鼻歌、ということ


 鼻歌をうたう、という身ぶり、あるいは日常生活上のちょっとした癖みたいなものでしょうか、いずれにせよ、そういうしぐさもまた、昨今見かけなくなったもののひとつかも知れません。

 たとえば、『あたしンち』という、けらえいこのマンガに出てくるおかあさん。実は、なにげにヒット作でアニメ化もされていたので、なじみのある向きも少なくないかもですが、あのズン胴のオバQめいたフォルムのキャラのおかあさんが、台所で洗い物などしている際、機嫌がいい時に鼻歌が出る。もともと『読売新聞』日曜版で連載されていたもので、特に時代設定が明確にされているわけでもない作品ですが、何となく現代、少なくとも連載開始当時の90年代あたりを自明に想定した描かれ方になっていて、主人公であるみかんとゆずという、高校生と中学生の姉弟の両親はおそらく40代半ばから後半。なので、「情熱の赤いバラ~、そしてジェラシー~」という、その鼻歌の出だしの歌詞とおぼしき一節は、それだけで昭和歌謡、おそらくは高度成長期から70年代あたりの漠然としたイメージを下敷きに、読み手の側の世代によって人によって、西郷輝彦から沢田研二西城秀樹と、さまざまに個別具体の声や響きと共に脳裏に想起され得るような、それはそれで絶妙な表現になっていました。

 ただ、この鼻歌、アニメ化に際してフルバージョンで楽曲化された時、作者自身による全面的な作詞にスパニッシュ風味の曲調がつけられ、裏テーマソング的に使われていたのですが、そこまでひとつの独立した楽曲として具体化させてしまうと、マンガの中のアクセント的にしつらえられていたあの「鼻歌」の感じが消えてしまい、個人的にはちょっと艶消し、残念なところではありました。このへん、ちょうど同じ頃、あの『ちびまる子ちゃん』のアニメ化に際して、近藤房之介と坪倉唯子を擁して当時イケイケだったビーイングから仕掛けられた、あの希代の怪曲「踊るポンポコリン」的な人気を当て込んでの企画だったのかもしれませんが、それはともかく。


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 あれが「鼻歌」であったこと、少なくともそういう表現の枠内にあったからこその豊かさ、みたいなものがあったのではないか、というあたりの話です。

 特に、専業主婦があたりまえとされていたような時代の、本邦の「家庭の主婦」にとって、なぜかこういう鼻歌というのは、マンガに限らず、映画やドラマなどでも割とセットで描かれていたようなフシもあって、「鼻歌まじりで…」という慣用的なもの言いなどもあるように、日々の家事を「鼻歌」と共にこなしている主婦というは、ある意味「家庭」の平穏無事な状態を象徴する表現でもあったようです。


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 この鼻歌の「うた」は、もちろん個人的なものであり、作業歌や労働歌のような、「関係」と「場」に開いた共同性を持っているわけでもない、その意味では純粋に「ココロの裡」を表明する手段ではあったでしょう。

 とは言え、明確に「うた」というわけでもない、口と声ではなく、「鼻」でうたう。英語でいうハミングということになるのでしょうが、しかし、ものの本によれば、ハミングと鼻歌はそれぞれ定義が違うらしい。口を閉じて鼻に抜ける息だけで、メロディーだけを非言語で発声するのがハミングなのだそうで、これに対して鼻歌はというと、低い声、小さい音量でうたうこと、の由。言われて見れば、はあ、なるほど、なのですが、じゃあ、どうしてそれが本邦では共に「鼻歌」というひとくくりの言い方になっているのか。歌詞が入ったものを言葉と共にうたうだけでなく、「フン、フンフン~」とフシだけをなぞるような、先の定義によれば本来のハミングもまた、何となく同じ「鼻歌」として認識されているように思います。

