それは「八百長」ではない ――本間茂騎手「八百長」事件報道に見る「大衆競馬」の正体


 この六月二一日の朝、川崎競馬の本間茂騎手が競馬法違反の容疑で逮捕された、というニュースが朝刊の紙面に踊った。スポーツ紙はもちろんのこと、朝日、読売、毎日の日刊紙もこぞって社会面で報道した。

 本間茂騎手と言えば、南関東の公営競馬でも文句なしに一流のノリヤクだ。あわててその他の新聞も買い揃え、内容を見た。それぞれ扱い方は異なっているが、内容については警察発表そのままなのだろう、基本的に似通ったものだった。

 報道されている限りでの事実関係を要約すればこうだ。

 競馬法違反(収賄)容疑で逮捕された本間茂騎手は、昭和六十三年頃から川崎市内のパチンコ屋で知り合い、飲み友だちとなった稲川会三和総業幹部・川添文吾に自分の乗るレースの予想情報を流し、川添はその情報をもとに馬券の買い方を客に指示、配当金から情報料を受け取り、本間騎手にも渡していた。その配分は、川添が50%、本間騎手と客とが25%ずつ。当該レースは昨年の大井のナイター開催、八月二十日の9R(B3下特別)「サーフサイド特別」。その他にも疑わしいレースがあり、神奈川県警捜査四課は本間騎手の事前の情報が当たらなかったレースも含めて余罪を追及する方針。

 例によって、週刊誌も後追いで記事を掲載し始めた。五年目に入ったナイター開催「トゥインクルレース」が首都圏夏のプレイスポットとして定着し、毎夜多くの観客を呼んでいた大井競馬に直接まつわる事件だけに、ニュース・ヴァリューも高いということなのだろう。その中で、『週刊ポスト』と『アサヒ芸能』の二誌が、正面から「八百長」ということばを使っていた。いわく、「地方競馬を蝕む『八百長体質』」(『週刊ポスト』7/6)、「八百長発覚/公営競馬にまだこれだけある“疑惑のレース”!」(『アサヒ芸能』7/5)

 出るものが出た、という感じだ。しかし、ぼくはどうにも釈然としなかった。これが「八百長」だというのなら、実は厩舎が日常当たり前にやっている仕事の大部分が、解釈の仕方によっては「八百長」になりかねない。別に杓子定規な辞書的定義をするつもりはない。だが、できごとを支えるさまざまな文脈を考慮する可能性も余裕も切り捨てたまま、「八百長」という言い方でお手軽になにもかもくるみこんで安心してしまう、その動きの背後には、何かのっぴきならない同時代の想像力の変質があるのではないだろうか。


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 考えてみよう。「八百長」というのは、ごく普通に考えられている限りでは、不確定要素の強いゲームの過程であらかじめ結果をある方向に想定し、そうなるようにゲームを意図的に操作することだ。競馬の場合、レースの結果をあらかじめ仕組み、そのようにレースを操作するということになる。

 とすると、とりあえず問題なのは、本間茂騎手が本当にレースで何か操作をしたのかどうかということ、そしてそのことと彼が流したという予想情報との間に、本当に因果関係があるのかどうかということ、この二点だ。

 仮りに、彼が実際にレースで何か意図的な操作を、厩舎で言う「わるさ」をしたと仮定しよう。人気馬に乗ってわざと負ける「ひとり八百長」は別にして、ひとりでやれる八百長は存在しない。まして、自分ひとりが「勝つ」ための八百長を自分ひとりでやることなど、相手がある以上、実際には不可能だ。だからこの場合、彼が事前に「おれが勝つ」というのは、八百長の存在を前提にする限り、「まわりとはもう話ができているから勝てるんだ」という意味においてしかあり得ない。

