野毛の場外

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 桜木町の駅は無礼である。「国鉄」という力も歴史もきちんと宿した硬質の名詞にとって代わった“JR”というあのだらしなく媚びたもの言いにふさわしい程度に、なるほど正面から無礼千万である。

 “みなとみらい”だか何だか知らないが、だだっ広いだけの敷地に奇妙な形のモニュメントが突っ立ち、その間をセンターラインばかりが白く浮き上がった黒いアスファルトの帯が走り、それでいてセイタカアワダチソウだらけの空き地も貧乏臭く混じるのだが、それでも真新しい標識とガードレールに囲まれりゃそれもまたこの国のここ十年足らずの間見慣れた新たな駅裏の風景となる。本当に、「駅裏」と呼ばれてきた場所のあの活力を宿したうらぶれ具合は、ここ十年足らずの間にあきれるほどの速度と均質さとで、こんな都市計画屋が小手先で描いてみせた「完成予想図」めいたしらじらしい風景にねじまげられていっちまった。とりわけ新幹線がよくない。新幹線が停まるようになるとその街の駅まわりはまるで変わっちまう。名古屋も博多も、宇都宮も浜松も岡山も姫路も新潟も、みんなみんな申し合わせたように同じになった。桜木町のホームから見渡せる海に面しているはずの側に広がる風景は、その地方都市の変貌の記憶にきれいに重なるような無惨をさらけ出していた。

 こりゃいったいどういう種類の無礼だろうか、と考えてみて、改札口を出るか出ないかまでの間に、あ、そうか、都市計画屋の無礼さなんだな、と思い当たった。

 仕事がらみでゆきあうことがあっても、およそ広告代理店と都市計画屋とはとことん折り合いが悪い。どだい肌あいが違うのだ。やつら、人の生きる世間ってやつをどういう根拠でだかは知らないがとことんナメきってやがる。そして、そのナメきっていることをこれまたあきれるほど自覚してなかったりする。どれだけせせこましくとりとめのないものであったとしても、それがその街にとって日々折り重なってきた時間の果てにそこにある風景であることについて、好むと好まざるとに関わらず深刻な一撃を加えることになるさまざまな力を行使できる立場に彼らがいるということに対して、きちんと謙虚になるという選択肢はあの人種にはないらしい。



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 で、この種の無礼は、野毛の場外馬券売場にまで飛び火していた。

 野毛の場外、いや最近は「ウインズ」と言わねばJRA(日本中央競馬会)はご機嫌斜めでちょっとした原稿でも再三検閲が入るのだが、桜木町の駅からまっすぐ歩いて五分あまり。距離にして二百メートルばかりだろう。グレーを基調に安物のクリスマスケーキのような彩りで縞模様が入った四角い建物。新横浜あたりのラブホテルのような、「パーラー」と名乗り始めた郊外のパチンコ屋のような、はたまた手荒い稼ぎをやってきた地上げ屋の本社ビルのような、何にせよ先のJR桜木町駅構内で感じた都市計画屋の無礼がそのまま何か地下回線でも通って数百メートル離れたここに露頭したのかと思うほど“浮いた”印象。建物の正面中ほどの両脇に金色に輝く馬の頭が取り付けられている趣味の良さに至っては言葉もない。

 JRAの昨年の売り上げ三兆四千億円。テラ銭は競馬法に定められた通り25%だから、ごく大ざっぱに言って八千億円あまりがめでたく国庫に転がり込んだことになる。で、その80%以上が場外馬券売場での売り上げ。つまり、競馬場にノコノコ出かけていって馬券を買うなんてのは全くの少数派。場外、じゃなかった「ウインズ」に行って馬券を買う人間が今や大部分を占めているということになる。

