洗車場という商売

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 洗車場という商売がぼちぼち流行している。

 まぁ、駐車場どころかおのれの棲む場所にもこと欠くありさまで、それでもなおクルマを持ちたいという人々のひしめきあう街中だけのことかも知れない。いずれ住宅事情のなせる商売であることは間違いないが、にしても、去年あたりからちらほら見られるようになった、この国の新たな暮らしの風景ではある。

 ちょっとした空き地に武骨な洗車機を何台か置いて商売する。基本的にセルフサービスである。コインを所定の額投入して、あとはノズルを自分で操作して洗う。とは言え、水洗いだけのコースからシャンプー付き、リンス付き、一番手の込んだコースにはワックスがけまでついているから、そう馬鹿にしたものでもない。

 気をつけて見ていると、利用する客の多くはいわゆる「若い」夫婦、ないしはカップルといった人たちである。彼らはTシャツにジーンズという気楽ないでたちで、ていねいにクルマを洗う。作業をふたりで分担しながら、もうそれがあらかじめ話し合いでもできていたかのようにスムースにクルマを洗い上げてゆく。洗剤を注ぐ。ブラシをかけ水洗いする。拭う。ドアを開け放つ。フロアシートを外へ出す。中にたまったゴミやホコリをつまみ出し、その間相棒はワックスをかける。カーラジオからはのんびりと絞り加減の音楽が流れる。そして、小一時間もすれば、ピカピカに磨き上げられたクルマに乗って、彼らは幸せそうに帰ってゆく。半ば乾きかかった水たまりがあとに残る。

 クルマまわりのこまごまとした小物や用品、その他必要な品もすでに大きな市場になっている。その理由として「日本のクルマ社会が成熟したから」というような説明がされるが、それはどうかな、と僕は思う。その種の品物を売る店に行けば、何の役に立つのかもわからないような妙な意匠の備品がところ狭しと並べられている。缶入り飲料を支えるカップホルダーなどはその中でもヒット商品だろう。けれども、造りがチャチでどれもじき役立たずとなり、トランクに放り出されたままになる。どことなく情けない。

 タクシーの室内を見ているとわかるのだが、そのような小物や備品はまず置かれていない。もちろん、似た機能のものは存在する。高速道路の通行券やレシートをたばねておくクリップにしても、事務用の磁石のついたものを自分で細工してぶらさげていたりする。いや、洗車ひとつにしてもそうだ。それが稼業の運転手さんたちの洗車場というのはたとえば公共駐車場の片隅にあったりして、そこで作業の様子をのぞくことができるけれども、道具と言ってもポリバケツと古雑巾の数枚がせいぜい。水洗い用とワックス用とはきちんと分けているようだが、やれ専用スポンジだの高級セーム皮だのといった、昨今の町の洗車場で見かける洗車道具の数々はとりたてて使っていない。日々の手入れに役立つような道具というのはそう珍しいものでもなく、むしろありふれたものであることが多いらしい。

 そう言えば、これもタクシーによく見かけるのだが、トランクのフタの裏側に針金をわたし、そこに手入れ用のタオルやら雑巾やらをぶらさげるようにしてあったりするのが、なぜかうまく説明できないけれども、僕は好きだ。

*1:雑誌『室内』依頼原稿。言わずと知れた、あの山本夏彦翁の雑誌である。こんな仕事も舞い込んでいたのだ。