 それに、レース自体、主催者側が不正がなかったものと認めて着順通り確定されている。パトロールフィルムというのは恐ろしいもので、レース中騎手がおかしなことをやっていれば、まず間違いなくバレてしまう。もちろん、それが直ちに「八百長」と結びつけられて処分につながるかどうかはまた別だ。馬を御しきれなかった場合もあるだろうし、また、あとで触れるように、厩舎の日常的な仕事の範囲での操作という場合もあり得るからだ。 このように言うと、そのような日常の仕事の範囲の操作であってもやはり八百長八百長じゃないか、という素朴な反論が必ず出てくる。このことについてもあとで触れるが、ぼく個人の経験とこれまで現場で見聞きした範囲から推してゆく限りでは、レース中におかしな騎乗があればそれはまず確実に主催者レヴェルで捕捉される仕掛けになっているが、と同時にそれは厩舎の仕事の範囲を逸脱しない限り許容されてもいるはずだ、と推論せざるを得ない。そして、おそらくここが肝心なのだが、それをしも「八百長」と呼ぶようなことを、まして「ファン」などという漠然としたことばの下にするべきではない、というのがここでのぼくの立場だ。さらにこの場合、事件発覚後、公正委員が改めて当時のパトロールフィルムを確認して、「レースは公正に行なわれたと確信している」と表明している。となると、やはりレース中に何か「八百長」に直結するようなわるさをしたということは考えにくい。

 では、レース以前に、「勝つ」ための仕掛けをしていたとしたらどうだろう。一般的に考えられるのは、特殊な薬物を投与するなどの手段、いわゆる「カマし」だ。

 しかし、指摘された四レースはいずれも十頭以上の馬が出走している公営競馬とすれば多頭数のレース。しかも、ただでさえ夏場開催日数の減っている川崎、船橋、浦和の競馬場の所属厩舎が眼の色変えて勝負をかけてくる大井のナイター開催。さらに彼の騎乗したのはほとんど大井所属の馬たちときている。「カマし」はレース直前だけやるのでなくある程度連続して仕掛けなければききめのないものが普通だ。厩務員でもない騎手の、しかも川崎所属の騎手である彼がわざわざ大井の厩舎までやってきてそんなことをすることは、不可能ではないにしても現実的にはまず考えられない。それに、何よりも「カマし」自体、禁止薬物規制と尿検査の徹底した今日、それがどんな薬物であれ、それぞれの思惑をはらんだ十頭以上もの馬をさばいて確実に勝てるほどのとんでもない能力増をもたらすものは考えられない。第一、仮りにそんなとんでもない薬があったとしても、B3下特別のわずか数百万円程度の賞金目当てに「カマす」のは明らかに損だし、騎手にせよ厩務員にせよ調教師にせよ、そこまでのリスクを負ってわずか数十万円の報酬というのはあまりにも非現実的だ。

 このように考えてくると、彼はレースの結果を仕組んで何か操作をしたのではなく、厩舎の日常の仕事として自然にある「勝負」の過程を前提として自分の乗る馬の調子も含めたそのレースの予想をし、それを「外部」に流したということになる。意図的な操作を積極的にしなくても、自分の馬の調子が上がり、あるいは相手関係のめぐり合わせなどから今度は勝てそうだと思われるレース、馬券にからめそうなレースがある程度わかってくるというのは、競馬を仕事とする立場にある専門職≒プロフェッショナルとしては当然だ。レースで少なくとも露骨なわるさをしていない、そして「カマし」などの事前の操作も考えられない、となれば、問題になるのはそのような「内部」の情報を「外部」にもらし、金品を授受した、そのことに絞られてくる。

 しかし、ここでも難問が生じる。その「外部」というのが明確に線引きされるものではないからだ。たとえば、厩舎という「内部」にとって、馬主は外部だろうか。その知り合いはどうだろう。親戚は? 行きつけの呑み屋のオヤジは? 恋人は? そのようなあいまいな領域を含んで、厩舎は現実に存在している厩舎をとりまく具体的な人間関係の連鎖の中で、一体どこまでが「外部」なのか、それは明確にされていない。

 今回の事件の場合、本間茂騎手が受け取っていたとされる「情報」の報酬が数十万という単位から考えても、その「情報」を買っていた客たちもそんなに大勝負をしていたのではないだろう。第一、「本間容疑者の情報は外れる方が多かった」(『読売新聞』6/21付朝刊)という客の証言もある。川添というヤクザが競馬のアドヴァイザー商売をしていて、その商売のための情報として知り合いだった本間茂騎手の「予想」コメントが利用されたというのが実態に近いのでは、とぼくは思う。だとすれば、制度の視線からこのどこに「外部」が想定されているのか、それがおそらくこの「八百長」報道を生み出す仕掛けの鍵を握る問いだ。


