「逃散」が始まっている

 名前を言えば大方が聞いたことくらいはあるはずの、牛丼の大手チェーンのひとつ。そこに属する店がこのところ、あちこち閉店しているというのでweb上から噂になりました。聞けば、店員たちが軒並み辞めて人手が足りずまわらなくなっているのだという。

 例によって真偽不明、口さがないweb住民たちの噂話ですが、昨今はその当の店員アルバイトたちが自ら「証言」がいくらでもできる情報環境。もちろんそれとて真偽不明ではあるのですが、それでも数がそれなりに出揃うと無碍に否定できない程度の本当らしさは宿ってくるわけで、ことの「真相」は表のメディアに出てくる以前に、いやだからこそ「表沙汰にならない本当らしさ」をまといつつ静かに共有されるおはなしになってゆき、そうこうするうち表のニュースとしても報道されるまでに広まってゆきました。

 何でも、最近新たに導入したメニューがきっかけで、店員といってもほとんどがアルバイトないしは非正規雇用の言わば間に合わせ、ヘタすりゃ正社員が現場にいないこともあるとかないとか、何にせよギリギリの人出で回すのが常態と化していたこの種の外食産業最前線のこと、手数がかかるのかメニューに慣れないせいか、とにかくルーティンの作業に一気に破綻をきたし、たまりかねて店員たちが逃げ出し始めたということらしい。少なくとも噂の「真実」ではそういうことになっていた。これに対して会社側は店の改装のためであらかじめ想定内の閉店、と釈明して全面否定。何にせよ、昨今の外食産業の修羅場っぶりを象徴するような話です。

 やりきれないのは、彼ら逃げ出したアルバイトや非正規雇用の店員たちを統括し、店を切り盛り回してゆかねばならない、正社員であれ契約社員であれ、いずれアルバイトよりは責任ある立場にあるはずの者もまた、おそらくは大学卒で内定を勝ち取り入社した、逃げた者たちとさして年格好の変わらぬ若い衆だろうということです。その彼らとて決して安定した地位にいるわけではない。過重労働で人手が足りなくなればそれを無理してカバーしなければならず、責任を上から問われるのも彼らです。弱い立場の者が同じ弱い立場の者を追い詰め、共に苦しめ合っている構図に、「逃散」という歴史用語を思い起こしました。中世以来、年貢その他で苦しめられた果てに、ついに語らいあってみんなでムラから逃げ出したという伝統。サービス産業が肥大した今の産業構造では外食産業の現場からの「逃散」がこのように起こってくるようです。


●●

 ことほどさように昨今の労働環境、それも若い衆世代の流し込まれてゆく仕事の場のありようは、これまでと異なる煮詰まり方、逃げ場のなさを呈してきています。それは「若者」とひとくくりにされ、少し前までは世の中から期待もされ頼りにもされていたような立場の側にとって最も深刻でやりきれない現実として現前化しているらしい。

 地方の零細私大、それも学力的にはほぼ地元最底辺と言っていい大学に身を置いていると、昨今の彼ら彼女ら若い衆たち、それも間違いなくその他おおぜいの、地元に生まれ育って多くは地元でこの国の中核を担わねばならない、そんな運命の下に生きる若い世代がどのような現実をいま、生きているのか、日々つぶさに見聞せざるを得なくなっています。

 学費が払えない。父親は労災で身体を痛めて働けず、妹も重度の障害持ちで、母親が介護の仕事をパートでやりながら何とか一家を支えている。当人も少しはましな仕事に就けるかと大学まで来てみたものの、奨学金という名の借金を抱え、家計の足しにとバイトを掛け持ちする日々ではなかなか講義に出席もできず、単位不足で留年と休学を繰り返す悪循環。介護系の資格を通信教育でとってみたものの、いざ実際に仕事に就いてみれば激務に比して給料は少なく先行きとても希望が持てず、大学へ戻れば卒業のために無味乾燥で興味の持てない勉強を借金の上積みと共に続けねばならない。少しはましな将来を真剣に考えても確かな選択肢が見えてこない。行き着く先は何か眼に見えない大きなものにからめとられるしかない身動きとれぬ現実。どうしてこんなことになっちまったんだろう、と途方に暮れる姿を前にすると、かける言葉もにわかには見つかりません。

 民主党から自民党へと政権が戻ってすでに1年以上、景気対策もそれなりに奏功したせいか都市部中心に景気はようやく上向き、それに伴いサービス系の低賃金な労働力から供給が枯渇し始めているというのは確かなようで、トラックの運転手が足りない、建設現場などでの労働力が不足している、といった類の報道は最近珍しくありません。だからこそ外国人労働者を、というかけ声もこのような状況に後押しされているのでしょうが、しかし、そもそも「逃散」しなければならないような状況にある若い衆世代たちはどのようにしてこの先、生きてゆけばいいのか。

 いわゆる「保守」系言説がようやく同胞最大公約数の意識や感覚と歩調を合わせることができ始めたかに見える昨今、それでもまだ本当に救済が必要とされる「場」に向けて、確かな効きを実感できることばを組織できているかというと、難しいところがある。たとえば「労働問題」とくくられてきた現実に対して、今のこのような状況でどのように有効なことばを与えることができるのか。旧来の左翼リベラル系言説の無効性が大方の眼に露わになっている昨今だからこそ、そうでない新たな枠組みからの、古くて新しい問題に対する光の当て方が切実に求められているはずです。