 フシだけ、メロディーだけをなぞるのならば、口三味線なんてものもあった。むかしの稽古屋、今で言うレッスンの場で、お師匠さんが口張りでお手本となる調子や音階を眼前のお弟子さんの耳に向かって補助線的にあててゆく、あるいは、祭りの太鼓や囃子の稽古などでもいい、いずれ言葉が介在していない楽器の音そのものを真似るのは、擬音語や擬態語、オノマトペの範疇になるのかもしれませんが、まあ、昨今のエアギターなどを見ていても、英語なら英語の間尺でのそれら口三味線的な、音そのもののオノマトペ的な表現はあるようです。このへんになると、犬はバウワウ、鶏はクックドゥードルドゥー、といった、かつて中学の初級英語で聞き習ったような、音声とそれを引き写す耳、および言語、母語との関係といった問題にもからんできますが、それはさておき、われらが鼻歌というのは、それら口三味線的な引き写しとは、意味も、目的もまた別もののようです。

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 たとえば、本邦の「鼻歌」が、「鼻」という限定をつけていることの意味。このあたりが問いをほどく糸口になるかもしれない。

 これはつまり、自分のせいぜい鼻先程度の範囲で、ほぼ自分ひとりのために聞こえるように小さく低く歌う、ということでしょう。ならば、それ以前の低吟などにも通じるかも。低唱微吟、浅酌低唱などという漢文調のもの言いもありましたが、いずれ半径身の丈の範囲に聞こえるか聞こえない程度の音量と調子とで、あくまでも個人的にうたうということ、それが「鼻」という一字に込められている内実だったのではないか。このあたりの「鼻」という比喩に込められた民俗レベルを含めた感覚や意識については、「鼻薬を効かせる」とか「鼻の下を伸ばす」といった、「鼻」にからんだその他の慣用的なもの言いなどにも派生させて考えてみるべきかもしれません。

 低吟、微吟、といった「吟じる」ということは、何らかの節をつけて「うたう」ことだとされています。そこでは、ことばと節とが共にある。つまり、ことばを排除したハミングではない、あくまでもことばと節、歌詞とメロディーが共にあり、一緒に「まるごと」として響いている状態での「うた」を想定している。なるほど、そのように考えてゆけば、かの『あたしンち』の母さんも、そういう意味で、あれは確かに正しく本邦の「鼻歌」であり、ハミングでも口三味線でもない「うた」ではありました。

 つまり、鼻歌というのは、自分が自分に対して聞かせる、言わばBGMみたいなもので、聞かせる相手を想定しての「うた」の作法ではなかったようです。

 酒を呑み、ちょっとご機嫌になったあたりで「つい口をついて」出てくるのが、先の浅酌低唱、微吟の類でした。それが、それまでの漢文脈の漢詩やそれに準じた四角四面で形式も整い、武張ったいかめしい「うた」ではなく、口語系のひらたい言葉での形式も崩れたものになってゆけば、小唄や端唄、さらには流行り唄から流行歌にまで連なってゆくような系譜になってゆく。

 あるいは、銭湯などで湯に浸かり、気持ちがほぐれてラクになったところで「つい口をついて」出てくる「うた」が浪曲浪花節だった時期も、本邦の世間一般その他おおぜいの身ぶり、作法として、少し前まであたりまえにありました。明治以降、本邦近代の常民同胞の、主におとこ衆にとっての鼻歌というのは、多くの場合、浪曲浪花節の一節、まさに「さわり」だった時代は、概ね高度経済成長期いっぱいまでは続いていたようです。かつての豆本、のちには月刊誌や芸能誌の附録としてついてきていた、手のひらに収まるくらいの小さな歌集の類は、それら「さわり」の目録、まさに「鼻歌」としてうたうための、ちょっとしたひと節の目録として、広く流布されていましたし、その中にはいわゆる流行歌や歌謡曲だけでなく、浪曲浪花節から講談など語りものの一節、他愛のない軽口や地口、時には隠し芸の類に至るまでが、同じ形式として共有されていた。  いまやモニター上に、時にその楽曲と関係なさげな突拍子もない映像と共に映し出されるようにもなって久しい、あのカラオケの歌詞にしても、最初の頃は分厚い歌集という「本」のかたちで、クラブやスナックのテーブルにドンと置かれているのが常でした。ああ、そう言えば、当時のスナックのおねえさん方などは、あれを「カラオケの本」と屈託なく呼んでいたのを思い出します。あの無駄に分厚く、いずれ酒や飲み物にまみれて波打ち、さまざまな乾き物や安いつまみの痕跡が容赦なく、しみや汚れの満艦飾となって、最後は忘れられていっただろう、あのような「本」を代々もれなく網羅した図書館なりアーカイヴの類は、果してどこかにあったりするのでしょうか。