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 かつて、中央競馬に藤本事件というのがあった。

 昭和四十八年、府中の名門、藤本富良厩舎所属の藤本勝彦騎手と平田騎手が、警視庁組織暴力特別取締班に競馬法違反の疑いで逮捕された事件だ。中山開催のあるレースで自分の乗った三番人気の馬を五着におとし、代わりに勝ちそうな馬を予想して馬主関係者に情報として流していた、という容疑だった。結果、金品の授受はあったものの「八百長」そのものの存在については立証できず、不起訴になったが、藤本騎手と平田騎手は事実上廃業せざるを得なくなった。これは、中央競馬史上、昭和四十年の山岡事件(バスターという障害馬の飼い葉桶に茶ガラが投入されていたことにからんで騎手など数人を逮捕)以来の大事件とされている。

 この時も、新聞・週刊誌は軒並み「八百長」を合唱している。藤本騎手について「盗癖がある」だの「女にルーズ」だのといったレヴェルの暴露記事まで出て、いかにもいかがわしい「八百長」騎手のイメージが作られていった。ここでも、新聞よりも週刊誌がそのような「物語」を作り出すのに重要な役割を担っていることは注意しておいていい。

 だが、不起訴決定後に藤本調教師と藤本騎手とが対談した記事に、このような発言がある。

 藤本調教師「(予想提供とそれに伴う謝礼の授受は)私らが馬に乗ってる時分からの習慣というか、しきたりみたいなものでね。ま、世間から見ると、三万やった、五万やったというと、すごい大金のようだが、馬券を十万も買う人にとってみればそうじゃない。気持よく教えてくれれば、取られるのと取るのとでは大違いだから、もしとった場合には喜んで御祝儀を出すわけだ。もらうほうもオコヅカイ程度の気持でうけとるわけだ。これは長い間の習慣みたいなものだよ。」


 藤本騎手「ボクは“馬主に馬の状態を教えるのはいけない”ということを思ってもいなかった。たとえばAという馬がいて、その馬主と偶然どこかで会ったりしたときに、明日はどうだい、ときかれる。ま、社長の馬はこの組に入っちゃ勝てませんよって言うでしょう。そうすると、ウチのがダメならどれがいいんだいって、当然そうきかれますね。」


 藤本調教師「だが、それはいっちゃいかんというわけだ。Aについてならいってもいいがね。しかし、そうなると、二人の馬主がいて、いっしょに馬の説明をするときでも、ひとりにはその場からどいてもらわなくちゃならない。そんなこと、常識からいってなかなかできないよ。それに、カネをもらっちゃいけないということも、こっちから要求してもらうわけじゃなし、素直に、教えてもらったのでいらない馬を買う必要がなくなった、ということで、レースが終わってから御祝儀を出す。これは人情だと思うね。」                       (『週刊大衆』1973.12.6)

 昔気質の調教師として知られていた藤本調教師の語る厩舎の仕事の論理と倫理として、これは興味深い。また、自身ノミ屋の親分として活躍していたことのある稲葉八州士は、さらに、うれしくなるくらい明快なことを言っている。

 「八百長にメクジラをたてる人間は競馬の原点を知らないんだよ。八百長をいけないというほうがおかしいんだ。機械が走っているんじゃない。生きものがやり、人間がレースをしてるんだからね。いうならば、ファンが八百長を見抜くのが競馬で、「あ、きれいな八百長をやったな、ウマイ」というぐらいなのが本当ですよ」(『アサヒ芸能』1973.10.25)

 ぼくもこの意見に全面的に共感する。

 だが、そのような「競馬の原点を知らない」人間をどんどん引き込むことによって、競馬は「大衆化」していった。そして、そのことで売り上げは伸び、市民権も得た。山岡事件や藤本事件が起こった昭和四十年代とは、まさに中央競馬にとってのそういう過渡期だった。

 「人気の馬が二着になったり着外になったりして、どうして八百長なのか。馬のよしあしを話した謝礼をもらったのがいけないわけだが、馬のよしあしは報道関係者にのみ語るべきだとは決まっていない。謝礼だって、ちょっとの心づけが世間では賄賂とおもわれる位になるのがこの世界である。…(中略)…もし、(藤本騎手らが)八百長をやったというなら、おれだってだれかに馬の状態をしゃべっている、という恐怖感を騎手たちが持つのは自然である。まちりまちがえば、馬の状態について報道しているすべてのスポーツ新聞社、競馬専門紙八百長の共犯になっているかも知れないのである。」
        (西野広祥「法律の見方で全騎手が有罪?」『アサヒ芸能』1973.1.8)

