対談・いまどきの大学、その難儀な現状

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大月 この春に、恵泉女学園大学神戸海星女子学院大学上智大学短期大学部が学生募集の停止(恵泉と神戸海星は来年度から。上智短大は2025年度から)を発表したというニュース、いやあ、他人事ではないなあという気がしましたね。この3つはいずれもキリスト教系(恵泉がプロテスタント系、神戸海星と上智短大カトリック系)の学校ですが、もうひとつ、みんな女子大だという共通項がある。率直に言って、いま女子大というのは本当に人気がないですからね。

 この女子大人気の低落というのは、何も「男子がいないからつまらない」とか、そういう話だけの問題ではないんですよ。結局日本の女子大とは、「良妻賢母教育」を施すための教育機関として立ち上がってきた側面があって、ようするに人文系とか、かつてなら家政学とか、そういう感じの教育カリキュラムしか持っていないところが多いんです。ところが今の高校生たちは、大学に実学系の知識とか、資格取得コースとか、そういったものを求める傾向が強い。そういう感じで、女子大というのは選ばれなくなっているんですよ。

 私の勤めてきた札幌国際大学(札幌市)は、今でこそ男女共学ですが、かつては静修女子大学という名前の短大~女子大でした。学部構成は今なお人文系が中心。だから正直なところ、近年では学生募集で苦戦するようになってきた。それで大学が選択したのが、外国人留学生を大量に入れて、定員を何とか確保しようという方策でした。ところがこのやり方が、本当にずさんだった。本来、入学する資格を満たしていないような低い日本語能力しか持っていない外国人までをも野放図に受け入れて、授業が成り立たないような状況にまでなってしまった。そうした問題点を指摘していたら、私は2020年に懲戒解雇されてしまって……。さすがに不当だと思い裁判に訴えて、おかげさまで今年2月に一審では勝訴しましたけど、本当にいま、大学経営というのはとんでもない苦境に立たされているんだなとは思いますよ。

田中 おっしゃるように、いま女子大というのは本当に人気がないんですよ。具体的に言うと、高偏差値の高校に通っている女子生徒たちが、女子大を進学先に選ばなくなっている傾向がはっきりと出てきたわけなんです。人文系学部しかない女子大よりも総合大学を目指して、しかもそこの法学部とか経済学部とか、従来あまり女子学生が多くなかったような学部に進学している。

 これは大学受験関係の本などを出版している「大学通信」という会社が集計したデータですが、例えば今年の早稲田大学法学部に入学した学生の出身校で最も多かったのは、いわゆる「女子高御三家」の1つである、桜蔭高校(東京都文京区)でした。慶応大学法学部でも、トップは頌栄女子学院高校(東京都港区)。また明治大学法学部では、埼玉県立浦和第一女子高校(さいたま市浦和区)の出身者が一番多かった。あと東京大学の文一の女子比率が、今年初めて30%を超えたというニュースも重要です。こういう感じで、中高一貫の高偏差値女子高を出た女子たちがいま、こぞって名門総合大学の法学部に進学するような現象が起こっているんです。しかもこれらは、すべて一般入試での結果です。推薦などで入った学生の人数は、計算に入れていない。

大月 「ガチ」の勝負の結果に、そういう数字が出てきているわけなんですね。

田中 そういうことなんですよ。それで本当に現在、日本女子大学とか津田塾大学とか、そういう名門女子大でも、入試偏差値の下落傾向が止まらなくなってしまっているんです。

大月 今年大学1年生、すなわち18歳である世代というのは、親がもう男女雇用機会均等法(1986年施行)後 の時代を生きてきた人たちですよね。女性でもバリバリ働くのが当たり前。専業主婦として家庭に入るなんていうのは、そもそも想定すらしていない。そういう世代の娘さんたちがいま、大学受験に挑んでいるんだから。それはもう「良妻賢母教育が特徴の女子大」なんて、最初から選択肢に入ってこないですよね。

