「九州男児」と「童心主義」

 「九州男児」と「童心主義」が交錯する地点があるとすれば、それは「少年」、でしかないでしょうね。

  それは「稚児」という意味もあたりまえに含み込んだ、その意味では近世以来の西南日本系出自のセクシュアリティを前提にした、という脈絡において、でもありますが。

 コドモは純真である、オトナと違う内実を持ったトクベツな存在である、ということを大文字で言いつのったのが童心主義の最大公約数です。それは別の方向では、「民衆」「庶民」をそのように特権的な地位に置くようになっていった流れとも同根のものです。そのような意味で、「童謡」と「民謡」は同じ幹から生えています。

  九州男児を背景にした「少年」に、「美」という価値観が同伴すれば、もちろん、「美少年」になります。「童心主義」的な特権性を「少年」にしのびこませれば、ということは、換言すれば「近代」の匂いをその「少年」にまぶしてゆけば、そこにあるイメージとしての「美少年」は輪郭を確かに立ち上がるはずです。

  「童心主義」の脈絡に、そのような「美少年」のイメージは希薄です。セクシュアリティの領域とうっかりと切り結ぶ、それが当然であった時代の、渡辺京二的に言えば「逝きし世」での「少年」の全体性を回復する意味で、九州男児と「童心主義」との遭遇は、知的にスリリングで闊達なものになるはずです。

 オトナに一方的に庇護される存在、でなく、オトナがココロを再発見してゆく便利な触媒として、でもなく、オトナとの関係でうっかりと初手から性的でもあるような「少年」とは、しかし「九州男児」へと「成長」してゆく可能性もはらんでいたはずです。コドモはオトナとの関係において、正しく性的な領域も別なものに開花させてゆき、共同体に包み込まれた「個」として、オトナと共にあっぱれ働き場所を得る、そんな「おはなし」の結構は、おそらく「童心主義」の脈絡だけからでは、十全に見通されることのないままでしょう。

  虎造の次郎長伝の中の、あれは荒神山の決戦に赴く神戸の長吉以下に付き添い、オレもついてゆく、と言い張るコドモがいます。それを確か半ば騙すようなカタチで、おまえはコドモだから残るんだ、と諭してゆく、その関係の中に、そういうオトナとコドモ、そして共同体の心性のトリアーデが垣間見えたりしています。

 で、そのコドモが最後に悪態を思いっきりついて別れの挨拶をする、共同体に彼らオトナの戦いぶりを語ってゆく役割、としてのコドモの存在。忠臣蔵から白虎隊、熊本共同隊から西郷隆盛の学校党まで、「若い」という属性がオトナとの関係でどのように「かわいがられ」ていたのか、「童心主義」からは、そのような背景もまた、見えてこないのがもどかしい。

 個人的にも、九州男児論と「童心主義」を蹴あわせてみて見えてくるだろう領域は、何とかしてみたい部分です。