 公営ギャンブルには八百長がつきものだ、という「常識」は、少し前まで根強くあった。昭和二十年代、創生期の競輪にまつわる焼き打ち、騒乱事件の記憶は、そのような「常識」を育むに充分なものだった。

 だが、競馬の「八百長」がマスメディアで大々的に報道されるようになるのは、昭和四十年代に入ってからのことだ。それまでは、競馬そのものがそのようなマスメディアの舞台におおっぴらに昇るような代物ではなかった。競馬とは、そんな「向こう側」の世界のクロウトたちの場だった。たとえば、昭和三十年代の大々的な厩務員ストでさえも、ロクに報道されることがなかったのだ。そしてつけ加えれば、そのような「八百長」報道は、それが警察がらみの事件となった時、実際には暴力団がらみの捜査線上に浮かび上がってきた時にほぼ限られている。言い換えれば、警察報道の視野に入ってきた時、初めて「八百長」はメディアの舞台に登るようになる。このことはもっと意識しておいていい。

 報道されない騒ぎ、メディアの舞台に昇ってこない疑惑というのがなかったかというとそうではない。少し強い言い方をするならば、ある時期まで、それぞれの競馬場、競輪場では、そのような騒ぎが半ばつきもののようになっていたと言っていい。新聞や雑誌にいちいち報道されることなどなくてもその種の騒ぎはよくおこるものだったし、またそのような騒ぎが起こる可能性をはらんだ場というのが競馬場、競輪場だったのだ。

 それは、競馬にまつわる「管理」の視線がどのように整備されてきたかに深く関わっている。この時期、昭和四十年代前半までは、武智鉄二によれば中央競馬の「大八百長時代」である。それ以前、未だ狭い範囲でのギャンブルだった競馬のクロウトの倫理がそのままに、メディアの舞台にさらされ始めた時期だ。

 「八百長」報道の増加と並行して、競馬についての禁止薬物規制が本格化してゆくのがこの昭和四十年代であるというのも象徴的だ。さらに、「KCIA」のあだ名を持つこわもての組織、競馬保安協会の設立が昭和四十六年。これも、実は昭和四十年以来六年の月日をかけて準備したものだ。さらに、騎手を事前に拘束する調整ルーム制度の実施もこの時期。「厩舎」という主催者の視線からは得体の知れないブラックボックスを明晰なものにしてゆく組織の設立と、それによる管理の強化。思えば、七十年代始めにはすでに中央競馬には充分に「大衆化」のための装置が張りめぐらされ、それまであったクロウトの論理は消毒されていった。そして、その「大衆化」とは、売り上げの増加や入場人員の増加といった次元と共に、より本質的には、マスメディアの視線がそのクロウトの現場に当てられてゆくこと、そしてそのことによって「社会」という姿の見えない広がりからの視線を現場の人間たちが過剰に抱え込まねば成らなくなってゆくことと同義だった。その結果、厩舎がどのような仕事の場なのか、ということについての想像力がシロウトの側においても枯渇させられてしまった。


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 少し厩舎に絞って考えてみよう。たとえば、騎手だ。

 公営競馬の騎手が所属厩舎からもらう給料はせいぜい十万から十五万円程度。これには、部屋代や共済組合費、組合食堂の食費などの支払いも含まれているから、この中から手もとに残る額は、どうかすると十万を切ることになる。

 さらに、レースの賞金の5%が騎手の収入となる。たとえば、一着賞金が100万円のレースで一着をとれば五万円が彼の収入になる。賞金は五着までつくから、五着までに入線すれば、つまり「着に入れば」賞金の一部を彼は手にすることができることになる。

 しかし、これにはいくつか条件がついたりする。たとえば、ふだんその馬に稽古をつけている騎手がいる。それが自厩舎の馬で、レースに乗るのと同じ騎手が稽古をつけていれば問題はないが、稽古は自厩舎の騎手で、レースにだけ他厩舎の売れっ子騎手を乗せる、ということも競馬ではまま起こってくる。このような場合、その稽古だけつけている騎手に対する配慮として、賞金の5%のさらに一部をその稽古をつけてくれた騎手の取り分とすることがある。その比率はさまざまだが、いずれにしてもこれはそのレースに乗る騎手も納得づくであること、言うまでもない。つまり、賞金の5%というのは確かに騎手の取り分ではあるけれども、それはレースに乗った騎手だけでなく、稽古をつけた騎手とあわせてのこと、という場合があるのだ。