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 閑話休題。ならば、そのおとこ衆の「鼻歌」を浪曲浪花節が席巻していた同じ時期、おんなの人がたにとっての鼻歌はどのようなものだったか。もちろん、人によって、属した世間によっては、浪曲浪花節を口ずさむおんな衆も普通にいたことも、ささやかな記録や小さな記述の類に残っています。でも、それとは別に、また異なる「自分」を発見していったことに対応する鼻歌もまた、あったようです。おそらく、「唱歌」や「童謡」といった類の新たな「うた」は、浪曲浪花節を口ずさむ気分や内面のたてつけに収容しきれなくなった新たな何ものか、を引き受ける受け皿になっていったらしい。

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 おそらく、こういうことなのでしょう。流行歌や歌謡曲というのは、それら新たな「自分」、それまでの本邦常民衆のありようの定型から否応なくズレて漏れ出てこざるを得なかった内面を、男女不問、属する世間や階層、階級、出自来歴その他関係なしに、まずは商品として消費する/できる対象として、さらに「趣味」「娯楽」の受け皿として、そしてまた、さりげない鼻歌としてもなお融通無碍に受け止めてゆくことのできる、いずれそれまでにない射程距離と焦点深度を伴う、とんでもない「うた」でもあった、と。


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 世の中が変わってゆくこと、大文字の言葉で言うところの近代化し、工業化し、さらに大衆社会へと転変してゆくこと、生まれ育ちや係累のしがらみとは別に、横並びの「ひとり」として、つまり「個」として「個人」として、疾風怒濤の世間を身体ごと渡ってゆくことを否応なく強いられるようになってゆく、そのようなとりとめない過程で、特に求めたわけでなくとも必然的に宿らされていった、それまでなじみのないような手ざわりを伴う内面もまた、それを世間に向けてかたちにする、表現してゆくあらわれにおいて、あたりまえにそれまでと違うものになってゆく。殊に、最も不定形で輪郭の定らない、日々のちょっとした気分やキモチ、ココロのありようについてはなおのこと。

 思えば、自分などより少し年上、学生時代の先輩や、さらにその上くらいまで含めての人がたには、いわゆる詩や短歌の一節を鼻歌のように口ずさむ、あるいはそこまで行かずとも、何かの拍子にそれらの一節を、それこそ浪曲の「さわり」のように口にする人がいたものです。中原中也宮澤賢治などが割と多かったような記憶がありますが、それはさらに年上、親戚の叔父さんあたりの年格好になると、佐藤春夫斎藤茂吉になったりしていた。まあ、具体的には、日常の中のある局面において的確に何かを言い表したり、伝えたりするための便利な断片、ある意味ことわざや俚諺、俗諺のような使われ方をしていたところもあったように思いますが、それにしても、それら詩や短歌、場合によっては誰もが何となく聞き知っているような小説や映画のせりふなども共に、まさに「鼻歌」的に、誰に聞かせるでもない、半ば独吟、低唱といった態でその場に放り出されるものでした。あれにフシがついていれば、正しく「うた」の範疇だったでしょう。でも、詩も短歌も、すでにそのような「うた」としてあるものではなく、活字を介して外から「知る」ものになっていた。だから、それをフシと共に「うたう」ことはなかった。でも、いまこのように思い返してみるならば、あれはやや干からびた「鼻歌」であり、あるいは、それまでの浪花節の「さわり」の零落したかたちだったのではないか。

