉱」も、しかし、かつて確実に生きた身体がそこにあった、そんな「場」として立ち上がることをもう少し許してもらえないだろうか、民俗学者としてそう思っています。