 恐らくですが、東大とか早慶とかの法学部に入学した女子たちは、最終的に公務員、ないしはそれに準じた就職を狙っているんじゃないでしょうか。そうれであれば、やっぱりいわゆる難関大学の、それも法学部を出るということには一定の意味がある。そして、こういう時代に旧来の女子大がどれほど存在感を発揮できるのかというと、やはり相当難しいだろうなという気はしますね。

田中 あと、今回学生募集停止を発表した恵泉女学園大学神戸海星女子学院大学上智大学短期大学部にもうひとつ共通する問題は、地方にある大学ということなんですよ。神戸海星は兵庫県。恵泉は東京都ですが多摩市。上智短大も神奈川県秦野市です。みんな「首都圏のにぎやかな場所」にある学校ではなかった。

 実はこれまで、大学にとって「地方にあること」というのは、決して経営上のマイナス要因ではなかったんです。しかし最近、その構図も崩れ始めている感じがあるんです。

大月 わかります。私の住んでいる北海道でも、従来は「わざわざ本土にまで行って大学へ進学する必要はあるのか?」みたいなことが、ごく普通に言われていた。それで地元にあるちょっとした私大が「北の早稲田」などといったニックネームで呼ばれて、本当なら東京六大学くらいには入れるかもしれない学生でも、そういう大学で学んでいたんですよね。

田中 そうなんですよ。全国各地にそういう「地域密着型の大学」があって、見かけ上の偏差値や規模とはまた別に、意外に盤石な経営基盤を持っていたりしたんです。でも、そういった大学も現在、だんだん選ばれなくなっている。
大月 「今の若い子はすぐ東京に行っちゃう」ということもありますけど、そもそもの問題として、「大学に行く」ということの価値が、もはやすごく下がっているんじゃないかな、と。

 例えば、いわゆる「Fランク大学」、すなわち「入試の答案用紙に名前を書いたら誰でも入れる」などと揶揄される大学が実際にそこら中にあるわけですが、そんな大学にわざわざ行く意味が本当にあるかということを、世間自体が思い始めていると思うんですよ。だったら高校卒業後、専門学校に行って資格を取るとか、またすぐ就職してビジネスの世界でがんばるとか、そっちのほうが実直で、安定した暮らしができる確実な生き方なんじゃないかということを、若い子たちも親も、共に思い始めているような気がするんです。

田中 確かに日本の18歳人口は少子化の影響で減り続けているわけですが、大学進学率はここ10年ほど、50%台後半を微増といった感じに推移しているだけで、そんなに伸びている感じはないんですよ。一応数字の上では来年、つまり2024年から、日本は大学全入時代――大学への入学を希望する人が大学全体の定員を下回る状況――に突入すると言われています。選ばなければ誰でも大学に行ける時代が到来するわけです。しかしそういう時代において、「大学に行く」ということが無条件で肯定される状況でなくなりつつあるのかなと。

大月 地方にある人文系の大学というのは、その沿革などを見てみると、政府や財界の後押しでできたとかではなく、地域の篤志家みたいな人たちによってつくられた例が非常に多いんですよ。札幌国際大学もまあ、そんなところがあるんですけど。宗教系の女子大なんて、まさにその典型例ですよね。ただ、明治以来の「良妻賢母教育」がいま、こういう形で終わりつつあるということなんでしょうかね。

田中 いま「学校経営冬の時代」といったことが盛んに言われていますけど、学校が全部だめになっていっているわけでは決してないんですよ。正確なところを言うと、二極化している。ダメなところはどんどん追い込まれていっている一方で、この時代状況下でも手堅くやれているところはあるんです。ありていに言ってしまいますけれど、それなりの規模がある総合大学は、まだまだ大丈夫ですよ。

 例えばですが、いかに少子高齢化の時代とはいっても、早稲田大学や慶応大学がつぶれる姿というのは、なかなか想像できない。宗教系にしても、キリスト教系の青山学院大学同志社大学、また仏教系の駒澤大学龍谷大学といったところは、それなりにしっかりしています。そしてこうした「勝ち組大学」は今、むしろ新しい学部をつくるなどして、よりその足腰を強化しようとさえしているんです。

