われらが的場文男・頌

*1

f:id:king-biscuit:20200125074215j:plainf:id:king-biscuit:20200125074439j:plain

 「尊い」――そうとしか言いようがない。

 今に始まったこっちゃない、ずいぶん前からそうだった。赤地に星散らしのあの勝負服は、われら地方競馬巡礼衆にとっては、ただひたすら「尊い」のだ。

 的場文男、言わずと知れた大井のカミサマ。南関東の、そして地方競馬の至宝とほめたたえることはすでに簡単だけれども、でもやっぱり、的場(文)は「大井の」ジョッキー、守護神なのだ、と言っておきたくなる。

 もうじき彼がその記録を破るだろうと誰もが信じている、あの生涯7151勝の佐々木竹見の現役時代、所属は川崎であってもどこか地方競馬を代表する丹精な「顔」になっていた竹見さんに比べて、同じ時期、大井を代表する名手で遜色ない成績を誇っていた高橋三郎はどこか「大井の」サブちゃん、だった。それと同じような意味で、的場(文)もまた「大井の」的ちゃん、なのだと思う。たとえ成績も名声もとっくに全国区、昨今ではすでにニッポン競馬の生きた伝説になっているのだとしても。

●●
 とにかく饒舌である。昔からそうだったし、今もそれは変わらないはずだ。ノリヤクというもの、殊に地方のそれは概ね寡黙で用心深くて、そうでなくても口下手で能書きの少ないのが割と普通なのだが、的場(文)は違う。口数が多く、よくしゃべる。

 と言って、ありがちなセールストークなどともちょっと違う。相手が誰であっても基本、同じ調子で変わらないし、何より腰も頭もぐっと低い。若い頃の武豊が大井に初めて乗りに来た時、ユタカさんユタカさん、と率先して声を掛けていたのを今でも覚えている。引退して調教師になってゆく同輩や後輩の、たとえ現役時代は彼よりずっと冴えない成績だった元騎手に対しても、センセイセンセイ、ときちんと立てた応対をする。それが嫌味でも何でもなく、自然体なのだ。

 同じ頃、現役で乗っていたある騎手の的場(文)評。

「どうしてあんなに道中ジタバタすんのかなぁ、っていつも思ってたよ、そんなにジタバタしなくたってラクに勝てるくらいの馬にいつも乗ってるだろうに。あれがなかったら(東京)ダービーもとっくに取ってたんじゃないかなぁ」。

 やり過ぎちゃうんだよなぁ、とも言われる。今でも朝の暗いうちからしっかり調教に出てくる、的ちゃんいいよもう、そんなにやんなくとも、と言ってもしっかり乗る、やり過ぎるくらい乗る、的ちゃん乗せたら(馬が)動くのはわかってるんだけど、でもその後出枯らしみたいになっちゃったりするんだよなぁ、だから、勝負もだけど調教にも的ちゃんうっかり乗せられないんだよ――そんな苦笑いと共に、その普段の仕事っぷりは語られたりもしている。

 地方競馬にはどこでもひとりくらい、マジメで穏やかで人格者で、それこそ騎手会の会長に推されるような騎手がいる。主催者のウケもよく、馬主たちともソツなくつきあい、必要ならば仲間たちの立場を代弁もできるし、またそういう信頼も受けている。もちろん成績も常に上位でなければならない。そうでなければ勝負の世界、発言力が半減する。その一方、なりふり構わずひたすら自分の成績だけを追いかけるタイプもいる。馬主にも自分で営業をかけ、時に牧場までつきあって自分の乗り馬を確保しようとしたり、そういう積極性もまた、騎手という稼業の営業のひとつではある。

 けれども、的場(文)にはそういう面は見えない。以前、それこそアンカツ内田博幸などが中央に移籍するようになった頃、中央へ移ることは考えないのか、と尋ねたことがある。