 とりわけ、他県から出張してくる騎手の場合、「乗ってくれ」と頼まれて乗るのはレースの当日だけ。重賞や、あるいはあとで触れるような自分のダンナの馬の場合などは、クルマを飛ばして他県の競馬場にまでわざわざ追い切りに駆けつけることもあるが、通常、よほどのことがない限り、乗るのはレース当日競馬場に行って初めてまたがる馬である。その一方で、レースには乗せてもらえず、調教をつけることでかろうじて食べている騎手がいる。彼らの立場を考慮すれば、売れっ子は売れっ子であるがゆえに、自分のとるべき賞金の一部を彼らのために渡すことを拒否することはまずない。

 しかし、これでも以前よりは改善されているとは言える。賞金の配分が親方たる調教師に一認されていた頃は、レースに勝ってもロクにカネをもらえなかったというようなことも珍しくなかった。騎手の側からすれば、レースに乗せてもらっているということだけで充分、まして、住み込みで全て親方抱えの生活では、小遣いを時々もらうくらいでも文句も言えなかったし、また、「修業」なのだからそれが当たり前だったという。

 一時期までの「八百長」報道には、収入の低さ→酒や女の誘惑→暴力団による八百長の誘惑、という図式がよくあった。当時の騎手の生活基盤を考えれば、遊ぶカネ欲しさに暴力団につけこまれる、というのは確かに一面の事実だったろう。だが、遊ぶカネが欲しい、という説明は、それがあまりに当たり前であるがゆえに、実は何も説明したことになっていない。カネそのものではなく、むしろカネによって表現される関係の網の目の中に、その人間がどのように存在していたか、それが問題になるはずだ。収入的に恵まれていないとしても、ただそれだけで人は「不正」とされているようなことに足を突っ込まない。少なくとも、自分の身ひとつ、腕ひとつで世渡りしてゆく職人である騎手たちは、そうそう簡単にそんなことはしないものだ。

 さらに、騎手にはそれぞれ馬主とのつきあい、牧場との関係というのがある。いい馬に乗せてもらうためには、もちろん腕を磨くことが必要だ。と同時に、そのようないい馬を買ってくれるようなダンナを見つけ、自分の関係のある厩舎に馬を入れてもらうことによって、レースで自分の乗れる馬をふやすことをしなければならない。言わば「営業」だ。

 このようなダンナの馬には、たとえ他厩舎の所属になっている馬であっても稽古から乗るものだ。実戦で自分の厩舎の馬とダンナの馬とがかちあったりしても、その馬主の馬に乗る。それはその騎手が厩舎に「入れた馬」であり、結果、調教師と馬主との関係にも騎手が微妙に介在してくることになる。今の競馬における厩舎制度のタテマエから言えば、これは調教師の権限の侵食ということになるだろう。厩舎を経営するのは調教師であり、馬を預かるというその預託契約を結ぶのは馬主と調教師の間であって、騎手はどのような形でもこの預託契約に介在することはできない。しかし、ダンナを紹介する、ということによって、騎手は調教師の経営基盤の安定に力を貸し、同時にいい馬に乗る可能性を広げることで自分の利益にもなる。繰り返すが、ダンナに買わせた馬を走らせ、ダンナを楽しませるということが、騎手であれ調教師であれ、厩舎の仕事なのだ。

 だから、ぼくがこれまで歩き、見、そして聞いてきた公営競馬の厩舎に関する限り、本間茂騎手がやったような「情報提供」それ自体は、それが意図的なものかどうかを別にすれば、決して異様なことではない。レース前、厩舎に遊びに来た馬主に「だいたいいけるはずだよ」とか「今日は回ってくるだけさ」とか教える程度のことは、はっきり言って厩舎の仕事の範囲であり、そのことを一律に「八百長」と呼ぶことは、日々の仕事として競馬に関わっている立場にある人間に対してかなり失礼なことだとぼくは思う。




