「統一協会」という名詞

 ああ、「暗殺」というのが、いまや実にこういう形で、平手打ちのように不意に眼前のものになるんだ――それがまず、最初の感想でした。奈良は西大寺駅頭における、安倍元首相遭難の一件です。

 手製の銃、それもひとりでこさえたものを携えて、参院選終盤のこと、街頭演説中の元首相の背後から近づいて発砲、それで見事に落命に至るほどの「戦果」をあげたというあたりのことも、すでに各種報道で知られるようになっている、事件の概要です。

 ただ、この重大事件、統一協会によって家族がバラバラにされた、その恨みがあった、といった内容の犯人の供述が、第一報に続いてすみやかにばらまかれたことで、事態は「元首相の暗殺」というところから、その「統一協会」という名詞をめぐっての乱気流を呈するように。警備の不備や、その後の捜査の不手際など、事件の核心に関わる報道はどこかに行ってしまい、統一協会と安倍元首相、そして例によって自民党との関係をいまさらながらに持ち回って政局化する野党の思惑と、それに波乗りするメディア・スクラムによって、事件後ひと月足らずの今のこの時点でさえ、「元首相の暗殺」というできごとそのものは、すでに無残な風化にさらされているようです。

 それにしても統一協会、自分などもう老境にさしかかっている世代にとっては、ある意味なつかしい名前です。かつて、大学の中で割と日常的に耳にしていた「近寄ってはいけない」団体のひとつ。いまからもう40年ばかり前、70年代後半から80年代にかけての時期の大学は、「学生運動」とひとくくりにされていたような、それこそゲバ棒にヘルメットスタイルでの街頭デモや内ゲバ暴力沙汰、といった様相はすでに影をひそめ、それら政治がらみの運動を掲げた組織や団体の類は、それがどんなものであれそれだけでうさんくさいもの、わざわざ言われずとも近寄ることもなくなっていた。一方その分、ちょっと見は穏やかで健全な風を装ったサークルが、学内に跋扈するようになっていて、それらの背後に「宗教」が、それもその頃までの常識的な語彙とはまた違う、カジュアルでなじみやすげな態と共に広まるようになっていた。「カルト」というまだ耳慣れなかった言葉が、それらカジュアルな新たな「宗教、のようなもの」に対して言われるようになっていたのもその頃から。のちのオウム真理教のような煮詰まり方に至る道筋もまた、思えばすでに地均しされ始めていたということでしょう。

 統一協会、はその中でも突出して目立っていました。何といっても、あの「共同結婚式」。見合いから結婚へと至る道筋自体、すでにあまり望ましくないものになり始めていた時期に、どこの誰ともわからない相手と、それも十把一絡げの集団見合いでいきなりつがいにされ、そのまま有無を言わせず結婚させるという荒技の鮮烈さは、単なるスポーツ紙やワイドショー的なゴシップとしても当時、われら若い衆世代の耳目を集めるに十分でした。なにしろそれに桜田淳子山崎浩子といった芸能人や有名スポーツ選手までが参加したというのですから、ただごとではない。その一方で、深入りすると身ぐるみはがされる、自分も友だちも家族も容赦なくカネを取られて、あやしい珍味や謎の壺などを訪問販売させられる、といった挿話もまた、統一協会にまつわる「こわい話」として流布されていました。政界との関わりについても、教団出自の「韓国」とのからみも含めて、当初からささやかれていた。たとえそれがゴシップや真偽不明の噂、まだ当時健在だった総会屋雑誌的な裏情報としても、先の「共同結婚式」や「こわい話」と併せ技で、統一協会は身近な「闇の組織」として、陰謀論や都市伝説といった、無責任でたわいのない「おはなし」の発信源のひとつでした。

 それにしても、どこかつかみどころのない事件ではあります。犯人の山上某にしても、統一協会への個人的な恨みが、なぜ安倍元首相「暗殺」にまでつながったのか、肝心のそのへんの理路は未だ不明のままですし、何より統一協会自体、ここ20年たらずの間に、法的な規制が整備されたこともあり、かつてのような派手な活動はできなくなっているらしいことが、今回の事件をきっかけに改めて知られるようにもなった。さらに、名前からもうとっくに統一協会でなくなっていて、今では「世界平和党一家庭連合」とか、そこらにひっそり店開きしてそうな泡沫宗教団体並みの凡庸なものになっていたのを知った時には、改めて時代の転変を感じたものです。

 だからこそなおのこと、どうしてここにきてまた「統一協会」という、カビの生えたかつての名詞をことさら表沙汰に振りかざしながら、政局沙汰に持ち込もうとしている向きがあるのか。できごとを制御する「おはなし」の側に、何やら未だ同時代に同調できないまま、あらぬ方向に都合のいいまぼろしを見ようとしている界隈があるように感じています。