大月 だからといって「負け組大学」も、特に私立は商売ですから、このまま唯々諾々とつぶれていくわけにはいかない。だからいろいろ生き残り策を考えていて、そのひとつが一時期流行った、大量の外国人留学生を入れて、定員を何とか埋めるという方策だったんですよ。

 札幌国際大学はまさにそれをやったし、この『宗教問題』誌で継続的に取り上げられている京都市西山短期大学(西山浄土宗系、京都府長岡京市)の経営問題も、大量の中国人留学生を受け入れていたところに端を発しているわけでしょう。

田中 確かに外国人留学生で定員枠を満たすというやり方は、一時いろいろな大学で流行ったんですが、いまはもう古くなっていますよね。例えば日本私立学校振興・共済事業団の調査によると、全国の私立大学のうち定員割れしていたところの割合は、2020年時点だと約31%でした。これが21年には約46%、22年には約47%と、一気に跳ね上がるんです。

 これはなぜなのかということに関しては、いろいろ細かい数字を見ていかないといけないんですけど、新型コロナウイルスの問題で外国人留学生が帰国してしまった、また新規に来日しなかったという事実は、非常に大きいと推測されます。

大月 そしてコロナ禍が収まったところで、そういう留学生たちが戻ってくるのかといえば、たぶん戻らないですよ。実際にもう戻ってない。なぜなら札幌国際大学を含め、かつて留学生を大量に呼び込んでいた大学がターゲットとしていたのは、主に中国の学生たちでした。地理的にも近いし、人数も多いし、まさに日本の大学のニーズに合致する存在だった。しかし、いま中国がすごい勢いで経済成長を遂げていて、「どうしても日本に行きたい」という中国の若者自体が減っている。

 これはもう、ミもフタもないことを言ってしまいますけど、日本の大して偏差値も高くない大学にやってくる留学生というのは、別に「最先端の学問を学びに来ている」とかではないんですよ。ひとまず「留学生」という肩書で日本にやってきて、アルバイトなどをしながらお金を稼いで故郷に送金するなど、そういうことのために来ている「労働者」だったんですよ。でなければ、共産党その他彼の地「勝ち組」子弟のボンクラ息子や娘たちのお気楽な「遊学」なわけで、いずれにせよ中国のほうが経済的に発展すれば、日本にやってくる動機がなくなってしまう。

 あと、日本政府の留学生関係の政策自体が変わってきた。簡単に言うと、「留学生」よりも「労働者」を直接招こうという姿勢に変化している。毀誉褒貶ありますけれども、現在「技能実習生」とか「高度外国人材」とかいった政策スキームに注目が集まっていることは、その象徴です。昔は政府が「留学生30万人計画」などといったことを推進していて、留学生はある意味で集めやすかったんですが、経済安全保障の問題もからんできて、もうこれからはそうはいかない。

田中 本当に、留学生で何とか経営を成り立たせるというやり方は、もう通用しなくなるでしょうね。

大月 いま追い込まれている大学が起死回生策として手をつけているその他の方策に、いわゆる「実学系」の学部をつくるというのがありますよね。ビジネス系、医療系など、何にせよ就職に直結する資格を取ることができるコースを設置するというやつです。

田中 ただ、言うほど簡単ではないんですよね。特にこれまで人文系の教育カリキュラムしか持っていなかった大学にとっては、教員の確保や設備の新設にも、結構なハードルがある。

大月 ですね。これまでの教員や施設その他のリソースをいきなりそっちに振り向けられるわけではない。それを乗り越えて何とか新学部をつくることができても、結局考えることはみんな同じだから、飽和状態でとても競争が厳しいんですよね。

田中 あと当たり前の話ですが、大学というものは「ブーム」に乗って経営するものでは、本来ありませんからね。例えば国立の奈良女子大学が2022年度に、工学部を開設したんですよ。工学部を持つ女子大というのはとても珍しく、まさに鳴り物入りで設置された新学部でした。実際に非常に注目されて、22年度入試の倍率は6・9倍。ところが今年、一気に2・7倍にまで落ちてしまった。