 オグリキャップを出して一躍有名になった笠松競馬場のある若い調教師が、ボヤくように言っていた。

 「笠松の馬が強い強い、てみな言うてくれるのはかまわんけど、わしら痛しかゆしやもんねぇ、そんなに強いならよそ持ってくかぁ、て(馬主に)言われたら、あんた、それまでやもん」

 中央・地方間の賞金格差がますます広がり、それでいてその格差は馬の実力差を反映したものでもないという矛盾。ちょっと走る馬が出ても、これからという時に軒並み馬を中央に持ってゆかれる公営競馬の苦しい厩舎事情が、このことばにはにじみ出ている。

 以前ならば、馬を持つことは道楽の最たるものだった。「馬一頭に妾ひとり」と言われていたくらいだ。つまり、妾ひとりを囲えるくらいの甲斐性がないことには、馬なんか持ってはいけない、ということである。この素朴な民俗経済学(?)の発想は今でも結構有効で、馬一頭の預託料は今、南関東ではだいたいひと月三十万円前後から四十万円といったところだ。今、女ひとりを囲うとしても、女にもよるだろうがやはりこれくらいの「お手当て」は必要だろう。

 馬一頭で三、四年楽しんで、厩舎とも家族ぐるみでつきあい、たまに馬券で儲ければ厩舎のみんなにご祝儀をやり、たまにはうまいものを食わせに行くといった昔ながらのダンナ気質、馬主気質が生きている頃ならば、それでもやかましいことは言わなかった。それが「経済動物」ということばで一律に侵食された後は、確かに誰もわざわざ賞金の安い公営競馬に馬を入れようなどと考えなくなるのも無理はない。まして、競馬に「勝つ」そのことが、中央であっても公営であってもさしてその難しさに差がなくなってしまっているとしたら、その傾向になおさら拍車がかかる。オグリキャップとまではいかなくても、中央でも条件戦をひとつふたつ勝つくらいならばウチの馬にも可能かも知れない。仮りに着を拾うことしかできなくても、彼我の賞金格差を考えれば、それでも十分に採算がとれるのではないだろうか。なにしろ、中央の400万条件の平場戦の一着賞金は670万円、五着賞金でもその10%はある。同じ額を公営競馬で稼ごうと思えば、どれだけ走らなければならないだろう。

 ウチの子供にはもしかしたら才能があるかも知れない、というわけのわからない期待にもよく似た視線に駆りたてられ、かくて馬たちは、というより正確には馬主たちは中央競馬の厩舎へとなびいてゆく。このような馬主たちの側の変質もまた、競馬が大衆化したことの大きな表象であることは間違いない。


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 このような厩舎の仕事の過程を考慮し、相手関係や体調によって仕上げを塩梅する「勝負」の論理の正当性を持ち出すと、中央・地方を問わず競馬の主催者側は、出走馬がいつでも全力という前提によってギャンブルとしての競馬は保証されている、と反論する。

 しかし、本当にそうだろうか。これも考えてみよう。

 出走してくる馬がいつでも全力というわけではない、ということも風通しの良い常識として賭けの場に共有されていれば、それを読み取ることもファンのひとつの能力として求められるはずだ。ラインだの同期だの先輩後輩だのといった選手個人にまつわる情報が、あらかじめ賭けの重要な要素として組み込まれている競輪を思い起こしてもらってもいい。逆に言えば、そのような濃密な場にアクセスする読み取り能力を備えていない者でもその能力のギャップを軽減するような仕掛けとして、「いつでも全力」という神話が主催者によって準備されているに過ぎないとは考えられないか。

 等身大の場には、それなりの「正義」がある。競馬に限ったことではない。かつての鉄火場における「正義」とは、胴元なり親なり、そんな場を統轄する立場にある者の意図や仕掛けも読み取れる、という可能性における賭けのおもしろさを許容するものだった。だが、賭けの場がふくれあがり、そのような読み取り能力を持つことが誰にでも可能でないとなると、そのギャップをならすために「平等」の神話が発動され、どの馬も必ず全力、という前提が強要されてゆく。

 しかし、厩舎の立場からすれば、限られた馬でその能力に応じてカネを稼がねばならない。何連勝もし、オープンまで出世してゆくような馬はひとにぎりで、ほとんどの馬はドングリの背比べ。となると、そのドングリの背比べの中、限られた能力を発揮して稼ぐためにはどのレースにも全力投球というわけにいかなくなるのは当たり前のことだ。