 答えは即答「ない」。

 毎日10頭くらい調教つけて、騎乗依頼は南関東だからほぼ毎日何鞍もある、オレが全く馬にまたがらない日って1年に一週間もないよ、自分のカラダだって毎日手入れしなきゃならないし、もう今の仕事だけで余計な時間なんかないよ、ここじゃオレがトップなんだから、トップにふさわしい仕事してないと恥ずかしいじゃないですか――ざっとそういうことをいつもの饒舌でたたみかけるように語ってくれた。後日、内田(博)にその話をしたら「そういう人なんですよ、的場さんは」と、ほら、ね、わかったでしょ、といった風に、心底からのリスペクト感あふれるいい顔をしてくれた。

 つまり、ある種の言わば「人徳」、騎手仲間に嫌われない、疎まれたり仲間外れにされない、そういうところがあるようなのだ。トシ喰ってベテランになったから大事にされるんだろう、とか言うなかれ、勝負の世界のこと、単に馬齢を重ねただけのベテランなど居場所がなくなる例だっていくらでもある。単に成績とかだけでない、馬乗りのプロとして、競馬を稼業とする職人としての姿勢や心掛けなども含めて、まさにうまやもんの世間で認められ尊敬されている存在なのだ。


●●●
 的場(文)と石崎(隆)、このふたりが南関東の競馬を引っ張っていた時代、90年代からゼロ年代にかけの競馬をこの眼で見ることができたのは幸せだった。僕が大井と南関東に一番寄り添っていたのもちょうどその頃、それこそブルーファミリーだのコンサートボーイだの、彼もまた脂の乗りきっていた頃だ。その後、各地の地方競馬が軒並み存廃騒動に巻き込まれるようになって東奔西走、近年は北海道に居を移したこともあって以前のように気軽に大井に立ち寄れなくなり、モニタ越しでしか的場(文)を見れなくなっていたのだが、少し前、出張帰りにたまたま時間があいてふらりと寄った大井の最終レースの何でもないC級特別、乗り替わった馬を御して、かたや休みながらも地力の違いで6連勝中の圧倒的な一本人気の馬、そのハナを叩いて勇躍先行、道中もずっと例によって鞍上からの絶え間ない叱咤激励、最後はいつものあの派手な的場ダンスでそのまま持たせて見事に負かす場面に遭遇した。

 いやあ、これぞ仕事師、的ちゃん健在。ええもん見せてもらいました。

 まだナイター開催になる前だったので人もまばらな薄暗いスタンドからあがった、ちょっと似合わないくらいの大きな喚声と拍手は、きっと彼を信じて馬券を買っていたろくでなしたちだったのだろう、明らかに「大井の的ちゃん」に対するめいっぱいの敬意が込められていた。それは、先の東京ダービー、同じく乗り替わりで人気薄のクリスタルシルバーで乾坤一擲、直線いったんは先頭に立っての叩き合い、ゴール前では実況アナまで「的場来たかっ!」と絶叫し、スタンドもまた異様な盛り上がりを見せたのと全く同じ手ざわり、われらが「地元」の英雄としての的場文男に対する名もないろくでなしたち全力のリスペクトだったのだと思う。

 この原稿に手をつけて間もなく、15日の川崎の新馬戦四角手前で彼は落馬負傷、後続馬にも引っかけられたような落ち方でいたく心配されたのだが、そこはさすが的場文男、かなりひどい外傷を負っていたのに騎手仲間に平然と傷を見せていろいろ語っていた由。7月11日のJDDまでには復帰したい、というコメントも聞こえてきている。竹見さんの記録を抜くその日も、そう遠くないに違いない。

*1:掲載稿はこちら「ろくでなし以外も知ってほしい「大井のカミサマ」的場文男の凄さ」 オピニオンサイトiRONNA https://ironna.jp/article/10374 #iRONNA 写真その他ていねいに貼り付けてくれたのは、気心知れたつきあいの長い担当記者の丹精のタマモノ、ありがたし