 ほかにも今、データサイエンスという学問が注目を集めていて、いろいろな大学がそれを学べるコースをつくっているんですが、どうにもバブル的な感じがして、いつまでこの波が続くかはわかりません。

大月 やっぱり受験する側だって、ある程度は大学のそういう姿勢というか、腹の中を見抜きますよね。本気でやってないと。

田中 一方で最近、大学改革に成功した例としてよく挙げられるのが、東京都江東区にある武蔵野大学ですね。浄土真宗本願寺派系の宗門校ですが。

 ここはもともと武蔵野女子大学といって、名前の通り人文系を中心とした女子大だったんですが、21世紀に入ったころから大改革を行ったんです。2004年に共学化して、薬学部を設置。06年には看護学部を、15年には工学部を置いて、急速に文・理・医療系の12学部を擁する総合大学に脱皮しました。「たまたま成功したに過ぎない」とか、「あの人気はバブルみたいなもの」とか、悪く言う向きもあるにはあるのですが、それでも大したものだとは思いますよ。

大月 ああ、それは先見の明があり、かつ中期的な計画をきちんと立てて、いわゆるゼロ年代からすでにそういう改革に着手していたわけで、早いだけでなく、まず経営姿勢としてまっとうですよね。最近ようやく尻に火がついてあわてて考えなしに組織いじりを始めたような大学とは、やっぱり違う。またそもそも、日本の18歳人口が減っていくことは相当前からわかっていたわけで、やろうと思えばあらゆる大学が、そういう世の中の流れを見越した中期的な見通しに立った、早い段階からの内部改革に着手することはできたはずなんですよしかしどうも、その辺のことを真剣に考えるところは多くなかった。

 そして今、尻に火が付いた多くの大学が何に頼っているのかというと、外部の経営コンサルタントですよ。自分たちで知恵を絞って学校を改革するんじゃなくて、そういうコンサルの言うがままになって、ほんとにロクにものを考えないまま組織いじりをしている。それでは成功するはずがないし、実際に多くの大学の「改革」が失敗している死屍累々の背景は、それでしょう。

田中 まさに今、そういう感じで多くの大学の経営が悪化しているわけなんですが、それに付随して目立つようになってきたのが、大学発のスキャンダルです。パワハラ事件とか、人事紛争とか、とにかくあちこちの大学で、そういう問題が起こるようになった。

大月 田中さんが今年2月に出した『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)は、まさにそういう全国の大学で発生しているおかしな不祥事について、取材してまとめた一冊ですよね。まあ、この本に私の関わった札幌国際大学の問題も載っているわけなんですが。

 この本を一読して感じるのは、不祥事を起こしている大学の多くには暴君じみた理事長がいて、彼らが学内でいわば独裁政治を敷いた結果に、パワハラや人事紛争などが発生しているという、何ともわかりやすいベタな構図が全国的に蔓延していることです。『宗教問題』誌で取り上げられている平安女学院大学京都市)の問題も、同じような話ですよね。もちろん、札幌国際大学も見事なまでにそういう形なんですが。

田中 そうなんですよ。そして、多くの大学にそうした「暴君理事長」が現れるようになってしまった原因とは、これは文部科学省の誤った方針のせいだと、私はそうはっきりと思っています。

大月 確かに。最近の文科省は、学校法人内において理事長にいろんな権限を集中させるよう、明らかに誘導してきてしまったところがありますから。

田中 文科省はそれを、「日本の学校法人のガバナンスを強化するため」と説明してきました。特に理事会に経営責任というものを自覚させ、理事長に強いリーダーシップを与えて、学校法人の体質を強化するのだと。そのために教授会の権限なども、ずいぶんと縮小されたんですよ。