 たとえば、今回の事件で疑惑のレースのひとつとしてあげられている昨年9月27日の大井競馬9R(サラC2)。本間茂騎手はヒカリクイーンという馬に乗って勝ち、単勝11.6倍、連複34.1倍という中穴馬券になった。この馬、それまでの七前走の着順成績は④⑦⑩⑧⑦⑥⑧着。ここから、それまで着外を続けていたのにいきなり一着というのはおかしい、それまではひっぱっていて一発勝負を賭けたのではないか、という「物語」は確かに作りやすい。事実、そのようにほのめかした記事もいくつかあった。しかし、ひっぱっていたかどうかはともかく、それ以前に負け続けていた馬が突然走った、そのことをさして怪しい、「八百長」ではないか、と言うのなら、競馬にはそういうこともある、としか言いようがない。力の似通った同じようなメンバーで日々競馬をしている公営競馬の場合、そのような事態はなおさら起こり得る。勝負の過程とはそういうものだし、またそのような過程の中で勝てるレースを見極め、きっちりと馬を仕上げて「発車させる」、それが厩舎の腕であり調教師の器量だ。ほめられこそすれ、非難される筋合いのものではない。

 かつて、彼ら競馬のクロウトたちはスタンドなど気にしていなかった。競馬とは、まずそれを現場で運営している者どうしで行なわれるものだった。ラチの向こう側にひしめく顔も見たことのない不特定多数の「ファン」など、そのようなクロウトの倫理の外にいる者たちであり、同じ「場」にある者と見ていなかった。昔、パドックでヤジられたある騎手はそのファンに向かって「はした金でガタガタ言うんじゃねェ」というタンカを切ったという。それは、「はした金」の次元じゃない勝負をしている者に向かって自分たちは仕事をしている、というプライドの表明でもあったはずだ。それほどまで、柵の向こうとこちらとは違う論理と倫理に依拠した世界だったのだ。

 もちろん、クロウトの側の倫理というのもある。いつでも全力というわけでなくても、そしてそのことを場の誰もが知っていても、クロウトの側でその「いつでも全力でない」ということによって、場を全てブチ壊すような儲けやズルをやることはない、というモラルもあった。競馬社会が「仲間意識が強い」「閉鎖的だ」というような言い方をされてきたのは、ある部分で、このような倫理に支えられたクロウトの共同性のことだったはずだ。 一方、シロウトにわからないようにやる、という誇りとそれを支える技術の保証は、シロウトにしてみれば、わからないことはないことである、という倫理を持つことにもなった。たとえ自分たちにはわからなくてもクロウトたちはシロウトである自分たちに悪影響を及ぼすようなことはしないはずだ、という信頼。だから、仮りに何かわるさをするとしても、シロウトにもわかるようなことをやれば、それはクロウトの倫理を踏み外したことになる。シロウトの客にもバレるようなわるさに対して、初めてそれはその技術の拙劣さをクロウトの名に価しないものとして糾弾されるわけだ。

 かつては確かにそうだったらしい。客が自分の目で確かめた目の前で起こったことについて「ヘンだぞ」と騒ぐ、というのがかつての「八百長」騒乱の基本的パターンだ。具体的だったのだ。観客の側が明らかに自分の眼で判断をし、もちろんその判断が正しいものかどうかは別にしても、その場に臨んで体験したことについて騒ぐ。メディアに捕捉されなかった時代のかつての無数の「八百長」騒ぎとは、おそらくそのような質のものだった。しかし今、本間茂騎手が「八百長」をやったというそのレースで、競馬場にいたファンの中にその「八百長」に気づいていた者がいたとは思えない。

 競馬の大衆化とは、それまで限られた「場」に臨む者たちによって支えられてきたものが、不特定多数の者がまさに「平等」に参加できるようなることによって、賭けの質がねじまげられてゆくことだ。その果てにあるものは、たとえば宝くじだ。

