書評・吉見俊哉『都市のドラマツルギー』(弘文堂)

 

都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

都市のドラマトゥルギー (河出文庫)

 

 

 「東京」が変貌している。おそらく、関東大震災の時や、空襲によって焼きつくされた時以上のねじまげられ方で、「東京」は、いま、新しい被膜を身にまとわされ始めている。

 言うまでもない、それは現象としては「地上げ」による巨大な圧力によるものである。しかし、それはまた、単に土地の価格の体系にアンバランスが生じた、というだけのことではないだろう。そのねじまげられてゆく底で、例えば「東京」に蓄積された「さら地の記憶」が、どのように呼びさまされているのか、そんなことを等身大で見つめてみたい、という気がするのだ。

 闇市が戦後の出発点であったことは、これまでにも論じられてきたことではある。だが、その闇市が本質的に、解放された「三国人」による市場形成と、生存権の主張を根底に持ったものであったことは、正面きって指摘されたことがあまりない。例えば、新宿歌舞伎町界隈の雑居ビルの登記は、ほとんどが日本人名義になっていないこと。新宿だけではないだろう。「盛り場」と呼ばれる場所は、このような戦後の過程で広がっていった新たな「見えない経済論理」とでも言うべきネットワークに規定されている。この国の「戦後」とは、軽薄に言えば、「アメリカ文化」と「三国人文化」が裏表に貼り合わされたバイメタルのような構造を持っている。

 「都市論」ブームが一段落ついたらしい昨年、ほぅと息をつくように出たこの本などは、その意味では「盛り場」の背後にある「都市」の運動に執着してゆく野心的なものではある。著者の吉見俊哉は、東京大学大学院出身の若き社会学者。市場の拡大と共に図体ばかり大きくなり、どうも「社会学的想像力」をどこかに置き忘れてきた嫌いのあるこの国の社会学界期待の俊英である。

 浅草、銀座、新宿、そして原宿、渋谷と、「東京」の近代に出現した「盛り場」を次々と俎板に乗せ、執拗な文献資料を擁しつつゴリゴリと正面戦・全面展開で押しまくるスタイルは、確かに、時代の知性として一級であることを宿命づけられた東大知識人ギルドの新たな後継者であることを証明する律儀さである。と言って、全く無味乾燥な「アカデミー」の味気なさだけではない。かの見田ゼミに関わっていたあたりで、適度に「ものわかりの良さ」を示す身振りも十分に身につけている。現にこのように修士論文で「盛り場」にこだわってみるあたり、これまでの「おベンキョーのできる連中」とはちょっと違ったスタンスをとれる人物であることがわかる。

 ここはひとつ現在に引き寄せた部分でコメントしておこう。渋谷が西武資本によって作り替えられたことを、もちろん吉見は冷酷に書き留め、分析している。資本の運動が作り出してゆく表現としての「都市」という限りで、この分析は圧倒的に正当である。しかし、一方でまた、スペイン坂を、公園通りを、かつての新世界のようにまるごと無化してゆくような運動が、どこからもうそうそとわきおこってこない現実に対して、視線を投げておく必要もあるだろう。

 「装置としての都市」という視点は、まず正当だったし、その正当性は、現代に至っても変わりはしない。それらを「上演」してゆく運動こそが「都市」を論ずる言説の本質的な課題である、という立場からすれば、ここでの分析の手際に基本的に手落ちはない。だが、その装置を使いつくす側の見えない、しかし、であるがゆえに本質的な「変貌」を記述し、とらえつくしてゆくことを同時に志向しないままでは、ここで示されている「若々しさ」はあっという間に老成を前提とした発展段階的な美辞麗句に堕してしまう。

 例えば、今日では行政サイドですら、ここで示されている枠組み程度はいとも簡単に呑み下し、ありがたくも「理解」を示すことについて、著者自身による考慮があってしかるべきなのではないだろうか。そして、先回りして言えば、それをなおも「超える」可能性を持つ論理は、おそらくもういちど、等身大の都市へと突破してゆくことからしか得られないのではないだろうか。そのことにこの著者自身が気付いていない、とまでは思いたくない。

 新世界は、かつて、当時一級の都市計画によって作られた盛り場であり、大阪という「東洋のマンチェスター」をうたった都市の誇りでもあった。それが、アッという間に「流民の都」と化したこと、例えばこのことをディテールにおろして考えるべきだろう。坂田三吉が将棋を指し、幾度となく花月の書き割りに登場したそれは、この国の、いや、東シナ海から瀬戸内海へと至る地域に棲む近代の雑民たちの栄光である。とほうもないもの、としての「都市」は、それが、とほうもないもの、であるが故に、雑民たちの身体によって下から無化し、相対化し、全く違ったものとして作り替えられてゆく。お望みなら、ディコンストラクションと回らぬ舌でつけ加えてもいい。だが、この黴のような、バクテリアのような、しかし明確な関節はずしへの意志と方向性を無視してどのような「都市」もあり得ないし、「都市」論もあり得ない。

 のちに凡庸な産業社会学者へと「出世」し、アメリ社会学会会長にまでなった男は、しかし、たよりなげな大学院生の頃、『ストリート・コーナー・ソサエティ』という未だ読む者を熱くさせる前のめりの日常生活誌をものした。重ねて問いたい。なぜ、この国の「アカデミー」では「都市」論ばかりが蔓延し、「都市」に下から、身体の大きさで食いついてゆく仕事が、「若い」と呼ばれる世代からでさえも出現しないのだろう。