「団塊の世代」と「全共闘」⑩――「豊かさ」の中で「反米」を叫ぶ

●「反米」を叫びながらパンを食う、という身体との乖離

――最初の方でも言いましたけど、呉智英さんって、本質的に歴史家なんじゃないかと、以前から思ってるんですよ。それも民俗学的な、あるいは言葉本来の意味での民衆史でもいいんですが、何にせよ、いわゆる思想家とはちょっと違う手ざわりがあって、まあ、それはあたしが民俗学者だから余計にそのへんに感応してしまうところもあるんでしょうけど、でも、こういう話をずっと聞いているとものの見方やとらえ方がやっぱり本質的に歴史家だなあ、と改めて思います。だから、今回のこうやってお話をうかがうことで、「戦後」の歴史、民俗学的な意味での体験された微細な歴史像を考える上で前提となる認識を提示しているという面もあるなあ、と。とりわけ、高度経済成長の同時代的な意味、それのもたらした「豊かさ」の歴史/民俗学的な位置づけ、といったところでも重要ですね。いわゆる団塊の世代、というのが、高度経済成長期をどう過ごしていったのか、ちゃんと言葉にしてもらわないと。

 団塊の世代というのは、ちょうど大学時代が高度成長期にあたるわけだよ。私が入学する頃、団塊のピークは私の一、二年後だから、私の学生時代は、完全に高度成長の最中にいたことになるね。

 アンチ・アメリカニズムという声も当時から確かにあったけれどさ、でもね、それを本気で言うなら日常生活そのものを否定しなければならないところまで、もうすでに当時、きていたわけでさ。それはほんとにどうしようもない。アメリカだったら、たとえばアーミッシュのように車も電気も使わないという人たちがいるけれど、じゃあ、日本でそれが出来るかと言うと、まず無理でしょ。あれはやっぱり国土が広くて農耕地も潤沢にあるから、人に迷惑をかけないでやっていけるんだろうけれど、それはこの日本じゃほとんど難しい。

――そこなんですよね、多くの「反米」論者に根本的な懐疑を抱いてしまうのは。

 「アメリカ」とは「戦後」の日常そのものだったりするわけで、それは確かに植民地的状況だと言えば言えるんだろうし、それをさらに何か大文字で説明しようとすれば、GHQの強制とかヤルタ/ポツダム体制とか、そういうもの言いを引っ張り出してくることにもなってくる。理屈として、最も退廃したところで単なる解釈ゲームとして、それはあり、かも知れないけど、でも、実践的課題として考えようとすると、まず最初の一歩でつまづいちゃうしかないでしょ。コメ食って和服着て、旧仮名遣いをやって、神棚拝んで、とかいちいちやることをシミュレーションしてゆくこと自体、もうほとんどバカバカしくなる。当たり前ですけど、そういうアイロニー明治維新以来、あの「和魂洋才」の苦肉のスローガンあたりからもう、近代の日本人に刷り込まれざるを得なかったわけで。そういう意味で改めて、近代は未だにしっかり地続きなんだし、その地続きを自覚することなしの論争沙汰、認識ゲームなど単なる暇つぶし以外になりようがない、という思いを強くします。

 そういう、「反米」を叫びながらパンを食う、といった、身体と思想との乖離は常にあるんだよ。でも、その中で「じゃあ、果たしてどのような反米がありうるか」という問いかけは、思想として、やはり必要だと私は思うけどね。

 たとえば現在、普段の生活の中で嫌悪を感じるものの一つが「茶髪」なんだけどさ。ひと頃テレビをつけると、出てくる女が全部茶髪か金髪だったじゃないか。服装については……まあ、和装はさすがに今じゃ難しいだろうなあ。だって、いま社会生活をするうえで、地下鉄に乗るとき、エレベーターに乗るとき、自転車やバイクに乗るとき、和装じゃまず機能的に不便だろ。江戸時代なら女はきもので普段の家事をこなしたし、男も刀を差して道を駆けることにそれほど支障なかっただろうけど、今の日本じゃまず無理だよ。そんなもの、機能の面からだけでも洋装のほうがいいに決まっている。

 ただ、だからと言って自分の身体までも、なにも好んで白人化する必要はないと思うんだよ。身体を変えたいという欲望はいい。刺青をして緑色、紫色の肌にするのは、これは別にいいと思う。緑色の顔で「おれは変わってるんだ。悪いか?」と言われりゃ、「確かに変わってる。それ、別にいいよ」とも言えるしね。何も「身体髪膚、これを父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり(孝経・開宗明義章第一)」などと言いたいわけじゃないよ。おのれの身を自ら好んで白人化しようという態度、価値観に嫌悪感を覚えるってこと。カラーコンタクトも同様、茶髪よりもっと姑息だよ。

――最近はまた、「茶髪」はひと頃よりめっきり減ってきて、逆に黒髪に戻すコが増えてきているみたいですけどね。

 頭が悪そうにしか見えないということに気付いたんじゃないの?(苦笑)

 いいことだと思うけど、加えて言えば、男女で比べると「茶髪」は女の方が圧倒的に多かった。つまり女の方がそういう風潮に迎合的だということで、なぜフェミニズムはこれを批判しないのか、というのも不思議なんだよ。茶髪を認めるのか、女は迎合的であるということを認めるのか、女の迎合性を肯定し、なおかつ男にもそれを認めろと言うのか、迎合的であることはやはりいけないというのか、そのあたりはみんな口を濁していたようだけどさ。茶髪のまま「私たち女は迎合的な性だ、迎合的な性が迎合性を主張してなにが悪いの?」と言うのなら筋が通るよ。でも、そう言う人はいなかった。白髪染めのフェミニストはいたかもしれないけどさ。

 つまり生活の隅々までアメリカ文化が入り込んでいるなかで、どういうスタンスで「反米」を主張してゆけるか。思想のレベルの反米はある、と思うけど、その実践の仕方、問いかけ方が問題なんだよね。

――欧風を嫌うあまり電線の下を扇をかざして通った、という幕末期の話じゃないですが、そういう素朴なアンチアメリカニズムは少なくとも今の日本じゃもう成り立たない。ただ、その成り立たないことも含めて自覚しながら、なお思想として考えてゆこうとすることは必要だと思います。まさに「欧米かよ!」というツッコミですよね。

 あとは、同じ「反米」と言っても、単なる甘えとしての平和主義の場合があるね。「反米」と言っていれば、「ああ、あの人は平和好きで社会にも関心がある」と言ってもらえる、というレベルの人で、これも結構多くいるタイプ。ただ、そういう平和主義っていうのは、現実に北からテポドンが飛んできた時、自主防衛を貫徹するか、日米同盟を重視するのか、そのほかの方法を取るのか、選択しなければならなくなるんだけど、そういうことをもろもろ全部、今まで考えずにいたということが、このところの状況で白日の下にさらされてしまった。そういう意味でも、「戦後」はようやく本当に幕引きされる最後の段階にさしかかっているんだと思うね。