 フランスあたりではタバコ屋で気軽に馬券が買えてすばらしい、としたり顔に説く競馬文化人がよくいるが、それは「賭け」という行為がある濃密な場に宿るもの、という理解の仕方についての彼我の相違を無視した無神経な言い方だと思う。また、そんな連中が馬主だったりするから眼も当てられない。少なくともぼくにとって、宝くじと化した競馬などこれっぽっちも魅力的ではない。宝くじのようにのべたらに広がった場をアテにするギャンブルは、どこかで、ここではないどこかにいる超越的なものの意志をアテにすることに早上がりする横着を助成する。ここ十年あまり、NTTと手に手をとって情報競馬化を進めてきた中央競馬の理想が、まさにこの「宝くじ」ではないか、というのは以前も指摘しておいた(「「八百長」の想像、あるいは、どこかの知らない誰かのしわざ」『別冊宝島92/うわさの本』)。そして、大井のナイター開催もまた、すでにそのような「大衆化」に向かって一歩踏み出している。公営競馬には「迷った時は締め切り直前に単勝オッズがグッと下がった馬を買え」という格言がある。「情報」の入ったクロトが大量に馬券を買うから、というわけだ。しかし、ナイター開催の大井ではそれはもうきかない。たとえ十万円や二十万円単勝に突っ込まれたところで、オッズが目立って変わるような売り上げ規模ではなくなっているのだ。

 もうひとつ、警察なり主催者なりの「当局」には、平日の昼日中からに公営ギャンブルのようなクロウトの場に行くことについてはそんな八百長めいたリスクもある程度仕方ない、しかし大衆化した場においてはそうは言ってられない、という理解があるように思える。何も知らない無邪気なシロウトが大挙して、しかも仕事の終わった夕方や休日にやってくる可能性があるのならそれをクロウトの論理の暴力から守らねばならない、というわけか。土曜・日曜の週末とアフターファイブだけが自由時間、というホワイトカラー的世界観に支えられた「遊び」の時間帯感覚が「当局」の視線にも組み込まれているのではないだろうか。それは、いわゆる「レジャー」に向かう視線と微妙に同調するものだ。ホワイトカラーとバカ女が何の葛藤もなく安心してひしめくようになれる、そんな競馬はすでにこの「レジャー」の領域へとシフトチェンジされている。とすれば、そこここでささやかれる「八百長」というのも、競馬が未だ見通しのきくクロウトの場で運営されていた時代の記憶が、もはや「レジャー」と化した競馬を支えるメディアの銀幕に尾を引いている、言わば残像のようなものに過ぎないのかも知れない。


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 ともあれ、今回の本間茂騎手の事件は、公営競馬、少なくとも大井のナイター競馬が、ここ十年あまり中央競馬がそこに乗っかってきているような高度情報資本主義下のメディアの錬金術に食いつかれ始めていることの証明でもあった。そしてまた、それはその「大衆化」のとば口で仕掛けられたという意味で、公営版の藤本事件と言っていいかも知れない。

 むしろはっきり言うべきだろう。大井のナイター競馬とは、すでに中央競馬と同じ、メディアの錬金術と発情した視線にさらされるそれまでとは別の種類の競馬になりつつある。そして、「当局」の世界観に従えば、そのような競馬にとっての「外部」とは、公営ギャンブルのノミ屋を資金源とする「暴力団」である。

 そういう意味で、今回の事件がわざわざ大井の、それもナイター開催に限ってあげられた、というところに、ぼくは意図的なものを感じている。もともと川崎所属の騎手が、それも同じ川崎で知り合った暴力団とのからみで摘発された行為で、どうして地元川崎の開催で何もやっていないのか。そんなわけはないと考えるのが自然だろう。敢えて深読みをすれば、同じ公営競馬でも大井だけはもう違うぞ、ここまで世間の注目を集め、平日の真っ昼間からバクチをやるような連中ではない「市民」がやってくるのだから、もうそんな「外部」との関わりを目こぼししにくくなっているぞ、ということを厩舎の側に対して示している、ぼくにはそう思える。

 今や「ファン」という名でくくられる漠然としたシロウトの群れは、眼の前で何が行なわれようと見抜く能力はない。そして、クロウトの側も同じように、その持てる技術によって画策できる余裕のないほどに杓子定規な管理にさらされている。そこには、シロウトとクロウトがお互いの立場の違いに根ざした信頼によって立つ場はない。どこにもいない神につかさどられる「公正」という名の神話によって保証された巨大な広がりだけが、ふくれあがった競馬をぎくしゃくと、しかし確実に動かしている。