 八〇年代半ばあたりから、国営馬賭博の胴元JRAは各地にある場外馬券売場を軒並みこのような“都市計画屋の無礼”のやりたい放題に任せ始めた。磯崎新とそのまわりの連中が独占的に手がけたとも聞いている。渋谷、新宿、錦糸町、浅草……盛り場の中、看板すらきちんと出さないままパチンコの景品交換所のようなたたずまいでごったがえしていた場外馬券売場が、軒並み改装されていった。そしてそれと並行して、それまで住民運動の反対などで進まなかった場外の新設も一挙にラッシュを迎える。立川、広島、石和など、いずれもこのようなラブホテルめいた場外が建ち、そしてそれによって地元のノミ屋は確実に潰されていった。

 このように場外が「ウインズ」と化してゆく時の重要な変化がいくつかある。

 まず、穴場のオバチャンたちが意識的に若いおねえちゃんたちになった。以前立川あたりで取材した話では、意識的に女子大生のアルバイトなどに入れ替えていったということだったから、その他の場所でもやってないわけがない。穴場のオバチャンを数量的中核とした競馬場関係職員の労働組合の強さに手を焼いていたはずのJRAとしては、これはなかなかうまいやり方だったと思う。

 また、場外の中にゴロゴロしている連中、あっち側の用語では「滞留人口」とかいうらしいが、それを効率的に流すような構造と仕掛けとがあらかじめ組み込まれた。これは公園などでも同じだが、決められた場所以外で坐れない、横になれないような造りにし、なおかつ随所に警備員を置いて誘導する。滞留のポイントとなる映像による実況中継を行なうディスプレイも極力一定の個所に集中させ、場内整理をしやすくした。

 そして、今さら言っても詮ないことだが、馬券の購入方法を軒並みマークシートにしやがった。昨今のJRAのとった政策で、なにが腹立たしいといってこれほどムカッ腹が立つことはない。そこここで職安の求人票のようなチンケな黄色い紙に向かい、背中丸めて慣れぬ塗り絵をしているオヤジたちの姿を見て心痛めぬ者がいるとすれば、それはもはや日本人ではない。穴場に向かって不機嫌に「②-⑥特券十枚、②-⑧五枚」と吐き捨てるのではなく、あらかじめ記入されたマークシートを穴場に差し出し、釣りと馬券を受け取る。その間のアクリル板をはさんだオバチャンとこちら側との関係のあり方も、これまでの口頭による購入方式の頃とは明らかに違ってきている。“都市計画屋の無礼”は単に建物や街なみだけでなく、それらに規定される場のあり方やたたずまいまでも確実に変えてゆく。


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 川崎の例を述べよう。

 川崎の駅まわり、とりわけ南口周辺に顕著なのだが、ここ十年足らずの間に実施された区画整理や再開発の結果、川崎競輪川崎競馬場へ向かうオヤジたちの流れが明らかに変わってしまっている。歩道にカラーブロックを貼り、街路樹を整え、建物は軒並み“建築家の無礼”に席捲させ、どこもかしこもピカピカのタイルとハーフミラーとで埋め尽くし、立ち止まることやたたずむこと、たむろすることを街の仕掛けそのものから排除していったことで、平日の真っ昼間から公営ギャンブルに赴くオヤジたちは明らかにそこにいたたまれなくなった。妙なもので、あのカラーブロックを敷き詰めた路上というやつ、それまでと異なり、同じ寝転がっていても身体に攻撃性が宿らなくなる。見上げる視線で通行人との距離を計り、それを自分の身体にフィードバックしてゆくことでまた新たな力を生んでゆく仕掛けが、どこかでフニャッと漏電してしまうような気がするのだ。

 数年前、川崎競輪場でこれらオヤジたちの流れについて調べた時のことだ。数人で手分けして眼をつけたオヤジについて回ったり、またVTRを回したりもしたのだが、駅からまっすぐ続く競輪場への道すじ、どのオヤジたちも眼をふせながら足早にやってきて、ゲートを入ってから明らかにほっとした様子でひと息つくのだ。そして、場内では競輪場までの道すじとは異なった路地を歩くゆったりとした速度で歩く。穴場に立ち寄り、売店を冷かし、予想屋のまわりにたむろする。それがなぜかみんなバンクを軸にして左回りなのはおかしかったが、いずれにしても、彼らにとってくつろげる場所、親しめる場のありかたというのはあの“都市計画屋の無礼”のもたらす風景の中にはないということだ。