 世に黙読の習慣が浸透してゆくことによって、必然的に抑圧され、別のありように向かわされていっただろう何らかの内面的なココロの動きみたいなものが、何か新たなはけ口を求めてゆく際のひとつのあらわれ。「うた」としての形がはっきりと求められ、上演としてうたうことに意識的に向かうよりもまだずっと手前、何かココロが動いてしまったその瞬間、耳になじんで覚えていた何かの一節が「つい口をついて」出てしまう、そんな言葉もフシも一体となった何ものか。それは多くの場合、日常の緊張がほどけてゆるんだ「機嫌のいい」瞬間のものだったとしても、しかし時にまた、唐突に襲われた悲しみや嘆き、予期せぬ時に平手打ちのように出喰わした激情の宿る刹那においても、同じように「うた」に向かったりもした。たとえば、あれは砂川でしたか、いまや半ば伝説のようになっている反米軍基地の闘争時に、警官隊と対峙していたデモ隊の隊列から期せずして流れたという「赤とんぼの唄」なども、そのような脈絡からは「鼻歌」の延長線上にあったものだと思います。


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 これらの仮説の併せ技の先に、たとえば口笛なども含めて考えていいのかもしれません。ただ、これはこれでまた別方向のとりとめない考察が必要になりそうなので、この場では措いておきます。ともあれ、近代の過程で「ひとり」であること、を自覚させられてゆく個人にとっての感情表現のひとつとして、〈いま・ここ〉に連なるような「うた」があるのだとして、その最も個人的なつぶやきに等しいかたちが鼻歌であったらしい――半ば思いつきの仮説ですが、ここはひとつ、覚書として書きとめておきましょう。

 黙読の習慣を身につけてしまった生身にとっては、「うた」もまた、それまでと別の聴き方、聞こえ方をするようになっていった可能性。話し言葉で発声され、語られるものも当然、それら黙読的な身体にとっては、うっかりと内面化させてゆくような回路に流し込まれてゆくものになっていたのだとしたら、ことば以外の音も含めて、そのような顛末を引き受けさせられてゆくこともまた、十分にあり得たはずです。ことばとフシ、歌詞とメロディーを明確に別ものとして、分離して受け取ることが決してあたりまえでもなかった本邦常民同胞のココロの習慣からすれば、フシだけをなぞるハミングは口三味線ではあったとしても、それはそのままでは「鼻歌」に包摂されにくかったでしょう。ハミングである口三味線もまた、「まるごと」としての「うた」に寄り添ってゆかないことには――別の言い方をすれば、ことばもフシも共に混然一体、同じ地平に「ある」ような受け入れられ方に身体ごと認められない限りは、その方向がポジティヴなものであれネガティヴなものであれ、いずれおのがココロがゆるんで解放された時に「つい口をついて」出てくるような「鼻歌」にはなり得なかった、と。

 言語の枠組みを介して意味に変換される回路が働かない、純粋な視覚や聴覚、眼に見えるものや耳に聞こえるもの、について、日常生活の中でわれわれはもう実感できなくなっています。それはたとえば、生まれて初めて海外に出た時、異なる文化の見慣れぬ風景で、どれひとつ全く翻訳不可能な看板や標識、おのが身になじんだ意味の空間に変換して取り込むことのできない〈いま・ここ〉に立ち往生するしかなかった、あの時の気分を思い起こしてもらえばいい。「うた」に向かうための初発の感覚、生身の情動の地点には、いま、このような情報環境においてもなお、それら眼前の現実、あるべき〈リアル〉からいきなり疎外され、放り出されたような気分を宿した生身は、そうと見えにくくなってはいても必ずどこかに、同時代のものとしてあるはずです。