大月 ですね。まあ、文科省の中の人がた的には善意だったかもしれないですが、そういう善意の学校関係者を想定した政策が、実際には学校経営の世間には彼ら霞ヶ関の予想を越える悪人、商売人が跋扈していて、結果的に悲惨な事態になるところがあちこちにできてしまったわけで。まあ確かに従来、私立大学などはそもそも大学や高等教育とは、といった総論的なところをタテマエとしてもよく理解していない人がたが、平然と学校経営の中枢に座っていたりして、またそれで特に問題も表沙汰にならずにまわってきたところがあったじゃないですか。例えば宗教系の学校だと、偉いお坊さんが名義貸し的に理事長や理事になって、理事会は何もしていないようなところもあったんですよね。宗教系でなくとも、政治家や経済人などが、これまた名義貸し的に理事長をやっているという大学もあった。そしてそういう体制の学校法人では、プロパーの教職員たちが誰からも監視されずに横領めいたことをしているとか、そんな話も実際にあったわけでしょう。

田中 それは本当にその通りで、是正する必要はあったと思います。ただ文科省は、例えば三権分立ではないですけど、学校法人内にさまざまな権限のある機関を置いて互いにチェックさせ合うとかではなく、とにかく理事長に多くの権限を一極集中させるような状況をつくり上げていくんですよ。

 2021年11月に、当時日本大学の理事長だった田中英寿氏が脱税で逮捕された事件は、記憶に新しいと思います。田中氏はあの巨大な日本大学という組織に、まさに独裁者として君臨しており、さまざまな背任行為などを行っていたという事実がワイドショーでも紹介されて、世間を大きく騒がせました。そして私は思うんですが、あの田中理事長という人は、まさに文科省が主導した「学校法人のガバナンス強化」という流れを最大限に利用して、日大内にああいう権力基盤を構築していった人だったのではないかと思うんです。

 そして田中氏ほどではないにせよ、いま全国の大学には「ミニ田中理事長」みたいな人が本当にたくさんいて、おかしな不祥事を引き起こしているんですよ。

大月 お話を聞いていて思うのは、ようするに1991年に行われた「大学設置基準の大綱化」、つまり文部省(当時)の大学に対する規制緩和ですが、あの辺りに今のおかしな状況の源流があるんじゃないのかな、ということです。つまりあの大綱化によって、大学の設置基準は緩和され、また既存の大学でも新学部の設置などがやりやすくなり、まあ大学経営の自由度が高まったんですね。そしてこの流れの末に、2004年の国立大学の法人化も行われることになる。

 私は1993~97年にかけて国立歴史民俗博物館助教授をやっていた関係で、大綱化以降の国立大学の変わり方を奇しくも現場から横目で見ていました。感じたのは、「規制緩和といえば聞こえはいいけど、これはつまり国立大学の民営化政策だな」ということでした。また、当時は「官から民へ」「民営化こそが正義」といった空気が世の中全体に蔓延し始めていたのもありましたし、ようするに、「教育は国家百年の大計である」といった考え方が抜け落ち、ただ目先の数字を追いかける集団に、国立大学が変わっていったということでした。そしていま、その傾向は私大を含めて、日本の大学全体を覆いつくしてしまったのでしょう。

田中 おっしゃる通りだと思います。先ほど、近年の大学で「実学系」の学部をつくる動きが目立ったという話が出ましたが、冷静に見ると、その背景には国による政策的な誘導があるんですよ。

 例えば現在、政府は全国の大学の理工系学部再編をうながす財政支援政策を考えていて、デジタル関係や脱炭素といった分野の学部新設を補助する基金の創設、また理系学生への奨学金拡充などを行っていくとしています。長期的には、大学生に占める理工系専攻の割合を現在の35%から50%にするという数値目標も立てられています。今後、これに少なくない数の大学が乗って、理工系の学部は増えていくと思われます。そして実学系やデータサイエンスといった学問分野がこれまで大学でもてはやされてきたのも、同じような政府による推奨政策があったからなんですよ。

 つまり大学の「経営の自由度」が高まったことで、逆に多くの大学は、こうした国の政策に簡単に乗るようになってしまっている。先ほど話が出たような、「教育は国家百年の大計である」といった考えは、もうそこにはないわけなんです。