 売店で売られている食べ物も、大福や赤飯やもつ煮込みや深川飯やラーメン、あるいは生のきゅうりやさつま揚げや串カツといった、この国の都市単身労働者たちの文化に組み込まれた「ファストフード」の基本アイテムがほぼ網羅されている。間違ってもハンバーガーやクレープはない。なじみのオバちゃんからは声がかかる。予想屋は元気いっぱい。金網越しに選手たちを固有名詞で怒鳴ることもできる。もちろん、運が良けりゃ小遣い銭も手に入る。そのような生の場、いきいきとした世間そのものと思えるような場を、ささやかなものであれおのれの知恵と才覚とをたよりにゆったりとクルージングしてゆく彼らまっとうなオヤジの姿は、しかし今や競輪場や公営競馬場といった限られた場所でしか見られなくなってしまったかのようだ。


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 しかし、いかに器が堕落しても、ここ野毛場外に集まるオヤジたちはまだまだしぶとい。東京近郊では錦糸町と立川がまだそのようなオヤジの作法がいくらかでも確保されそうな場外だが、ここ野毛場外もまた、この逆境に浩然たるオヤジ文化が懸命に後退戦を戦っている風情があった。カウンターの向こうにいる赤い服きた“コンパニオン”とかいう若いおねえちゃんにマークシートを書いてもらおうとしていた職人風のジイさんが、「本当は代筆は違反なんですよ」などとの嫌味たらたらに、「ならいいわいッ」とタンカをきって四階五階の一、二番窓口にだけ許されている口頭発売兼用窓口に並んでみせたシーンなど、思わず拍手モンだった。野毛はこの窓口がいい。一見をおすすめする。ちなみに一番雰囲気のひどいのは渋谷場外。背ばかり高いちょこざいな若い衆がわが物顔でのし歩き、道玄坂あたりを歩くのと変わらない惨憺たる雰囲気。マークシートの書き方がわからず立ち往生していたジイさんがもみくちゃにされたのを目撃したこともある。馬場で身体張ってる馬とノリヤクに申しわけなくて、とてもじゃないが気を入れて勝負する気にならない。

 とは言え、暮れの有馬記念の日、この野毛の場外で一日遊んだ結果はひどいものだった。なんせ有馬を勝ったのがこともあろうにダイユウサク。七歳暮れを迎えた重賞未勝利馬。確かにノノアルコ産駒らしいスピードはあるし、一マイルまでならGⅡ重賞でも穴人気するだけの貫禄はあるが、有馬記念をいきなり勝っていいような馬ではない。財布は重傷の下痢で、そのあと年末にホームグラウンド大井で勝負するタネ銭にまで食い込んでいた。

 「なんだよなんだよ、ダイユウサクだぁ? ホエールズが優勝したようなもんだわ」

 横にいた作業用の防寒ジャンパー羽織ったオヤジは、天井に向かってそう叫んだ。

 あまりにシャクなので、年明け敢然と仇討ちに赴いた。戦果は……うん、そうだな、岡部のホゲットミーノットのおかげで野毛の場外が大好きになったと言っておこう。

 余談ながら、場外の入り口すぐ脇のところに一軒だけぽつんと古びた魚屋が残っている。刻んだなまこや色のいいもずくをビニール袋に入れて売っていたりでこれまたなかなかの風情。その横の一角はラーメン屋になっていて、カウンター一列だけの屋台に毛の生えたような店だが、ここのチャーシューメンが絶品であることもあわせて報告しておこう。


              

*1:『ハマ野毛』掲載原稿。平岡正明御大責任編集の頃のものだったはず。