大月 はっきり言いますけど、ようするにそういう感じの「大学改革」を国が主導する目的って、大学を官僚その他の天下り先にしようということなんじゃないですか。実際すでに国公立、私立問わず、大学に理事とかで入り込んでいる文科官僚OBが増えてますよね。ほかならぬ札幌国際大学がまさにそうなんですが。

田中 その視点は実に重要だと思いますね。今では文科省のみならず、「産学連携」の名のもとに、経産省まで大企業などと一緒になって、大学に入り込もうとしていますから。

大月 自分が年来つきあわせてもらっている分野のひとつに競馬をめぐる社会というか世間があるんですが、その中で馬主っていうのもあれ、実は損得だけじゃやれないものだったんですよね。あれはいわゆる「旦那」であり、パトロン、相撲ならばタニマチなんですよね。競馬自体は確かにギャンブルであり興行なんですが、馬主は目先のカネに一喜一憂していたら務まらない。何より、馬券に熱心な馬主は厩舎筋では嫌われるのが普通でした。そういう旦那衆とそれが共有する価値観や美意識その他が「そういうもの」として存在してきたから、競馬や相撲、政治などまでも含めての文化というものもある意味、支えられてきたわけなんですよね。

 大学だって、結局はそれに近いところがある。目先のことや損得に一喜一憂するんじゃなくて、それこそ「国家100年の大計」的な能書きを盾に敢えてどっしりと構える気骨というか、嘘でもそういうタテマエに殉ずる覚悟と志がベースになければ、やっぱり教育はもとより、そもそも学問というのも成り立たないんじゃないですかねえ。特に現在、人文系の学問は流行らないという話が出ましたけど、人文系の教養というものこそ古来、そういう旦那やパトロンといった存在に支えられてきたわけであって。別にカネの問題に限らず、何か大きなポリシー、現世利益や損得、合理性などとは別のところにある、その意味で浮世離れした大文字の能書きを持ってどっしりと構えていく精神、そういうものがいま、逆説的に実は大切になってきているじゃないでしょうか。

 そういうふうに考えると、やっぱり宗教系学校の建学の理念というのか、そういうものにもやはり、なにがしかの価値はあるように思いますね。学校法人とは宗教法人と同じく、法律上「公益法人等」として扱われる存在なんですから、やっぱり目先のことだけで右往左往するのはよくないですよ。そうなってしまっていることも含めて、大所高所から立ち止まって自省しなければならない。本当に教育は国家百年の大計ですから。

田中 私の娘は、実はカトリック系の大学に行ったんですよ。別に田中家としてキリスト教を信仰しているとか、そんなことではなくて、娘としてその大学で学びたいことがあったから行ったんですけど。

 でも、やっぱりそういう学校の宗教的なカラーというのはいいものだし、誇りに思うと娘は言っていました。大学経営のあり方がおかしくなっている今だからこそ、宗教系の学校にはそういう精神を大切にしてほしいというのはありますね。それで選ばれる局面というのも、必ずあると思います。

大月 あまり入試偏差値が高いわけでもない大学で教えているとですね、お父さん、お母さんはせいぜい高卒で、大学がどんなところかも自分たちはよくわからないけど、とにかく大学に入るというのはすごいことなんだから行ってこいと、そう言われて進学したという学生がいたりするんですよ。そしてその学生は、決して実学系でもない人文系の勉強をしている。そのご両親は確かに大学を出ていないかもしれないけれども、学問に対する敬意というものはまだ漠然と持っているわけなんです。そういう世間一般その他おおぜい、市井の人々の気持ちに支えられて、大学というのは存在しているんだと、これはいま、教員であれ職員であれ、どんな形にせよ仕事として大学に関わる人間が肝に銘じていないといけないことだと思いますよ。その気持ちがあれば、大学発のおかしな不祥事も、ずいぶん少なくなると思うんですが。

*1:大学問題に詳しいライターの田中圭太郎氏との対談。まあ、掲載時のタイトルは「大学人よ、国を誤ることなかれ!」と、また大上段の一喝調ではあったが……